天皇の日本史
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日本の天皇というのは独特なもので、いわゆる万世一系ですが、
長い歴史のあいだには、いつそのまま亡びても不思議はないほどの
危機を何度も経験しています。
天皇の地位が力で奪えるものであったなら、藤原氏、源頼朝、北条泰時、
織田信長、豊臣秀吉、その他日本史の上にあらわれた実力者たちが、
いつでも天皇に代わることができたでしょう。
しかし実際には二千年近くのあいだ一度もそんなことは起こらなかった。
これは日本の不思議であり、日本史の不思議です。
ヨーロッパだったら王を倒した者はそのまま王になる。
そのため近世のはじめまでは血腥い戦争の連続だった。
日本ではむしろ相争う権力者の両方が天皇をかつごうとする。
なぜか?
それを実際の歴史に即して考えてゆくのがこのスレのねらいです。 宗教から歴史、天皇、政治経済まであらゆる情報の宝庫!
本日の講義は『大日本帝国は生きている 特攻隊の精神』です。
桜のように美しく咲き、そして潔く散る… それが日本人の魂!
http://blog.livedoor.jp/nakasugi_h/ >>貴族飯
そういうのが売りのホテルもあるようだ。
各時代の料理を再現したコースばかりの店とかできないのかな?
あったら通いたい…。
↓
http://www.narapark.jp/tenpyou/ ビックカメラ札幌店 副店長
佐藤伸弦が天皇の悪口をフェイスブックに書く
その後削除 後鳥羽上皇の評価について 彼は自らの理想のもとに、鎌倉幕府に挑んだ豪傑なのか、
それとも身の程知らずのキチガイなのか?どうなんでしょうか? >>1
日本の二重性の二重王のこれからについての素案
宗教王=天皇陛下+大規模皇族+華族
権力王=徳川征夷大将軍+上級武士
なお、下級武士は百姓に二本差しを便宜上許したものであり、
これは農民であるので
天皇陛下の側に属すので権力王側ではない。
なお、皇族をわざわざ大規模皇族と書いたのは、
現在の小規模皇族は汚いアメリカが
天皇陛下の血筋を途絶えさせるための謀略だからである!
なお、現在大日本帝國は継続しており、
大東亜戦争は継続しており、
大東亜共栄圏は繁栄を続けており、
目下、アメリカ全体主義国家の破壊と
人種解放と世界の安定に向かっている状況である。 >>1民主主義は多数派とされる者達が少数派を虐殺するためだけに存在します。
>>240
それ支那事変。
支那事変圧勝です。
一号作戦とその司令官の岡村大将について調べればわかります。
三戒なども。
支那人の圧倒的大声援のもとで一号作戦は完遂されました。
「日本人が匪賊(国民党軍と八路軍)を討伐してくれた!次の王朝は日本だ!」
>>241
権力者たちの合議制(昭和時代の自民党の派閥の合議制)のほうが
民主制(テロリスト民主党を選んでしまう欠点)より明らかに優れています。
>>242
>日本は封建制度が一番合ってるよ。
僕もそう思います。
天皇陛下がおはして、その配下に征夷大将軍がいるバランスの良さ。
>>243
>日本に独裁者制度って合わないような印象なんだけど。
征夷大将軍は独裁者ではありません。
二重王の宗教王・権力王のうち権力王を担当する王です。
宗教王=天皇陛下
権力王=征夷大将軍 >>5
>6世紀の半ばごろから仏教が入ってきてるが、これを受け入れるのは天皇家としては
かなりの決断だったと思うな。
天皇陛下は喜んで仏教を受け入れました。
いや、天皇陛下こそが仏教を日本に導入したお方です。
ミトラ教=神道
ミトラ教=仏教
だからです。
なぜならば、天皇陛下と蘇我氏と聖徳太子のルーツは
アスカ=パルティア大帝国でユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国出身だからです。
飛鳥=アスカ=ヒト=クニ@北方遊牧騎馬民族 >>6
>百済の王室から日本の王室に伝えられたが、日本の王室はしばらく受け入れないで、
「皇室、ね?不敬罪で死刑にされちゃうよ?」みを
ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国=アスカパルティア大帝国=フーユ(扶余)=クダラ(百済)=ミマナ任那日本府=日本帝国
>>8
天皇陛下=ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国皇太子
蘇我氏=ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国系アスカパルティア大帝国ミトラ教大神官
つまり、天皇陛下と蘇我氏と聖徳太子は血縁者。 >>9
「なんでこの人にレスが付かないのかなあ?馬鹿ばっかりじゃないのこのスレ??」みを
>天皇一族は渡来人であり、日本列島にいた原住民を制圧して一つにまとめた。
「理解も表現法も違うかな」みを
天皇陛下=日本帝国の王の中の王
日本帝国=扶桑国+文身国+三輪王国+大漢国+邪馬壹国+越の国+河内国
日本人=縄文人*アスカパルティア大帝国皇族貴族神官
>神道は西洋宗教を日本列島に持ち込んだ渡来人(天皇一族)が、
原住民の自然崇拝とドッキングして作り上げていった神学体系ということになる。
神道=ミトラ教
>徐福 : ユダヤ教の儀式と風習、旧約聖書を日本列島に持ち込んだ。
それは支那における扶桑国伝説と扶桑の木伝説と蓬莱山伝説の混交体だね。
>秦氏 : 原始キリスト教(ミトラ教の一派)と新約聖書を日本列島に持ち込んだ。
秦氏ら=ミトラ教大神官蘇我氏の先遣隊
>蘇我氏: ミトラ教の中でも東洋グノーシス主義の流れを汲む仏教を輸入
蘇我氏=ミトラ教大神官であり最後に渡来して日本に本格的にミトラ教を導入 >>9
「お兄ちゃん鋭い!!」みを
>原始キリスト教とグノーシスの流れを汲む仏教は本質の部分(ミトラ教)では共通する。
カトリックやプロテスタントは頑なに認めないが、
イエスキリストはエッセネ派(ミトラ教の一派)に属してグノーシス主義者だった。
アスカ(ユーラシア北方遊牧騎馬民族大帝国)ミトラ教
→メソポタミア文明サカ人(スメル人(シュメル人(シュメール人)))ミトラ教
→派生物ミトラシズム(ミシアにズムになまる(メシアニズムになまる))@東イラン高原
→ユダヤ王ユダヤ人バビロン虜囚ミトラ教を学ぶ
→ユダヤ王ユダヤ人パレスチナに帰されミトラ教とメシアニズムを信仰し続ける
→「お母さんは処女なのに懐胎して僕が生まれた。」とか言っている
少しだけ頭のおかしな大工の息子イエスがあるときユダヤにいた。
→ユダヤ人はユダヤからメシアが現れたと大喜びした。
→キリスト教成立
→新約聖書成立
→ミトラ教が広まっていたローマ王国(ローマ帝国)にミトラ教を土台にキリスト教が広まった。
→旧約聖書成立
>今のキリスト教はイエスの思想からかけ離れたミトラ教の模倣に過ぎない。
そのとおりです。
キリスト教アタナシウス派はイエスの思想からかけ離れたミトラ教の模倣に過ぎず、
キリスト教の言う悪魔とはミトラ教最高神太陽神ミトラ様であり、
キリスト教の言う唯一絶対神とは悪魔の最高神にすぎない。 >>9さんへ
>>151
岩明均がヒストリエで本当に描きたかったのは
1.スキタイ人は優秀な民族であること。
2.アレクサンドロス大王の遠征はなぜ止まったのか?
だから、50%強は成し遂げているわけです。
>>154
背景も全部岩明均さんが描いていらっしゃいます。
>>156
>ところでスキタイの子孫って現在は主にどこにいるの?
ってかスキタイって見た目はアラビア系?白人系?
スキタイ人の子孫が日本人です。マジで
スキタイ人=スキト人=アスカ人=飛鳥びと=聖徳太子たち=日本人(武士系)
源流は北満洲で、
発展場は南シベリアで、
民族名は『アスカ』で、
国名は『アスカ』で、
起源文明は世界最古の文明『ミヌシンスク文明』で、
宇宙観は『スメラ』で、
宗教は『ミトラ教(=神道=仏教≒キリスト教)』で、
彼らはこう呼ばれています。
『北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国』 >>9さんへ >>156>>157>>158>>160>>165>>167
1.岩明均は栗本経済人類学徒であること。
2.スキタイ人は古代ギリシア人の勝手な呼称であり、
「サカ人」の騎射部隊をサカ人が「スキト」と呼んだため、
サカ人の特に騎射部隊を恐れた古代ギリシア都市が
「サカ人」を「スキト」と呼ぼうとして
ギリシア語訛りで「スキト」が「スキタイ」になっただけ。
3.アスカ(ヒトかつクニ)の流れ図
0-1.ミヌシンスク文明
→0-2.北方ユーラシア遊牧騎馬民族大帝国(すべての源流。世界史の中心。)
→1.北満洲→日本人@日本帝国(日本国)(複数の王の連合制だから)
@日本列島と朝鮮半島南部
(のちに朝鮮半島からは王皇族貴族は全員引き上げ奴隷のみ残した。
日本の奴隷たちが現代朝鮮人の祖。)
→『スメラ』(『宇宙の中心』という意味)が天皇(王の連合制をまとめる王の中の王だから)→1-3.天皇陛下+皇族+貴族(華族)+下級武士+百姓+常人
→2.アスカ帝国(パルティア帝国)
→ミトラ教と二重性と『アスカ』を伴ってミトラ教神官蘇我氏が日本へ渡来
→大化の改新でくじかれる→2-4.武士系=征夷大将軍+大名+上級武士+山人
1-3と2-4が二重性(双子の重視)
→3.東のカフカスの分派→サカ人(スキタイ人)
→4.カフカス→アシュク人@アシュク帝国(カザール帝国)(のちのアシュケナージユダヤ人)
→5.フン族(ゲルマン人の祖先の一派)
→6.タタール人(タタールのくびき)
暗闘と暗殺を繰り返している白人とユダヤ人と日本人はみな親族なのでみな仲良く。 >>9さんへ >>685
>遊牧騎馬という生活スタイルを発明したのはスキタイ人で、
遊牧騎馬民族という生活スタイルはダナキル地塁停滞からの出アフリカから
メソポタミア、カフカスを抜けて人類が草原の道に出た時期、
つまりミヌシンスク文明と北方遊牧騎馬民族大帝国で確立されました。
そのごく一部の支流分派がサカ人(スキト人(スキタイ人))です。
>オリエント文明の流れから青銅器文明を持っていた。
移動と金属器に異常な興味と積極姿勢を見せていたのが
ミヌシンスク文明とその後継の北方遊牧騎馬民族大帝国です。
1.青銅器は南シベリアで発明されました。
2.北方遊牧騎馬民族大帝国の一部のグループアスカ人(スメル人)が南下西進し
メソポタミア入りしてメソポタミア文明を大繁栄安定運営し、
青銅器の鋳型として最適な「非食用蜜蝋」をメソポタミアから南シベリアに送りました。
3.南シベリアでは高度な青銅器文明が精緻を極めました。
4.北方遊牧騎馬民族大帝国の極小数のグループが南下し
支那入りし、夏王となり、殷王となり、支那人に
北方遊牧騎馬民族の知恵の移動と金属器のうち
金属器とメソポタミアの農耕と各種の種を伝えました。
5.歴代支那皇帝は二人を除き
全員北方遊牧騎馬民族大帝国出身者で占められています。
>これは周辺の遊牧騎馬民族を捕えて奴隷として使役していた為と考えられている。
奴隷は常に支那人の方ですよ(笑)
>殷の青銅器は支那の歴史上最上のクォリティとされ、時間の経過とともに劣化したとされている。
殷王は北方遊牧騎馬民族の皇族ですw彼の方は支那人などではありませんw >>9
キリスト教のパクリねたもとのミトラ教は東方の東イラン高原から来たと
キリスト教徒ユダヤ教は思っているから。
実際は南シベリアから東イラン高原に南下して西進してメソポタミア文明に入った。
そしてパビロン第X王朝はユダヤ王国を破壊してユダヤ王とユダヤ人をバビロンに補囚した。
バビロンでミトラ教とミトラ教から東イラン高原で発生た救世主思想を教えられたユダヤ人はキリストつまり救世主を待ち望みつつミトラ教とメシアニズムを信仰し続けた。
そこに『お母ちゃんは処女なのに懐胎した。』とか言っている
少しだけ頭のおかしな大工の息子イエスが現れた。
ミトラ教とメシアニズムがなければどこにでもいる少し頭のおかしな子として見過ごされたはず。
だが、ミトラ教とメシアニズムを得たユダヤ人はイエスをメシアと設定した。
メシアを強く待ち望んでいたからだ。
そしてキリスト教が誕生した。
キリスト教はミトラ経から剽窃して教義と体系を確立した。
その後ユダヤ教が成立し旧約聖書が整理された。 >>9天皇陛下の日本史
時代は少し前に戻る。
サカ(スキタイ)が南シベリアから西進して南下しローマ王国(ローマ帝国)を脅かした。
その時ミトラ教はミタンニ王国に広まった。
ローマ王国(ローマ帝国)がミタンニ王国
(ミトラのミトとアンニでミト・アンニ、ミタンニ)
と戦ったときとった捕虜から
ミトラ教を学んだローマの軍人や将軍がミトラ教を信仰し出した。
ローマ王国(ローマ帝国)にギリシア神話の丸パクリのローマ神話でなく、
先進的なミトラ教が広まった。
(ただし、ギリシア神話の元ネタは南シベリアの遊牧騎馬民族が
ティエン(天)からアスカ(人)がいかにして生まれたかを語った神話。
この神話は日本に伝わり聖徳太子が
『天皇記』スメラミコトのフミとしてまとめ古事記日本書紀に垣間見える)
ローマ王国(帝国)のミトラ教信仰がキリスト教受け容れを準備した。 皇族が出雲大社の子孫と結婚しましたね!
どんな神様が生まれてくるか楽しみだ! >>218
出雲大社の宮司って先祖は皇室の弟で男系でいえば同じ一族だぞ。
別に大国主の子孫ってわけじゃない。
大国主の子孫は大神神社の宮司だけどそっちは女子しかいなくて断絶確定してる。 滅ぼされた出雲が許されたと思ったら、ただの近親婚でしたw >>221
名門っつっても伝説上は名門だろうけど実際はただの普通の家だぞ
女性宮司で頑張ってるけど確か姉妹全員未婚だったような
養子もとらないんじゃないのかな、今時だし…
ちなみに大国主の子孫だと他に宗像大社の宮司もある >>223
宗像大社の宮司は、宗像氏で宇多天皇の子孫じゃないの?
しかも断絶してる。 ヤフー知恵袋の知恵ノートにこんなノートを書いたので感想ください。
今の世の中で天皇家のみは例外として「男系子孫」だの 「嫡流」だのに拘る意味はありません。時代遅れな考え方です。
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n283034 日本人は木気が強すぎ土を提出できていない
これは天人地がある中国から来た天皇の国としてはあるまじきこと
例えば天皇にしても系譜を続かせるだけでそれに縛られている
ある程度土を増やし革命される恐れを持ってもまともに人の道を開拓しなくてはならないのである。
でなければ人の世でない世界になってしまう。
人の道を開拓できないものは自然を恐れただ萎縮した野蛮人である。
この時代になってもまだなお野蛮人を続けるのなら日本人に徳は無い。 >>227
何が言いたいのかはわかるが、誰に向かって、何を意図してるのかわからんね。ダラダラ長すぎるし。
男系に限るってのはそれなりに意味があると思うけどね。その意味を重要視しないなら、そりゃあ無意味だろうさ。 桂宮さんとかいう人が崩御したが、この人しかり、髭の殿下とかいう人しかり、病弱で障害があるなぁ。 やはりそんなに血が濃いのか。
https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/1998/01013/images/002-1.jpg
顔の形質を見ると、右目の失明以外は兄の髭の殿下とかいう人よりはしっかりした顔立ちであるが。
兄の髭の殿下の方は元の顔立ちからして病弱の形質だが。
しかし、父親は98歳でご健在で彼は病気が無いのかな? 両親は二人とも90超えて健在なのに、子供は5人のうち4人が亡くなっているのか。一人は47歳で死んでいる。
やはり隔世遺伝で大正天皇の血が出てるのか。
てか98歳の三笠宮崇仁親王は流暢なヘブライ語を操るってマジか。関係無いが >>231
母方の祖父(百合子妃の父)の高木家の人間も異常だしな。
発狂して青酸カリ飲んで自殺したり >>230
崩御が使われるのは天皇・皇后・皇太后・太皇太后
親王・王・女王・親王妃など皇族には使わない >>10
>587年に物部守屋が蘇我馬子と争って、馬子に滅ぼされる。
これは天皇家としては危機になりえたんだろうけどな。
天皇の軍事指揮官であり、祭祀的な天皇の機能にもつながる一面をもった、
それ故に仏教にも反対していた物部氏が、自分の目の前で倒されてしまったんだからな。
ほんとうなら、天皇にとっては右手をもぎとられたのも同じだ。
ところが蘇我氏もそのころには天皇家と外戚関係を結んでいる。
聖徳太子でも誰でも、そのころの皇太子はみんな広い意味で蘇我氏一族なんだから、
皇室全体としてはどうということはない。
そのへんが、天皇家のしたたかさの最初の証明だったといえる。
天皇陛下も蘇我氏もその頃は同じアスカ人皇族。
>>11
>要するにそのころになると日本の国としてもそろそろ仏教が必要になってきた。
東アジアの情勢をみると日本はいつまでもまとまりのない国のままではいられない。
東アジアのどの国もがそうであるように、中央集権国家を成立させなければ
これらの国からの脅威をまぬがれない。
しかし、それぞれの部族がそれぞれの神様を持っているようでは、
中央からの威令は行われないから、この際、部族信仰を超えた普遍宗教である仏教を興隆させることにしよう。
こういうきわめて政治的な理由で、仏教の本格的な受け入れが始まったんだと思う。
これが聖徳太子の時代だ。
シンプル。アスカ人蘇我氏聖徳太子がアスカ教ミトラ教である仏教も採用しただけ。
神道はそのままミトラ教だから。 >>12
>聖徳太子 → 聖人で徳の高い太陽の御子
1.ミトラ教最高神太陽神ミトラは神母子の三面神である。
2.聖徳太子は神の子たる太陽神の子であり、救世主キリストである。
>確実にユダヤ教と原始キリスト教(ミトラ教、太陽神信仰)の影響を受けている。
逆。
ミトラ教=神道=仏教。
ミトラ教キリスト教学のユダヤ人バージョンがキリスト教で
その後にユダヤ教典がミトラ教典から転写され成立。
>原始キリスト教はその実態はミトラ教で、グノーシス主義と融合していた。
よく研究なさっていらっしゃいますね。
>従って蘇我氏がグノーシス主義の流れを汲む仏教を日本に広めようとしたのは、
そもそも神道自体がミトラ教の流れを汲んで作られているので、何ら不思議ではない。
よくそこまでご研究を。おっしゃるとおりです。
ひとつ。仏教はインドの西イラン高原でミトラ教から成立・発展・文書化されたミトラ教の別の顔です。 古代は女系継承の方が多いし、神社は特にそう。
娘が残ってて、婿を取れば大神家が続くなら、それは全然「断絶」とは言わないな。 物部と蘇我の争いは、仏教の受容、排斥を巡る争いではありません。
物部の邸地跡からも寺院の遺構が発見されていまして、つまりは物部も仏教はそれなりに受容していましたので。
あれは実際は朝廷の祭祀長の座を巡る戦いです。 >>237
なら継体天皇にも王朝の連続性の問題は無いな >>14
支那皇帝だって世襲大原則だろう。
アスカ大帝国のパクリの『スメラミカド=宇宙の王の王』を僭称しているのだから。
日本は儒教ではないし、そもそも儒教は宗教ではない。
支那は昔からずっと呪術だ。
日本は縄文神道からアスカ教たるミトラ教神道へとスムーズに融合して今に至る。
歴史が超絶長いよ。
>>16-1
>和を以って尊し・・・なんかは儒教的だな。
それはミトラ教=神道を重んじよという意味だよ!
ミトラ教のアスカ大帝国は合議制を採用してい続けたからね。
合議制=和を以て貴しと為す。
>というか儒教と大乗仏教が同時に輸入されたと思える。
ミトラ教とミトラ教救世主思想仏教の同時導入だよ。
だから所詮ミトラ救世主思想劣化バージョンにしか過ぎないキリスト教は日本に根づかなかったわけ。 >>16-2
>いずれにしろ神道や皇族の作り上げた宗教観というのは、
渡来人が日本列島に持ち込んでごちゃ混ぜにした宗教観ってことだ。
ミトラ教ほど完成された体系だった宗教はほかにない。
>唯一、日本にオリジナリティがあるとすれば自然崇拝しかない・・・orz
自然崇拝=多神教=ミトラ教
縄文文明の宗教は他地域アニミズムとぜんぜん違うよ。
>自然崇拝は世界どの地域どの民族にも普遍的にありえた原始宗教の基本だからね。
アマテラスなんてのは日本オリジナルの神ではないwwあれは太陽神ミトラの成れの果て。
太陽神ミトラの神母子三面神の神母を担っているのが天照大御神。
子は聖徳太子だった。
聖徳太子は日本と世界の救世主で
聖徳太子は日本をアスカ大帝国の正統後継者として世界に表明する意味もあって
日本の国号を飛鳥国あすかこくとし、国民を飛鳥人あすかじんとする予定だった。
そもそも、日本書紀古事記に垣間見えるスメラミコトのフミ天皇記の日本神話は
ミトラ教神話とまったく同一。
最初の神から以下にして神々と最初の新人が生まれたかを説明しているが、
パターンがそっくり。
これ前に書いたけど。読んでおいね。 漢字が、伝来するまでの天皇はカタカナ表記が正解だと思いますが、
日本の教育本は「記紀によると漢字で・・・」とか表記されてないのが残念です。 教科書の「日本の歴史」は、漢字伝来まではカタカナ表記がいいと思います。
もしくは、「記紀での漢字表記では」の但し書きが必要かも・・・・
神武天皇はジンム?ジンナム、ジョム?かもしれません。当て字でしょう。
大陸の史書に残っているものは、OKですが・・・・・・ 漢字は朝鮮から伝来してます。
ハングル文字は庶民の文字で、朝鮮の王族は漢字です。
漢字を上流階級のみに制限した結果、ハングル文字が生まれたのは周知の事です。
百済のブネイ王の末裔を桓武天皇は妃としています。 ブネイ王?
無理に結びつけるのも変だと思うけどね? >>247 平成天皇や宮内庁も認めてるのですが・・・・ >>248
桓武天皇の生母である高野新笠は、武寧王を遠祖とする渡来人系の和氏の出身という記述が『続日本紀』にありますが、
宮内庁は言い過ぎでしょう。 >>249さん
続日本記も含め、記紀の危機ですね。
>>245さんは、わかり易いですが、現在日本史ということで漢字でもいいのでは。
神武天皇が現存したと思ってる方は少ないですよ。神話です。
北朝鮮の金一族の神格化と似ていて、怖い時代だったのでしょう。 今の天皇と関係ない話ですが・・・今天皇も生活は保障されてますが、気苦労の多い職務です。
五色の賎や良賎の令なんぞは、朝廷の貴ぐらいを示したものでしょう。
中国や朝鮮でも賎民は反逆者か征服されたものの象徴です。(王が誰がつくかにより、賎民も変わりますが) 神武から光仁までの漢風諡号は淡海三船がまとめておくったもの。
当然、イワレビコが在世中に神武天皇とか和風諡号のハツクニシラススメラミコトと呼ばれていたわけではない。
だが、日本史や世界史では、天皇や帝王を諡号で呼ぶのが慣例。
奈良時代におくった漢風諡号を、カタカナ表記とかナンセンス。 教科書の子供の教育じゃないんだからさ。
考古学で書き込むなら、
日本に漢字伝来するまでか?記紀が書かれた以前の(大陸の史書にあるもの以外)は
カタカナで書いてほしいものです。
ジンム天皇とか・・・・・・ 大乗仏教はあらゆる考え方が許されるから国教じゃないぞ
真言から浄土真宗まである。
どれも異端じゃない。 >>255
で、わざわざ漢字を使って中国風の諡号をおくったのに、カタカナにする理由は何?
やまと言葉に適当な漢字で当て字した言葉なら、カタカナ表記する意味があるけど。
実在最古の天皇、雄略天皇を本名の諱でワカタケル大王(オオキミ)と表記するなら、当時の発音の再現だから意味があるが、
後からおくった漢風諡号の雄略をユウリャクと表記する意味はない。
漢風諡号は中国の諡法を参考に漢字の意味を考慮して付けられたものなので、
漢字表記しなければ意味が充分に伝わらない。
漢字伝来以前の言葉を尊重したいのなら、やまと言葉だけカタカナにすればいいのであって、漢語の読みをカタカナにするのは筋違い。 大王はオオキミ、古人大兄皇子を調べてて分かったが阿なんとかから始まる漢字4文字でオオキミなんだね 神武天皇は南九州に「天孫降臨」し、海路で奈良に「東征」した
ここが肝だよね
みんな歴史教科書の刷り込みによって無意識的な盲点があって
それは日本の古代史には中国と韓国しか登場しないっていう思い込み
天皇は、ポリネシアンだよ
正確に言えば後にポリネシアンと呼ばれる東南アジアからカヌーに乗って太平洋に出た海洋民族
それが天皇のルーツ
だから南九州に降り立ったんだし、南九州から陸ルートではなく海ルートで奈良に行ったわけ
天皇一派ってのは騎馬技術より海洋技術に長けた一派だったってこと
天皇が天孫降臨した時代に中国北部や韓国の民族が日本に来ることはありえないんだよ
だって彼らは陸の民であり騎馬技術はあっても海洋技術はないから
古事記によると神武天皇の身長は3メートル以上あると
これはもちろん神話ならではの誇張表現なんだけど
つまりは大男だったってことだよ
そりゃそうだ
日本人がどんぐり食ってる間、天皇一派は毎日魚(動物性たんぱく質)を食べてカヌーこいでたんだもん
そりゃ日本人からしたらとんでもないガチムチの大男に見えただろう やはり、日本人は、縄文人と、渡来人とその相の子なのですか。
縄文人=被征服者 渡来人=朝廷に代表される征服者 今の日本人は相の子ばかりでしょうか。 縄文人の祖先がデニソワ人と交わった可能性をゲノム配列から探る
斎藤成也
国立遺伝学研究所 集団遺伝研究系
総合研究大学院大学 生命科学研究科遺伝学専攻(兼任)
東京大学大学院 理学系研究科生物科学専攻(委嘱)
日本列島は南北に4000km以上にわたっており、アイヌ人、本土日本人、琉球人という3人類集団が居住している。
これらの人々の起源はながいあいだ研究されてきた(総説としては斎藤成也[2005]を参照)。
頭骨データの解析にもとづく定説は埴原和郎(1991)の提唱した「二重構造モデル」である。
このモデルによれば、日本列島への最初の移住者は東南アジアのどこかから後期旧石器時代にやってきて、縄文人の祖先となった。
第二の移住の波は弥生時代であり、こんどは北東アジアから人々がやってきた。
縄文時代以来の原住民と弥生時代以降の渡来民はゆっくりと混血していった。
日本列島の最北端の主たる島である北海道に居住するアイヌ人と南西諸島の琉球人(沖縄人)が地理的に大きく離れているにもかかわらず、
これらの人々のあいだの形態的類似性があることに対して、 このモデルは整合性のある理由を与えている。
両人類集団の類似性については、100年以上前にvon Baelz (1911)がアイヌ琉球同系説として提唱している。 日本列島人類集団遺伝学コンソーシアム(2012)は、アイヌ集団と琉球集団についてゲノム全体にわたる単一塩基多型(SNP)を決定し、既存データと比較した。
この論文はこれらゲノム全体にわたるデータについての最初の報告である。主要な結果は
(1)二種類の解析から、1/3以上のアイヌ個体について、本土日本人との最近の混血が観察された、
(2)アイヌ集団はもうひとつ別の集団との混血を経験したらしく、この二種類の混血の組み合わせはこの集団に特徴的である、
(3)東ユーラシア人類集団の系統樹において、アイヌ人と琉球人は100%のブーツストラップ確率で強固にクラスターし、本土日本人がそれとさらにクラスターする。
これらの結果は、日本列島人についての二重構造モデルを明確に指示するものである。ただし、縄文人と弥生人の起源についてはまだ未解決である。
そこでわたしたちは縄文時代の人々の細胞核ゲノムの塩基配列を調べた(神澤秀明ら、未発表)。これら古代DNAこそ人類の歴誌の直接の証拠だからだ。
その結果、現代人でもっとも縄文人に遺伝的に近いのはアイヌ人であり、本土日本人も縄文人のDNAをしっかりと受け継いでいた。
また縄文人の祖先集団がデニソバ人からの遺伝子流入があった可能性も、統計解析から示唆された。
ネアンデルタールとサピエンス交替劇の真相:学習能力の進化に基づく実証的研究
http://www.koutaigeki.org/PDF/general/meeting/2014.5.10.pdf 良賎の令から言えば、良民(渡来人)と賎民(縄文人)との間の子は良民とされたから
ほとんど、縄文系と大陸系の血を引いていると考えられます。 オオキミ論どうなった?
君主の名をオオキミ、婦人をキミという 壬申の乱を起こした連中は前の政権を滅ぼして
古事記、日本書紀なんかで乗っ取りを正当化している。
これは、渡来人の仕業。九州は既に渡来人に征服されてたから、渡来人の東遷であり、
邪馬台国は東遷していない。畿内以西で渡来人に滅ぼされたのだろう。
オオキミなるものも、創作では? 王朝交代説の泣き所は考古学的な証拠が無いこと
あと、王朝交代を正当化する論理が中国の儒教にあるのに、
それを用いずに、わざわざ万世一系を捏造する理由が乏しいこと >>270
武家の棟梁自体が天皇の子孫であることをウリにして(自称を含む)
周囲の武士たちを従えていたのだから仕方がない 武家政権自体は仏教に帰依してるところも多いから一概にそうとも言えない ただ、その仏教の世界も世俗のヒエラルキが反映されるようになったがな。
そもそも、出家集団は年功序列がデフォだが、しだいに皇族や貴族出身者が要職を占めるようになる。
また、寺院の格も天皇の勅願寺や門跡寺院が宗派内で上位を占めるようになる。
天皇在位中は神事がある為いろいろ行動を制約されるが、譲位して上皇となれば治天の君として政務をこなしたり、出家して法皇になったりと、かなり融通がきくようになる。
法皇や法親王のような貴種は仏教界においても特別待遇されたのは言うまでもないし、仏教界に厳然たる影響力を持っていたことも言うまでもない。 >>18
>実像はどうであれ、少なくともネーミングはユダヤ&キリスト教そのまんまwww
ミトラ教そのまま。
だってミトラ教最高位神官だもの。 『新撰姓氏録』
新良貴氏「是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者祖合」
これ新良国に出ず。すなわち国主なり。稲飯命新羅国に出て王は祖合す。
新羅国の王族は天皇の兄弟。 「クイズ!?正解は出さないで」のナレーションで花山天皇を「はなやまてんのう」と呼んでたな 徳島県教祖 四国初中に支援金伝達
徳島県教職員組合から四国朝鮮初中級学校に150万円の支援金が送られた。
5日、徳島県教育会館で県教組・富田真由美書記長が四国初中・呂東珍校長に手渡した(写真)。
総連徳島県本部ではこれまで学校訪問や朝・日交流の場で、
四国初中が60余年の歴史と伝統を誇る四国で唯一の民族学校であり
同胞学父母の熱意と協力によって運営されてきた経緯と現状について訴え、民族教育に対する支援を呼びかけてきた。
これを受け徳島県教組は、日教組が全国的に行っている街頭での「子ども救援カンパ」の一部を四国初中へ充てるよう申請し、積極的に働きかけた。
こうした試みは全国初だという。
富田書記長は、「行政の民族差別もあり、
学校運営の厳しさを知っていただけに何か出来ることはないかと日頃思っていた。
支援金を渡せて、大変うれしく思ってる」と述べ、学校関係者にエールを送った。
呂東珍校長は、「厳しい状況の中でこのような貴重なカンパ金をいただき深く感謝している。
これからも、朝・日交流のさらなる発展のため、力を注いでいきたい」と語った。
毎年恒例となっている学校訪問についての話し合いも行われた。
12月5日に教職員、児童生徒、父母らとの交流、意見交換会を開くことが決まった。
[朝鮮新報 2009.8.21]
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/03/20090821j002.jpg
ttp://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2009/03/0903j0821-00001.htm キミ=元々は貴人をの呼称で古新羅系がクンの概念を持ち込み意味を当て嵌めた
オオキミ=クン→ダイクンの概念を古新羅系が持って居りその影響でオオキミができた
時代が下って外来人の勢力が強まると大君>君の用法が強まり王乃至大王に当て嵌められる様になった
しかし元々は主(ヌシ)で表されていたと考えられる 万葉の大らかな君が代を中央集権国の国歌に押し上げたのも侵略の象徴として扱き下ろしたのも韓国人 >>274
天皇の宗教はミトラ教?
ミトラ教は悪魔崇拝とどこかで読んだが、天皇は悪魔崇拝してるってこと? 万世一系こそ厳然たる日本の掟であり
天皇位の実子相続はされないことが普通であって基本である。
神武→綏靖
崇神→垂仁
くらいが例外である。
垂仁は最初の掟破りであり、殺されないように
野見宿禰という異能の武道家がガードにつけられていた。 宗教から歴史、天皇、政治経済、朝鮮問題、教育問題まで
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「中杉弘のブログ」
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「中杉弘の徒然日記」
http://ameblo.jp/nakasugi-hiroshi 突然だが、新説である。
☆ 八幡大権現のハプログループは何か?
八幡大権現とは、応神天皇のことである。
応神天皇とは、仲哀天皇の息子といわれているが、神功皇后が仲哀天皇の死後三年たってから出産した天皇である。
現在の天皇は仲哀天皇の血を引いているため、天皇であることに何の問題もないが、
応神天皇は、神功皇后が別の誰かの種をもらって産んだ子だと思われる。
ずばり、
八幡大権現は、日本の天皇家直系ではない!!!
八幡大権現は、神功皇后の謀略により一度は日本を支配した天皇。
八幡大権現のY染色体ハプロは何型なのか。
今後の遺伝子解析に期待したい。
しかし、仲哀天皇─継体天皇の子孫ではなく、応神天皇の子孫である者が現在残っているのだろうか。 藤原不比等が天智天皇のご落胤だったは本当かな?
そうなら日本人の大部分は天智天皇の子孫だ >>291
少なくとも平安時代の藤原氏はそう思っていた。
藤原は鎌足にのみ与えられたので不比等の子孫だけが藤原氏で、それ以外の中臣氏は中臣のままである。
竹取物語の登場人物のひとり車持皇子は不比等がモデルと云われており、不比等の母方が車持氏。
大臣でなく皇子とされているところから物語が成立した頃は一般に信じられていたらしい。
持統天皇の不比等への厚い信頼は異母兄弟であったからとも思える。 >>293
藤原姓は鎌足のみに与えられたのではなく親族の旧中臣の者も名乗っていた
そのため不比等が文武天皇に詔を出させてわざわざ藤原姓を自分と自分の子孫に限定し
他の連中を中臣に戻らせている
「詔曰。藤原朝臣所賜之姓。宜令其子不比等承之。但意美麻呂等者。
縁供神事。宜復旧姓焉。(続日本紀 文武2年)」
不比等落胤説が平安時代に流布していたのが分かるのは
竹取物語の車持皇子のモデルだからではなくて
平安時代成立の「大鏡」にそういう記載があることから
あと、不比等の天智天皇落胤説では不比等の母親を
車持与志古ではなく鏡王女とするものがある(「興福寺縁起」) 車といえば群馬はグンマと呼ばれているがこの呼び方だと本来はグンバになるのが正解な
群馬の正確な呼び方は群馬(くるま)県が正解だ 古代、栃木群馬県境で利根川水系を巡る日本最大の決戦が行われたのが
天下分け目の
戦場ヶ原の合戦な^o^ >>294
鏡王女が鎌足に与えられたのが不思議だ。
皇族の女性が臣下に嫁ぐことは禁止されていたはずだが
それほどまでに鎌足の功が大きかったからか
あるいは、鎌足= 豊璋説を考えるべきか >>297
今みたいなことはないから
中臣氏より百済王の方が上だよ、わざわざ隠すことはないぞ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています