天皇の日本史
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日本の天皇というのは独特なもので、いわゆる万世一系ですが、
長い歴史のあいだには、いつそのまま亡びても不思議はないほどの
危機を何度も経験しています。
天皇の地位が力で奪えるものであったなら、藤原氏、源頼朝、北条泰時、
織田信長、豊臣秀吉、その他日本史の上にあらわれた実力者たちが、
いつでも天皇に代わることができたでしょう。
しかし実際には二千年近くのあいだ一度もそんなことは起こらなかった。
これは日本の不思議であり、日本史の不思議です。
ヨーロッパだったら王を倒した者はそのまま王になる。
そのため近世のはじめまでは血腥い戦争の連続だった。
日本ではむしろ相争う権力者の両方が天皇をかつごうとする。
なぜか?
それを実際の歴史に即して考えてゆくのがこのスレのねらいです。 そもそも男系、女系と分けて考えるから、差別的だと勘違いされる。
せめて父系、母系と呼ぶべきだが、それも誤解を招くだろう。
正しくは「一系」だ。皇位継承で本質的に問われているのは、
「万世一系」を維持するか、放棄するか、ということなのである。
世界に比類なき“万世一系”
万世一系を理解するには、宮内庁のホームページに掲載されている
「天皇系図」をみれば分かりやすい。
神武天皇から今上天皇(天皇陛下)まで126代にわたる天皇の系図が、
わずかA4版2ページ余りで示されている。
他国の王家の系図なら、枝分かれが多くて10代も遡(さかのぼ)れば
ごちゃごちゃになってしまうが、天皇家の場合、父系をたどれば
神武天皇へつながる1本の線で示されるので、これほどすっきりしているのだ。
https://www.sankei.com/premium/amp/191130/prm1911300006-a.html?__twitter_impression=true >>402
興味深いですね
「同寺では、御流神道の教えを目で見える形で伝えるために描かれた
「三種の神器図」が4月に県内で初めて見つかっており、
射水市新湊博物館の松山充宏主任学芸員は
「福王寺が地方の御流神道の発信源だったのが分かる」としている。
江戸時代に、京都から遠く離れた射水の人々も、
書物から藩主や将軍の上位に天皇が存在する事実を理解していた
と考えられるという」
20世紀に「江戸時代の日本人は天皇のことなど一ミリも知らなかった」
とのたまわっていたインチキ左翼学者に見せてやりたいですな 「禁中並公家諸法度」第6条
一 養子者連綿。但、可被用同姓。女縁其家家督相續、古今一切無之事。
(家の相続に関して、養子を迎える際には同姓の家を選ぶように、
また妻の縁類からの家督相続は古今一切見られないことと女系を
i一切否定した内容である) 承詔必謹!】
【天皇陛下、愛子天皇を否定!】
【天皇陛下、女性天皇を否定!】
天皇陛下におかせられましては本日のお誕生日における
お言葉にて、愛子内親王殿下について
「自分のやりたいことを見つけ、将来への希望を描いていってもらえれば、
と思っております」
と述べられ、女性天皇、愛子天皇ということを明確に否定され
愛子内親王殿下に自分の希望どおりの人生を歩んで欲しいことを
明確に示されました。
天皇陛下の意向を受け、「女性天皇」、「愛子天皇」の
各論は今後その言を慎むべきであろう。
https://www.sankei.com/life/amp/200223/lif2002230013-a.html?__twitter_impression=true 日本建国神話は解ける!邪馬台国・卑弥呼と古事記・日本書紀
https://youtu.be/dpvgazUkMKk
魏志倭人伝・古事記・日本書紀で邪馬台国・卑弥呼の謎は解ける
https://youtu.be/m3W7AXhe35o
投馬国=出雲国、邪馬台国=大和国|古代主要航路・日本海沿岸水行
https://youtu.be/WPM1APRgrDo >>5
遅レスするけど
聖徳太子とされる人が上手に勧誘したんだと思う 聖徳太子は、必ずしも仏教導入に成功してるとは言えないかも?
上宮法皇として、僧侶の王を目指すことで天皇の尊厳が仏の下に入ってしまう。
律令国家形成においても隋唐に師事低頭してはいけない。白村江が正解である。
仏教公伝の背景として律令国家を隋唐に習ったのは言うまでもないが
国司の赴任のみではなく、庶民の生老病死、教育、医療を
国分寺、氏寺、神宮寺に任せ 同時に地神、氏神への信仰を公布。
この背景に古事記日本書記の神道を埋めておいた。
日本史上の支配層においては、一族の連携や縁組を重んじる武家が、
祖霊、祖神、地神を裏切る、踏みにじることは無かった。 >>405
大御神のお印
医療用大麻液
https://a.r10.to/hIB4u6
マッサージで言うと 経絡(つぼ)を視点化するような感じです 日本の氏族長、貴族長の天皇がいる限り日本は古の王朝だ。 ちくま新書「天皇と右翼・左翼−日本近現代史の隠された対立構造」は読んでいますか?
理解が難しくはないですか? 古代では一度大王(天皇)の地位につくと死去するまで次の大王(天皇)はたてられなかった
最初に生前譲位して上皇になったのは女帝皇極
皇極はしかも2度目の即位重祚も初めてやっている
何でもありだったのか?
弟や息子が実権握ってた飾りなので何でもありだったのか? 1300年前に新羅が倭国を制圧して、新羅の王子が天皇を名乗った
これが天皇の始まりであり
もう千年前からの神話上の天皇は、後ででっちあげたものだ
ところで1300年前から始まる天皇というのは
日本で何をしていたのか?というのが問題だ 自国の文化や歴史を押し付けるのが征服王朝。新羅や百済は日本の犬でしたね。残念でした。 逆賊大海人皇子がクーデターで日本を乗っ取り、天皇を自称した
ついでに国号も倭から日本に >>420
あれは8世紀以降だろ?
天皇家以外の野蛮な民の慣しを引き継いだだけでは? 歴史に円がある人は、通貨発行人になれ
当今様(天皇陛下)は貨幣を発行できるが、つまり奏上すれば通貨発行人になることができる
例えば歴代天皇に仕えてた子孫など、他神風軍、ヤマトタケルの子孫、三重県の人たちなどなど、お金の発行からもう一度始めよう。
何ならば紙幣でも良い まず作る必要があるのが
・造幣所(天皇陛下に奏上)
・そこで働く(皇族関係者、または親近者)
・この時点で億万長者とする(貨幣だけでも発行は無限に増加することができる)
↓この仕組みから
ここから雇用を作る(給料を渡して割り振る)
・改国憲法立案者
・学校教育関係
・神宮建築業界
・農民
応神天皇→継体天皇のように、何も無きところにも御世代の縁がある皇族もいる
一見無縁の人たちも、目を覚ましてもらう >>425
恵美押勝もじゃなかったっけ
貨幣発行権利 日本とイスラエルは兄弟である。(日ユ同祖論)
ダビデは天皇であり王であり権力者である。
イエス・キリストは神であり反権力主義者である。
ユダはイエス・キリストを無理矢理に王にしようとしたが、
神であるイエス・キリストが世俗的な権力者になるわけがない。
イエス・キリストは究極の非暴力主義者である。
国家は必要悪である。
歴史とは権力と暴力による力ある犯罪者どもが作ってきたものであり愚民どもは
それに洗脳されている。
イエス・キリストこそ唯一の神である。
天皇はただの犯罪者であり滅びるべきである。 >>431
支離滅裂なコピペをマルチしても意味ないよ
そして日ユは遠い親戚でしかないよ >>431
あと、神はヤハウェであってイエスキリストではないから
バカなの? >>5
でも支配者層から見れば仏教は魅力的だったんでは?神道にはストーリーしか無いけど、仏教にはストーリーだけでなく上下の観念を正当化する力がある
インドでも中国道教でも、本地スイジャク説が成功して仏教を上書きすることが出来た実績があるわけだから、日本神道でも間違いなく成功すると踏んだのでは >>5
あと、宗教として許したのではなく、ただの支配システムを導入しただけのことじゃないかと思う
キリスト教みたいな一神教を導入するとなれば気が触れたのかとしか思えないが、仏教は多神教だし現宗教へのドッキングが可能だから >>28
大陸の方の一族の話でも、兄が皇位を継いだ途端に弟たちが夜逃げして別天地に国を建てる話が良くあるし、権力争いで殺されるなんてのは当時普通だったのかもね 中国道教は黄巾の乱が始まりだしそれ以前は儒教一色でしょ
最初は道教なんて国の役人たちが認めないから成立すらありえないわけ
国教として栄えるのは後世だしね つまり反乱を起こした連中らが信仰し始めたのが始まり 魏の連中らはそのころにはかなり仏教を信仰する連中らが増えていたからそっちの調査だのに乗り出しているだ
どっちかっちゃ役人ら主体でそのあとは国教として仏教成立に協力したりしとるわけ
日本に来た司馬〇〇みたいなんは仏教僧として来たって書いたよね 日本にも道教が入ってきた年代も仏教が入ってきた年代もはっきりしとるよ
日本の神道は道教と似て非なるもんだよ 唐はどっちかっちゃ中国で成立し始めていた中国仏教を国教に据えたが正解なんやね
中国仏教を国教として活動してきたのが魏の役人らなんだよ シナ大陸からの日本列島移住者の流れは二つに大別される
@シナの王朝に朝貢する民族
旧呉国滅亡後 直接列島に移住してきたワ人は反越意識が強く
王朝の好意を得て大陸の越に反攻したかった
Aシナの王朝に対抗意識を持つ民族
同じワ人だが 旧呉国滅亡後 大陸北部へ逃れた集団は
そこに建国したが シナ王朝に攻撃され 半島に逃れ
そこから日本列島に移住してきたので 反越意識はなく
大陸へ反攻する気もないから シナ王朝に媚びる理由もなかった
後に越滅亡後越人も列島に逃げてきたが 反越の旧呉人が占領していたので
出雲の外れに住み着いた シナ大陸からの日本列島移住者の流れは二つに大別される
@シナの王朝に朝貢する民族
旧呉国滅亡後 直接列島に移住してきたワ人は反越意識が強く
王朝の好意を得て大陸の越に反攻したかった
Aシナの王朝に対抗意識を持つ民族
同じワ人だが 旧呉国滅亡後 大陸北部へ逃れた集団は
そこに建国したが シナ王朝に攻撃され 半島に逃れ
そこから日本列島に移住してきたので 反越意識はなく
大陸へ反攻する気もないから シナ王朝に媚びる理由もなかった
後に越滅亡後越人も列島に逃げてきたが 反越の旧呉人が占領していたので
出雲の外れに住み着いた .
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では7000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。
その時代差、約5500年。
その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。
商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。
縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。
中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。
. 古代の天皇と言うかオオキミって、
合議制共立で卑弥呼もそうだった様に
必ずしも万世一系の存在じゃなく交代してたように思う
万世一系はずーっと後世の中華皇帝の思想が入って来てからだと感じるな。 ちょうど共和政ローマの政治体制のように自分から皇帝にはなれない
元老院・政務官・民会の三者によって成り立ってたように
魏志韓伝などにも、辰韓、弁韓、などは自分で王にはなれないと書いてる
12か国の合議制で運営されており、出雲でも神々が集って政治をしてる。 物部王朝や葛城王朝があったと
そういえば百済王から贈られた七支刀が物部の手元にあるって変じゃね 大体、倭、韓、カイを監理してた楽浪、帯方郡が高句麗に潰されたのが313年で
その後百済や新羅が王位を名乗ったのが350年ころ
で倭の五王、初代応神が即位したのが370^390年ころと云われてるからな
それ以前の王朝はだれ?と、
一応崇神朝が10代から14代までで纒向辺りに古墳がある そこへ行き成り大阪大和川南部に墓地を構え
応神はまだ山際だけど16代仁徳となると当時は波打ち際の岸辺沿いに
巨大古墳仁徳陵とは、なんか過去の王朝とは断絶してるような .
中国大陸には7000年前の河姆渡遺跡の時代から皿という器種がありました。
あちらで皿は盤と呼びます。
ところが、縄文末に渡来した弥生人は鬲や鼎どころか、皿(盤)の一枚さえも
伝えませんでした。
日本に皿という器種が伝わるのは4C末の古墳時代です。
中国大陸には7000年前からある皿という器種を我々の祖先は古墳時代まで
知らなかったのだ。
その時代差、約5400年。
弥生人が中国大陸から来たと吹聴しているヤツはガチで中卒です!
. >>448
七支刀はどうも370年代に贈られたようだね >>447
魏志韓伝見てると、倭人の風習とソックリだけど
大木を立てて鐸や鈴を掛けて天神を祀り飲食をするなんて、
まんま日本の祭りシーンで特に諏訪の御柱まつりみたい
伊都国の卑弥呼の墓伝承地には東に大木柱を立ててたらしいし
吉野ヶ里遺跡などでも大木を立ててる。 まあ天の御柱神だろな。 と言うことは韓とは入れ墨の風習をやめ近代化した倭人で
頑固に入れ墨の伝統を守ってたのが
半島南部や九州北部の海岸沿いが生活圏の倭人て事か
初期新羅王は韓国の伝説でもタバナ国の倭人だと云われてるが
韓伝では辰韓の王は馬韓人だと言ってる、やはり古代の韓と倭は同じ倭人なんだ 「山海経」の「蓋国」とは不詳であるが、高句麗には「西蓋馬」があり
(『漢書』地理志)、「蓋馬大山」があった(『魏志』沃沮伝)とあり、
そのことを意味すると思われる。
この読み方であるが、『蓋国は鉅燕の南、倭の北に在り倭は燕に属すと ...
朝鮮半島には縄文人たちがアイヌたちのように先住民として暮していた
そこへ中華内陸から避難民、移住民、侵略者として
弥生人の先祖たちが来、混血して倭人化して行った。 百済「辰斯王」や扶余隆の墓誌「百済辰朝人也」とか
あれっ、百済は高句麗と同族の扶余人伝説が? 「山海経」の「蓋国カイ・ケ」、濊族カイ、濊貊カイバク、蝦夷族カイ、蘇我蝦夷エミシ、
甲斐の武田、戎カイは日本語でエビスで胡で蛭子(ひるこ)で全て「カイ」
『三国志』や『後漢書』では交易するほどの文物なし、身体不潔、野蛮で粗暴な質、
近親相姦の広範な風習に目を背けた 、「その人々臭穢不潔」な穢族・ワイ族とは
ツングース系エベンキ族、挹婁(ゆうろう)の事で 「カイ」族とは違う民族。 七支刀
七枝刀
六叉の鉾
これが作られた経緯とか理由って分かってるの?
サメを横から見たような形に見えるけど気のせい? >>458
「濊」はワィ
「戒」はジゥと読むのでは?
甲斐国と一緒くたにするのは乱暴かと 名碑鉄剣なんてな刀身に自分のルーツ書き込んでるんだぜ 刀身に漢字の金石文を浮かし彫りで彫ってあるんだわ
こらもまた古墳時代独特 .
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》
クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!
耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!
伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. >>458
高麗、 巨摩、 狛、 駒、
倭人(後の日本人)たちは、これらをコマと発音するのも「山海経」の「蓋国」からの
「蓋馬」ケマからコマへと変化したのかもな。 ついでに熊クマも。
楽浪漢人たちは高麗、句麗、をクレとかコリョと発音したんだろう
なお、「高句麗」はずっと後に王氏高麗と混同しない為の学問上の仮の国名だからね。 のちに高句麗人たちは日本に移民してるんだから
発音は当事者で間違いないはず
京都などには木津川沿いには広い狛郡(コマぐん)が今でも地名として残ってる。 「山海経」の「蓋国ガイ・カイ・ケ」、濊族カイ、濊貊カイバク、蝦夷族カイ、
甲斐、戎カイは日本語でエビスで胡で蛭子(ひるこ)で全て「カイ」
戎カイは下にもあるように西方異民族で胡とか言われる人種、軍団で
高句麗人の中には可なりの人数が居たんだと思う、埴輪にもトンガリ帽子の集団が居るし。
@つわもの。兵士。軍隊。
Aいくさ。武器。戦争。「戎器」「戎事」
Bえびす。古代中国の西方異民族。「戎夷(ジュウイ)」「戎蛮」
Cおおきい。さかんなさま。 >>466
石皿は木の実や穀類を磨り潰すための道具で、食べ物を乗せる器ではない そこで問題のヒルコ神(蛭子神)|恵比寿様と同一とされる神様で
この神は、イザナギ・イザナミの神が日本国土を創世する際に、
その御子として生まれましたが、手足の不自由な負具者と描かれ、
天磐櫲樟船(あめのいわくすぶね)に乗せられ流されたと記されているけど
この話は、いわゆる自分たちアジア系人種のなかで、自分たちとは違う
胡、戎カイと呼ばれる西方異民族を負具合者、蛭子として説明したものだと思う。 そこで話は変わって、神話時代だけれども
イザナギ神話に国生みでオノゴロ島が出てくる、
通説では淡路島と成ってるがこれは、書紀時代の創作で、
真実は博多湾にある能古島(ノコのしま)と小呂島(オロのしま)の事
博多湾が神話の原風景でそれらが全国に広がって観光地化されてしまった。
天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神が
@ 造化の三神(ぞうかさんしん) 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)など
A 別天津神(ことあまつかみ) 天之常立神(あめのとこたちのかみ)
B 神世七代(かみよななよ) 七代目の神がイザナミ・イザナギ
C 日向三代(ひむかさんだい) が有名なニニギの天孫降臨 471
三の関って関所が置かれそれより東側を関東と呼んでますが?
関所置くのは東国からの侵入を防ぐため 神世七代の七代目の神がイザナミ・イザナギで
海辺育ちの方ならピーンと来るだろうけど、
ナギとは凪で静かな海、ナミとは波で荒れた海、
つまりイザナギとは博多湾にある能古島でイザナミとは玄界灘の荒れた海にある小呂島。
イザナギである能古島に天の御柱である大木柱を立ててイザナミが輿入れをし
大木の周りをくるくる回り結婚したと言う古代部族時代の伝説話なわけ。 .
日本最古の稲作遺構である菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具だって当時の
中国とは全く違ったものが伝わっている。
と言うか、当時の中国の耕作用農具が日本最古の稲作遺構には一つも伝わっていないのだ。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古の耕作用農具 → クワ、エブリ 《すべて木製》
◆同期する中国の耕作用農具 → 耜、鋤、犂 《すべて石刃》
クワ、エブリに該当する耕作用農具が当時の中国にない!
耜、鋤、犂に該当する耕作用農具が日本最古の稲作遺構にない!
伝わった日本最古のイネの粒種だって違う。
◆菜畑遺跡に伝わった日本最古のイネ → 短粒種のみ
◆同期する中国のイネ → 中粒種が半分近く混ざったもの
稲作が長江やら江南やら中国から伝わったと吹聴してるヤツは中卒です!
. >>474
日本書紀などは8世紀に藤原氏の意向に沿って創作されたもので
真実は伝説や、他の先代旧事記や平安時代の能や謡曲に封印されたものが有るらしい >>478
出てこない
縄文時代に皿形土器があるのは沿海州と交流していた東北北部だけ
それも一世紀ほどのわずかな間だけの生産だけで、出土数もほんの十数枚くらい
それ以外の地域は4C末に百済陶工が来日して盤を生産するまで待たねばならない
そのリンクも上のリンクは間違いなく縄文時代の東北北部の皿形土器だが、
下のリンクは平安時代以降の灰釉段皿
灰釉陶器が日本に登場するのは平安時代以降である
https://museum.umic.jp/maruko/archaeology/ichiran.html
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%81%B0%E9%87%89%E9%99%B6%E5%99%A8 >>462
え?7つの枝だから6つの裂け目なんだろ?どれも同じこと言ってるぞ? >>471
あなたはそういう差別的な話に結びつけたほうが愉しいのかもしれんけど、
単純に昔は結婚して最初の子どもは自分の子じゃない可能性あるから血族として継がせられない→捨てたり養子にしたりしていたという風習の名残なのでは
足たたずというのも何らかの比喩表現なのではないか
例えば父方は流浪の民なのに対して母方と長子が定住する民=根を張る=足たたずであるだとか
日本神話では、イザナミはヨミに/スサノオはネノクニに腰を下ろして定住したかのような描写、イザナギの息子がそういう性質ではダメだったってことじゃないのか >>475
いや淡路島の大渦の成り立ちだと思うけど >>459-462
七星剣(しちせいけん)は、中国の道教思想に基づき北斗七星が意匠された刀剣の呼称。
破邪や鎮護の力が宿るとされ、儀式などに用いられた。
七星刀、七星宝刀とも。
『呉越春秋』に、伍子胥が先の楚王から授かった百金の価値ある剣として、
七星剣の記述がある。
日本における七星剣
中国の道教思想に基づくとされる日本の直刀。
歴史的価値を持つとされる七星剣が四天王寺や法隆寺に数点現存確認されている。 >>484
道教と習合した結果かもしれんが
それ以前は別の宗教観があったのかもと考えると楽しい >>475
柱ってのは単純に木柱のことだけを言う訳じゃないからなあ >>483
日本書記の記述はヤマトに移ってから書かれたため淡島を淡路島と設定してるだけ
国生み神話は性も絡めてるけども情景としては、
塩作りで棒でかき回して水分が蒸発すると表面に塩の結晶が油のように浮遊する
そしてそのまま煮詰めると段々島のように大きな塩の塊りが出来る
それに、天の浮橋とは、博多湾にあった笠沙の岬のような砂洲がたくさんあって
そこで塩作りが盛んだったんだろう。 そう「天の御柱」を立てる文化は馬韓にもあって鐸や鈴を下げて
太陽神が上る処に立てるらしい、
で高天ヶ原へ登って相談したり連絡をとるためのアンテナの役目がある
だから、天の御柱の天上が高天ヶ原で御柱の周り地上が天の原なんだよ。 この伝説が天の御柱なんだよ。 東海上には太陽が昇る「巨大な扶桑樹」がそびえる。
「扶桑ふそう」中国伝説で東方のはてにある巨木(扶木・扶桑木・扶桑樹とも)である。
またその巨木の生えている土地を扶桑国という。
古くは『山海経』に見られるように、はるか東海上に立つ伝説上の巨木であり、
そこから太陽が昇るとされていた。
海東の谷間には、太陽が昇る「巨大な扶桑樹」がそびえる。
太陽や天地にまつわる巨木としては若木や建木などが共に記述として残されている。 >>489
あなたのレスいつも的を射ていて好きなので
アンカーちゃんと付けてほしいな
右向きの半角カッコ2個を数字の前に 決めつけた物言いをする句点長文の人は、他のスレでも白い目で見られてる人だよね >>487
百済から渡来した彼らは、大陸にいたときに中国側の文献を読んだのか倭人のことを知識として知っていたんだよ
だからきっとこの国はあの辺にいた倭人から始まったんだろうということでその辺から東遷してきたということにしただけかと思うよ
書き手の彼らは、最初から瀬戸内海を通ってヤマトにいた人たちなんよ
淡路周辺は拠点みたいなもんなの 道教についてだけど
2世紀には五斗米道あったでしょ 日本の天皇?
騙り、成り済ましなんだから、偉そうなことばかり、語るなと言っているだけ。
かなり有名な話みたいだしな。
日本の天皇よりも、
下だと思われている家などのほうが、実際は上・・・、
正確には中国(中華)からきた家など? テレビなどで言われている、日本の天皇(不明)?
『日本列島』が誕生した頃から住んでいたような話だろう。
天王、天帝・・・でも同じ、ホンモノは、確実に渡来系。 例えば、某(仏教関係)という人物が誕生する以前に・・・、
日本では仏教を語っていたりとか、そういう話と同じ。 十字関係に例えてみても同じ、
某などが生まれてもいない頃から、〜その家(関係者)だと言っていたり。
日本の天皇の家、しょーとくたいしなど? 例えば、仏教などw
【大陸】→【日本列島】
一部の「❓」によると、
日本の天皇(と言っている人物、家など)は、
列島誕生、・・・それ以前から、列島に住んでいるみたいだし。 儒教なども同じ、
某という人物が生まれてもいない頃から、
日本では〜〜(その某という家の子孫、末裔、関係者)〜〜を語っている。 時代的には、最近()になり、わかったことなのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています