信西はあるとき、藤原頼道(摂政・関白)のところへ行き、
自分はこんなに勉強したのに偉くなれないとさめざめ泣いたという話がある。
信西は唐の科挙制度のことはくわしく知っていただろうから、
門閥制度の現状に対して激しい不満を抱いていたと思う。