任那(日本府) 加羅 20
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>>456
中卒だろおまえ。
搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
と書いてあるのが見えないか?
その移動集団がメインで作っていた生活土器しか使わんのだカス。
マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ゴミカスYではありませんよ。 >>459
> ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した
台湾および華南だなあ。華南のどこかまではわからないようだが。 あやしい本ではあるが東日流外三郡誌には
「神武天皇は本名サヌで、南方から稲穂を持ってやってきた」
と書いてあるが、
台湾からやってきたといえばツジツマは合うかも。
そういえば神武天皇の側近が顔にまで入れ墨をしていたと古事記に書いてあるなあ。 >>460
江南から華南、および台湾あたりが候補で、台湾が最有力らしい。
これはポリネシア人の祖先のラピタ人が遺したラピタ土器の特徴が印文土器と
一致しているため。
フィリピンを経由しているから、地理的にフィリピンに一番行きやすい点も
台湾は最有力。 >>461
で、台湾から渡来定着したことを証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる台湾系土器と中国系農具と、当時の台湾の中粒種のイネは?
. >>459
>搬入土器は搬入土器と分かるし、搬入土器からのコピー土器もだいたい分かる
>と書いてあるのが見えないか?
例えの話をしたまで、そんなことは言ってないんだが
新しい様式の土器をもった集団が現れたとして、技術者の渡来があったのか、それとも民族移動レベルのことがあったのかはわからない
>マダガスカル人の祖先がボルネオあたりから渡来定着した事が判った事も、
>ポリネシア人の祖先が台湾あたりから渡来定着した事が判った事も、
>ぜーんぶぜんぶ、土器の力。
ぜーぶんぜんぶ遺伝子鑑定の力だよ
まぁこれよめ
前者はマダガスカル人の故地を決定づけたMatthew E. Hurlesらの発表論文だが、一体お前の言う土器の話がどこに出てくるの?
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1199379/
https://www.jstage.jst.go.jp/article/asj/116/2/116_2_154/_pdf
>ゴミカスYではありませんよ。
やたらYハプロに脊髄反射してるようだがミトコンドリアやHALの形からもいくらでも割り出せる
移動した時期を人骨と一緒に副葬された土器などから推定することはあるが、土器だけで民族の移動ルートを割り出そうなんて前時代的な手法をとってる人類学者は今時いません 紀元前15世紀に侵入したインド・アーリヤ人は故郷であるアンドロノヴォ文化由来の土器ではなく、先住インダス文明の人々とまったく同じ土器を使った。
また牛といった家畜までインド在来種のものを使用した。
そのためヒンドゥー民族主義者を中心にアーリヤ・トラヴィタ同祖説まで浮上したが、現在ではインドアーリヤ人のほとんどはやはりイラン系遊牧民だとわかっている。
単純に先住民から家畜と職工をだけを奪って皆殺しにしたからそうなっただけという話。 >>464
ナショナルジオグラフィック。
土器で決定づけられたものを後から遺伝子屋がなぞっただけw 原マダガスカル人とマアニャン人、台湾先住民とオーストロネシア語族を同系だと推定したのは言語学者なんだが。
土器がどうこうとか言ってる奴はじめてみた。 つうかポリネシア系も混血でほとんどオーストラロイド化しててラピタ人とはあまり関係なくなってるんだけどね。
サモアやマオリはサウル大陸からきた集団の末裔がほとんどでむしろパプアニューギニア先住民に近い。 >>465
騎馬民族征服説と同じ論理で全くの眉唾。
征服したなら征服集団の生活土器が一瞬でも伝わるはず。 古代渡来人〜帰化人のほうが上位だと書いてない?
あまり捏造はしないほうが良いぞ 朝鮮半島の日本に在るより古いとされる水田跡が写真見たら浅田だったのにはハゲワロでした当にオーパーツ 縄文人も弥生人も一波ずつしか来て居ないと考える方が寧ろ不自然であり
弥生式土器をもたらした人達は目立つ処では土器しかもたらして居ないと思いますよ >>456
気候変動以外に、昔の人間は移動せんよ。4世紀からの世界的北方民族の移動期と
9世紀の温暖期一部の南下で北方民族の大量南下は無あよ。16世紀の寒冷期はもっと
南の地域の南下で中国南方人の台湾、東南アジアへの華僑化や、西欧人の新大陸移住に
成るけどのう。
形質人類学は現在でも学問じゃし、ジャンクY染色体たぁ正確な分類が出来るよ。
そそもそもケルト系はゲール語やブリトン語の言語集団で遺伝子や人種の概念じゃ
無ぁし。ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は
ホワイト・アフリカ云われとったし、ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が
入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
あるわけで、9割似るじゃのあり得んよ。
歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に
攻撃してすぐに滅んだよ。まあ、農業の起源はアフリカじゃけぇ、人類が農業始めた
頃はネグロイドのアフリカが一番発達しとったじゃろう。歴史時代ネグロイドが
支配層に成らんかったことが、どうレイシズムに結びつくんか?
身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。 >>457
HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
類似整合性がとれるけど、HLAじゃ新旧モンゴロイドの区別がつかん欠点もあるよ。
以前はGm遺伝子が流行りよったけど。
松本秀雄氏のGm遺伝子について『日本人の新起源』の総合対論から。
尾本恵一氏「免疫ブログリンという一種類の遺伝標識でもって日本人の起源を
言うのは、昔、血液型で古畑先生が、やはり日本人の血液型を調べると
東ヨーロッパへ行ってしまうという話で困ったことがおありになるのです。
やはり一種類の遺伝標識だけでは問題がある。起源をずばり一言で
言うのは気をつけたほうがいいのではないかと思っております」
埴原和郎「私も形態学の立場から尾本さんと同じように考えています。
形態学的に言いますと、日本人の中にブリアート的な顔をもつ人はあまり
いないのです。それから、遺伝子も昨日尾本さんが言われたように、
いろんな標識によって少しずつ分布の仕方が違うわけです。
標識遺伝子など一つだけたどると、ブリアートの遺伝子だけ変わらないという
証明は何もないのです。日本人の遺伝子も変化し、ブリアートの遺伝子も変化する
のであれば、系統関係はわからないということになります。そのために尾本さんは、
たくさんの遺伝子を検査して説を立てておられるわけで、松本先生のお仕事は非常に
立派ではありますが、それだけをもって日本人の起源とか、系統関係を論ずると
いうのはかなり勇敢だなという感じがいたしました。」と。
まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。 この人相変わらず文意が散漫で何が言いたいのかくみ取りづらいのだけど
今時頭示数とか歯や髪の形状を大真面目に語ってるやつとか本気でいると信じてるのかね。
>ベルベル人は、北アフリカのハム語派の大多数コーカソイドゆえ、昔は ホワイト・アフリカ云われとったし、
ベルベル人のYハプロの9割はニグロイドのE1b1bです
逆にチャド族はケルト系R1bがその先祖とされているのだが見た目でわかるか?どう見ても黒人だぞ
>ケルト人に地中海人種のイベリア系遺伝子が 入っとるとしても、ケルト系はステレオタイプの赤毛緑眼の非イベリア特徴も
>あるわけで、
そうよくわかってるじゃん
つまり見た目なんかだ先祖探り何てできませんってこと
>歴史時代、ネグロイドが直接北上して王朝じゃの無ぁし、イスラム世界で黒人奴隷兵の
>ザンジュの反乱で一時的にザンジュ王国が出来たが、アッバース朝軍が本格的に攻撃してすぐに滅んだよ。
爺さんブラックファラオも知らないの?エジプト第25王朝は何人が作ったと思ってるの?
黒人は被支配層、黒人が繁栄してたのは農業が始まった時ぐらいって相当な差別意識だと思うんだけど、その自覚がないとかあんたの人権意識って相当やばいよ旧日本兵レベル
>身体特徴は近隣の民族に似るけぇ人種的にゃ近いこたぁ事実じゃし、われの思いつき
>トンデモ解釈論は辻褄が合わんわ。
その発想がトンデモじゃね?タジク人とキルギス人はずっと隣り合って暮らしたけど全然似てませんけど
>エヴェンキやオロチョンの北ツングースが日本人に人種的に近いわけあるまあ。
>日本への渡来は、満洲族に代表される南ツングースじゃと以前から云うとろうが。
海蘭察って知ってます?満州族はソロン族出身も多いのに満州族に似ててエヴェンキには似てないとかありえないですけど >>457
>HLAは、DNAの一元説と違い多元説の違いじゃが、DNAよりかは、形質人類学と
>類似整合性がとれるけど、
取れません
HLAと身体的特徴の遺伝には何の関係もありません
言ってるのはあなただけです
真面な学者で言ってる人はいません
いるのなら出してください
>まあ、考古学板のYカルト信者らにしても、一種類の遺伝標識だけで
>妄想し、多面的複合的考察する視点が全く無ぁけぇ愚かななもんじゃ。
Yハプロだけやたらと脊髄反射起こしてるけど父親に何かコンプレックスでもあるんですか?
土器()だとか形質()だとかに頼るよりよっぽど正確ですよ
形質は優勢劣勢で同じ民族間でも絶えず変化するけどハプロ遺伝子は未来永劫かわりませんからね △の陰謀スレ参照
「ほとんど逆だろ」
「むしろ逆だろ」
「100%逆だろ」
このような事を言っている人もいた >>458
生活用具の土器なんか現地の物を取り入れるし、現地化するが、墓制は、なかなか
変化せんよ。
>>461
偽書の「東日流外三郡誌」たぁカルトかいのう。まあ、首相の安倍ちゃんパパの
安倍晋太郎さんじゃあるまあし。
[青森県五所川原の石搭山荒覇吐(あらはばき)神社に始祖である宗任が眠っている
らしいことを調べ上げたという。元家政婦からの報告を聞いた晋太郎は昭和62年
(1987年)7月末、出馬表明した総裁選の全国遊説の折、妻洋子と晋三夫妻を伴い
同神社に出向き、参拝した。…
この石搭山荒覇吐神社は偽書『東日流外三郡誌』に基づいて、同書の「発見者」・
和田喜八郎が昭和55年(1980年)に創建した神社であり、同社所蔵の安倍頼時の
遺骨と称する物は後に鑑定の結果、クジラの骨の化石と判明した。](笑)。
まあ、山口県の安倍姓は、九州からじゃが、九州土着か、朝鮮からの流れもん
じゃろう。しかも胡散臭い神社を信じる安倍一家も可笑しい。
ほいから、われも神武天皇じゃの架空の人物とか、台湾からとかトンデモ過ぎよう
で(笑)。 こんな戦前の遺物みたいな考え方してる人間がいるとか感慨深いとおりこして恐怖だな。 >>470
平安期でも渡来系名乗った氏族も家伝残す貴族階級じゃし、帰化したら源平藤や、
以前なら天皇系か出雲系とかにすりゃあええわけで。
>>472
水田も朝鮮の方が古いんは当たり前のことじゃが。 >>476
歯の形状の形質人類学じゃし。
http://45274515.at.webry.info/theme/a1b829c3b1.html
http://45274515.at.webry.info/theme/15f919dcd4.html
「実は日本人や中国人をはじめとする東北アジアの人々の特徴です。東南アジアの人々
ではくぼみの程度がもう少し弱く、ヨーロッパ人などではもっと程度が低くなり、
くぼみが全くない人もたくさんいます。
東北アジアの人々はもともとはアジアの南から来ましたが、北方での気候や
狩猟生活に適応して、体が大きくなり、歯も発達しました。辺縁隆線の発達は
動物の肉や硬い果実を食べるための力学的適応と考えられています。」
ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、ヌビア人は一時エジプト支配も、
エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベク人は風俗習慣の近いタジク族との婚姻も多いい。
ソロン部は、後に作られたし、>>454の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
ソロンに構成させられたんで。
われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。 >>477
より人類学の知見に近いか云うたら、DNAたぁHLAじゃ云うたんで。
父親コンプは無ぁが、母系ほど証明は出来んけどのう。何でわれ父系に拘るんか。
親戚同士で婚姻が何代も続いたら、不倫で他の種がはいっても、特徴は薄まるよ。
世界の(日本も)王室、貴族なんか不倫社会じゃけぇ、父系は誰の種か分からんわけ
じゃし。Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
行ける云うとるようなもんじゃなぁか。 いや拘ってないけどちゃんと人のレス読んでる?
爺さん人の話を聞くのが苦手なタイプだろ
いくらあなたのお母さんがお隣さんと不倫して不義の子を作っても日本人全体のハプロ系統は何の変化もありません
それと同様に上流階級がいくら不倫に励んだところで同じ集団間で行われている話なので征服や民族移動と違って変化はおこりません
>Y遺伝子が変化せん証明は出来んけど。われはタイムマシーンで過去へ
>行ける云うとるようなもんじゃなぁか。
だったら変化するという証明をまずしましょうね
悪魔の証明って知ってますか?ないということは証明できないから証明責任はあると主張する側が負うのですよ HLAのこともろくすっぽ知らないようなので一ついいことを教えてあげようか
日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている
これはどういうことかというと考えたくない話だが縄文人も弥生人もその母集団は数が少なく
少数の家族間で近親交配を繰り返してできたのが日本人ということになる 日本人でもっともHLAの均一性が高いと言われている→日本人は世界でもっともHLAの均一性が高い集団と言われている Yで弥生人は江南とか、2兆%ありえない詐欺を働く台湾ベトナミックブタ広鼻チーノが
いるから遺伝学全体が胡散臭くなった。 O1b2のこと言ってるのかな?
かつては江南あたりにいたことは間違いないながな
つっても新石器時代ぐらいの話だが おっ?突っ込み忘れたレスがあるな
>ほいで、チャド人はベルベル人じゃ無ぁし、
そんなこと言ってないんだが
形質人類学とやらでチャドの先祖がR1bって分かるのかと言ってるの
>エジプト人自体がコーカソイドとネグロイドの混合じゃし、エジプトとヌビア
>同一文化圏云うほど近かったけぇ内部権力争奪なんで。
全然近くないし壁画でもヌビア人は真っ黒チリチリに明確に異民族として描かれてますけどね
つうかあんたそれ全然反論になってないだろ黒人は被支配人種じゃなかったのか?
>トルコ系キルギスはカザフから分かれたんじゃし、イラン系のタジクたぁ違うが、
キルギス人のYハプロはC系統が過半数を占めるカザフ人と違ってイラン系のR1a系が主流なんですけど
>トルコ系でもイラン文化色の強いオアシスの民のウズベクはタジクに近いし、
ウズベクってのは本来は中央アジアの遊牧民のことを指してるんですけど
オアシスの民のウズベクとか意味不明
だから遊牧民でないウズベクなんて本来はいないんだが
サマルカンドやブハラなどの「ウズベク人」はソ連時代の民族境界画定作業が言語を基準に行われたためにウズベクに編入された
サルト人の末裔
>ソロン部は、後に作られたし、>>454の日本人にも近い、モンゴル系ダウールも
>ソロンに構成させられたんで。
エヴェンキ人は清の八旗に編入されなかったソロン人なんですけど
ソロン人に似ててエヴェンキには似てないとか意味不明
どうせ索倫汗国も知らないんだろ
>われみたぁに、一知半解で云うてもつまらんよ。
それはお前だろ
なんかググって出てきた知識をつまみ食いしてるだけっぽいし
一度、山川の「世界各国史」でも読んで基礎でもつければ?お前みたいなペーペーを前提にしてるから読みやすいぞ >>488
実際は内モンゴル〜華北西部あたりだろ。
O1がO1b1とO1b2が分かれたの。 ハプロO1b2とO1b1が分岐したのは約3万年前とされているのだが
まだその当時のオルドス地方や華北はNやC2が割拠していてO1b2が進出してきたのはシニ・ガイ文化の頃のはず みなさん、あけましておめでとう。
>>484
人様の母親を不倫じゃの、わりゃ人間性に問題があるのう。わしん親父は死ぬまで
愛人がおったが、愛人とも子供は作っとらなんだよ。
まあ、王族、貴族の不倫は同一階層集団内たぁ限らんけどのう。戦前から書生や
運転手から役者買いもあったし、まあ、異なる階層の子が出来ても、何代も経たら
薄うなるけんのう。
タイムマシーンで過去へ行くしか証明は出来んのに言葉遊びしよんか。しかも一元論で
アフリカに遡れる理論じゃったDNA旧人の混入認めだしたし、そがぁな解釈論は時代で
変るわいや。
>>485
日本人でもっとも均一性が高い云うんは西洋人と比べてか、アジアのどの集団と
比べたらそうなったんか、われの断定基準たぁ何なら?
ほいから、縄文人、弥生人云うんも弥生期に渡来系を古うしたい科博の造語じゃろう。
古墳期に渡来系大量移住の埴原和郎氏は、「渡来系」云う表現を使われたよ。
>>489
ベルベル人たぁ北アフリカの西部の民族じゃし、チャドたぁ違うし遺伝子たあ人種が
だいぶ違うけぇのう。遺伝子だけなら、例えばA型の日本人は、B型の日本人たぁA型の
ドイツ人に近いんかか? 違おうが。人種たぁ長い年月同じ環境で暮らした歴史が形質に
表れるわけじゃし、>>482の歯の特徴もそういうことで。遺伝子が同一ても長期年月で
近い形質しとらんもんは同一集団や同じ人種じゃ無ぁわけじゃし。
こがぁな基本的なことを、わりゃ避けて遺伝子カルトに成りよんで。 >>489
ほいで、ヌビア人はエジプト(ナイル)文化圏で。
ウズベクは、ウズベク・ハーンからじゃが、カザフはウズベクから分かれた集団で
カザフたぁ部族から離れた自由の者の意味で、カザフから分かれたんがキルギスで
元来は皆ステップ草原民よ。ウズベクがチムール帝国滅ぼし、南下定住した
グループがウズベクを名乗り、周りのオアシス民を吸収して行ったんで。
わりや、オアシス都市定住したらウズベクじゃ無ぁとか、吸収されウズベク人に
成った定住民もウズベク人じゃ無ぁとか、わや云うとるのう。
カサフとキルギスの容貌じゃよりモンゴロイド要素が強いんがキルギスじゃし、
同じモンゴロイド主流にしても、カザフの方が広顔傾向でキルギスの方がやや狭顔が
増える傾向にあるし、遺伝子じゃのしばゃのうて形質がリアルじゃけぇのう。
古キルギスは中国文献上からは、赤髪緑眼のコーカソイド体質でイラン系たぁ
イェニセー・サモイェード系と云われるけど、古キルギスの直系子孫はハカス族と
されとる。ハカス族もコーカソイドの特徴もありながら、モンゴロイド化しとるよ。
ソロンたぁ、元来モンゴル語東方の意味で朝鮮人をソロングホ云うたりする。
ダウールは高原のモンゴル人からソロンと呼ばれ、山中の北方ツングースは、
ホングコル・ソロン野性のソロンと呼ばれた。北方ツングースは誇り高いゆえ、
彼等がエヴェンキと名乗る権利を認めず、ダウール同様下等な奴らと考えとった。
ソロンは、形質上からもダウールに似ている。満洲族、北ツングース、漢人は、
ダウールをソロンと呼んでいる。 >>489
また、われの一知半解丸出しに成ったのう。
>>487
広鼻でも黒人ネグロイドは埴原和郎氏も野性から一番遠い人種で野性に一番形質が
近いんがモンゴロイドで特に北方行くほど野性に近い。
代表的な黒人の巻き毛は野生動物にゃ不利でほとんどおらんし直毛がほとんどよのう。
家畜として品種改良で存在しとるくらいじゃし。モンゴロイドの直毛の方が
野性としては雪、雨にも有利じゃけぇのう。
>>482の歯の特徴からもモンゴロイド、特に日本人を含め北方系は肉食人種じゃけぇ、
無知な日本の知識人とやらが西洋人や黒人が肉食人種で日本人が草食人種じゃの
平気で大嘘云うけど、身体の特徴は長年の環境の身体の特徴で明かじゃし。
シベリアのような寒冷地じゃ肉食依存が強まるけぇのう。 コーカソイドは北アフリカ〜アラビア半島にかけての高温砂漠気候で生まれた人種だから、
ああいう険しい形質の頭蓋になっている。
乾燥気候で狭鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがコーカソイド。
多湿気候で広鼻化し、かつ高温気候で大鼻化したのがニグロイド。
ベルベル人はニグロイドからコーカソイドになる過渡期の中間人種。 >>495
コーカソイドは、もっと北の西アジアか南ロシアあたりじゃろう。
ベルベル人は南へ行くとネグロイド形質も見られるが概ねコーカソイド形質が
圧倒的じゃろう。日本でベルベル人のハーフ芸能人云うたら沢尻エリカちゃん
じゃのう。 >>495
ほいじゃが、ネグロイドでもアフリカ西部と東部じゃ体形が違うて、西部が骨太で
がっしりした体格でトラック競技の短距離、瞬発力の強いタイプじゃし、東部は
すらりとして長距離、持久力の強いタイプじゃが、人間の狩猟活動としては後者の
持久力の方が有利なのう。
人間の瞬発力や短距離じゃ野性動物からしたら無ぁに等しいし、五輪のボルトでも無理
じゃし、人間はネコ科の瞬発力が無ぁけぇ、イヌ科の持久力方式の狩猟で追い込んで、
待ち伏せするもんが射ったりするわけで、狩猟適応からしたらアフリカ東部じゃが、
アフリカ南部の狩猟民は、体形が小柄化しとるのう。
まあ、オリンピックの長距離ならアフリカ東部、ヨーロッパそして日本人も
活躍出来るが、狩猟方式から外れとる短距離じゃアフリカ西部体形のアフリカ西部から
強制移民させられた新大陸のアフリカ系が独壇場じゃけぇ。
野性的狩猟方式から外れとる短距離やトラック競技が文明的な遊戯スポーツなんかも
知れんのう。その点じゃアフリカ西部系が野性から遠い一番文明的とも云えよう。 >>495
南方はアジアでも広鼻傾向じゃし。
http://livedoor.3.blogimg.jp/ko_jo/imgs/6/1/617e7161.jpg
日本人と朝鮮人は、東南アジア、中国南部、台湾たぁ違う形質で高顔(眉から下が長い)
の狭顔の北方形質じゃけぇのう。日本人でも縄文形質が強いと東南アジア人に近い、
広顔、低顔、広鼻に成るけど。 鼻って、高温気候でしか高くならんの。
しかも砂漠のような乾燥気候でしか狭鼻にならない。
ドバイの人は鼻の高さが5cm以上の人が珍しくないが、朝から気温が40℃の
天然サウナに入らねばならない。
縄文顔は鼻自体は広くはないが、顔が短いため広鼻になるだけの話。 >>499
縄文系はアイヌ民族も含め広鼻型に属するわけじゃが、アイヌ民族の鼻は縦にも
隆起しとるけぇのう。ほいから、埴原和郎氏のこっちものう。
https://awabi.5ch.net/test/read.cgi/geo/1356540935/322
「面白いのは雛人形の顔つきである。「京びな」は やはり瓜実顔で眼が細く、
鼻の幅が狭くて口が小さく、中高のふっくらした 顔に作られている。
これに対して「関東びな」はどちらかといえば丸顔で 目が大きく、鼻の幅がやや
広くて口は大きめである。
要するに京びなは 公家顔、関東びなは庶民顔といえそうだが、その好みの境界線が
新潟、 長野、静岡の各県を結ぶ線に一致するという話もある。
雛人形の好みも 他の東・西日本文化の違いに重なる。
ベルツの薩摩タイプは多少とも縄文人の特徴を残すものであり、長州タイプは、
渡来した北東アジア人の影響を示すものと考えざるを得ない。
島原の乱を描いた絵である。ここに描かれている足軽は、応仁の乱で略奪を働く
足軽より人のよさそうな顔つきだが、四角っぽい輪郭、団子鼻、ドングリ眼などの
特徴は見事に共通している。
一方武将たちの 顔は面長で鼻筋が通り、いかにも家柄がよさそうにみえる。
前者が縄文系、 後者が渡来系の特徴であることは改めていうまでもない。」 >>499
ついでに、こっちものう。
http://www2g.biglobe.ne.jp/%257Egomma/archivefile/data99b.html
●関西顔? ●作者から
「日本人の顔(埴原和郎著・講談社刊)」には、「一般に北部九州、中国、近畿地方
ではやや面長、平坦、狭い鼻、うすい眉毛、一重瞼。
他の地方では四角ないし丸顔、やや幅の広い鼻、濃い眉毛、大きくて二重瞼の目」だ
そうです。
また、「日本人の顔つきをあらわす言葉として『公家顔』『公家面』『瓜実顔』
などという言葉があります。いずれも面長で平坦、鼻が細く高く、細めで一重瞼を
特徴とします。歴史的に貴族階級に多いといわれます。しかし、一般にの庶民層を
見ても、このタイプは京都やその周辺の畿内と言われる地方に多く、女性で言えば
京美人の代表的な顔立ちです。
これに対して東日本には、丸顔で眼がぱっちりと大きく、また鼻の幅がやや広い人が
多くベルツの薩摩タイプに共通する特徴をもっています。」とありました。
その背景には、畿内は弥生〜古墳時代に百済や高句麗からの移民が多くあったことを
指摘してました。そのため以前からの縄文系顔の人々が東日本や南九州に住むように
なったとのことです。」 >>499
縄文系は、低顔、広顔でエラが張っとるゆえ、鼻も広鼻、団子鼻に成る。
南ツングース系の北方渡来系は高顔、狭顔ゆえ、鼻も細う狭鼻に成る。
北ツングースやモンゴル高原は高顔でも広顔が多いいゆえ、広鼻タイプも多いい。
ほいで朝鮮南部も先住韓人、倭人の縄文形質の残存で広顔タイプも一定の割合で
おるよ。ネトウヨの描くニダー顔なんか、エラの張った縄文形質の強い韓国人じゃし。 何の話だよ?
半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が
意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になったんだろ?
で、半島に鉄取りに行ったりで任那や加羅を分捕った?
そりゃ、単に国体のない古代に国境が無いってだけの話じゃね?
そのあと、大和朝廷が軍事的国体を作って九州や半島も平定して
高句麗との戦争を重ねて、百済や新羅を保護、傀儡独立させた。
で、400年に半島利権と無縁なすぐ滅びる弱小中原国家南朝と倭の五王が利権交渉をした。
弥生渡来人が平和そうな農業開拓地から日本を繁栄させるために来た意味が不明だけど
任那、加羅は鉄や高句麗馬まで移入した日本の大陸防衛、富国強兵に必然でしょ。
なんか、時代は繰り返す的だなw 古代韓にちなんで大韓帝国建国。
てか、関東軍は大陸渡来人のせい、とかで、歴史は直視できなかったり汁ニダねwww >>504
>半島南部で山間に開拓村邑作って平和に稲作してた農民が
>意味不明に稲作教えたくて、船で日本に渡って弥生渡来人になった
では、何で最古水田・菜畑遺跡の弥生人たちは生活痕たる朝鮮土器を全く作らなかったの?
. 土器が変わるのは風土、作者と土と熱源が違うからだろ。
政治や資本もあるかも知らんが縄文土器作家が弥生土器の流行を受け入れた。
渡来人は土器作家か? 船使える戦乱移民なら農民ですら無いだろ?
輸入じゃなくて難民定着まで用に持ってきたもんはちょっとくらい出てるんじゃね?
ただし、渡来人が縄文集落に安住しない段階であって当然弥生時代初期だよ。
弥生渡来人が縄文人と混ざった後なら有るもので間に合えば何の意味もない。
渡来人単体の集落遺跡なんてあんのかよ?
そりゃ、徐福だwww BC200じゃ弥生初期じゃない。 >>506
考古学のセンスなし。
で、徐福集団が渡来定着した事を証明する証拠遺跡と、
その生活痕たる中国系土器と中国系農具は?
. >>503
礼安里人骨の12号墳の人骨が高顔の北方渡来形質で、41号墳は広低顔の縄文人骨
じゃったけぇ、韓国のニダー顔は縄文顔じゃがのう。
>>504
朝鮮南部でも日本列島でも、稲作が主流に成った考古学根拠も無ぁし、記紀にある
五穀の一つとしての稲作で、食は麦食依存じゃし、日本のトンデモ歴史修正主義じゃ、
稲作投影が強いだけのことじゃし。
大和朝廷なんか記紀の奈良期以前考古学的にも飛鳥期までは確認出来るけど、
全国統一じゃのトンデモ妄想じゃし。半島の鉄は半島の倭も得ただけのこと。
九州平定じゃの天智天皇以降のことじゃし、記紀じゃ筑紫王朝の倭を新羅寄りと批判
しとることからも、旧新唐書の九州の倭と畿内の日本との区別からものう。
大和が高句麗と戦闘じゃの中国史書に無ぁし、倭の五王なんか逆に日本の記紀にも
記述されとらんし。倭の五王は伽耶の話じゃろう。ましてや、当時の日本列島に隋を
撃退した高句麗と戦える軍事力は考古学的にも無ぁし。 >>503
北方渡来形質が強い西日本でも、我が広島でも亀井静香氏タイプの顔もおるけど、
比率としてはエラの張った顔は>>500-501のように、九州南部や東日本に多いい。
南方系低顔同様、日本や朝鮮に残存する縄文タイプも、 低顔じゃけぇ、
顔を上下に押し潰すと、エラの張った四角顔になるだけ じゃに。
http://ime.nu/www13.ueda.ne.jp/~ko525l7/s01.htm
[信州人の顔
『私が信州大学に赴任してはや20年近くなる。信州出身の同僚や職員、学生を見て
いると顔に大変大きな共通した特徴があることに気づく。皆、顎が大きく、
いわゆる、えらが張っている。京都を中心とする西日本の人たちは顔が細長く、
信州人のようにはえらが張っていない。長い間どうしてだろうと思っていた。
ある時テレビを見ていたら、縄文人と弥生人の頭骨から生前の顔を復元して比較して
いた。その復元された縄文人の顔が、私の同僚の藤本哲也先生にそっくりなことに
驚いてしまった。彼は生粋の信州人で、長野高校の出身である。同じ長野高校出身で
現在東大教授をしている。坂村健先生がいるが、日本独自のコンピューターOS
「TRON」の提唱者として有名な人である。この坂村先生、同僚の藤本先生、
復元縄文人の3人の顔がそっくりなのには驚く。信州人の顔は縄文人の顔である。』
と、中部東部に到るとエラの張ったニダー顔の縄文形質が増えるし、西日本人から
みたら、東京首都圏はニダー顔が増える意識は持っとるよ。じゃけぇ、西日本人顔は
()で、東日本人顔の典型は、<>の角張ったニダー顔でええんじゃなぁか。東日本人の
エラ張り供もが、自らを棚に上げて韓国へ転嫁しよるけぇ憐れなんよ。 形質なんてどーでもいいだろ?
乳だし民族服の糞まみれ犬喰い土人が
足だし尻振りの成型芸能売春婦に変わるのに100年も要らんよ。
加羅、任那に渡ったのが、そもそも弥生渡来人なんだけど
日本に稲作を普及させて開拓して人口爆発を起こしてるのに
なんで半島渡って任那加羅作って新羅や百済の建国を導いてるんだ?
アジアは一。とか言って関東軍が里帰りしたのかよ?
古代だよw 国が無い開拓地だったってことだろ?
日本の軍事国家形成期が200〜300年、
四郡進出の無かった半島南部の韓は300年以降。
基本的に大和朝廷の前身の軍事仕事だが、
400年には馬や製鉄の輸入での富国強兵政策は形成できてる。
任那加羅は大陸防衛に必然だった。
百済新羅を独立国として傀儡化して663年には成立した唐と海戦。
唐は勝利し百済は消滅するが、大陸緩衝材としての新羅は残った。
この間、900年までは遣唐使外交が続き、新羅は交渉材料として役立った。
これ以降は、半島国家支配者が中国貴族化しただの収奪地となり日本は手を引く。
近代以降、中国がロシア、欧米列強の侵攻に落ちると
日本は半島に防衛線となる古代韓にちなんだ大韓帝国を建国した。
戦局で日本は米国の管理下となるがなぜか韓はゆかりの38度線以南に残った。
で、ま〜た蝙蝠化してる。
スレのお題。 加羅任那とは何か?
日本がどんなに馬鹿でも歴史に学ぶだろwww >>508-510
縄文顔は南方モンゴロイドの顔やアイヌのような人種の顔であって、
そのフランキー氏のような顔ではないよ
上で口の話が出ていたけど、中央モンゴロイドの口は小さくない
例えばチベット人を見てみるといい
チベット人にはモンゴル人のような人種の影響があり、
モンゴル人のように上顎骨が発達していたり、顔面が平たかったり、
眼窩が垂れていなくて、眉はつり上がらず、目が垂れていないようなタイプは、
口も小さい傾向があるけど、中央モンゴロイドの影響が強いタイプ、
つまりは上顎骨は発達しておらず、顔面も平たくなく(なだらか)、
眼窩が垂れていて、眉はつり上がり、目が垂れているようなタイプは、
口も小さくなく、普通のサイズの傾向がある
何なら逆に大きめだったりする
つまり、同じ寒冷地適応を遂げたモンゴロイド同士でも、
この点にわかりやすい違いがある
シベリア先住民は口が小さい
モンゴル人も口が小さい
朝鮮人も口が小さい
日本人も朝鮮人の影響で口が小さい人がけっこういるけど、
それでも、上記のチベット人を除いた集団に比べると口が大きい傾向がある
それは上記のチベット人を除いた集団に比べると、
シベリア先住民の影響が弱いからだろう
まぁ、日本人のなかでも地域差がある
例えば関西人ははっきりと全体的に口が小さい傾向がある
中国地方人も関西人ほどではないせよ、口が小さい傾向がある
これらの地域には特に朝鮮人の影響が強いからだろう
これらの地域では目や頬骨にもより朝鮮人の特徴が出ている 続き
その点、そのフランキー氏も口が小さい
日本の縄文系は沖縄人やアイヌの顔を見ればわかるけど、
口は小さくない
フランキー氏のそれは縄文人の特徴じゃない
フランキー氏は口以外にも、目が細かったり、すなわち蒙古襞が発達していたり、
縄文系にしては眼窩が丸っこかったり、上顎骨が発達していたりと、
色々とシベリア先住民の影響が出ている
フランキー氏は顔が丸っこいんで、縄文人の影響があるのは間違いないと思う
だから縄文系と呼ぶのも間違いではないと思う
ただ、それにこう付け加えるべきだと思う
シベリア先住民の影響があると
さらには、日本の中央モンゴロイドと縄文人の混血の縄文系とは
こう書いて分類するべきだと思う
フランキー氏は日本の縄文系と朝鮮のシベリア先住系が混血した朝鮮南部の先住民系であって、
日本の弥生時代か古墳時代に新たに渡来した渡来系であると
これが正確な分類ではないかと思う >>513
単に弥生人だろ。
朝鮮から来てませんので。
弥生人は渡来当初、朝鮮土器をさっぱり作らなかった。
朝鮮経由したなら知っているはずの壺も高坏も知らなかった。
沿海州から山陰に直接渡来しただけですんで。
突出した口縁部に刻みが施される、朝鮮の土器文化ではない土器文化を持ってな。
あたかも朝鮮から来たかのような悪質極まりない詐欺はやめろよビビンバチョンセン。 >>511
乳出しじゃの日本でも昭和40年代前半頃まで電車やバスの交通機関で若い母親が
赤児へ授乳させる為公衆の面前でオッパイ出しとるんも当たり前じゃったし、
日本の水田稲作も人糞肥料を撒いた田んぼで足埋めて作業しよったし、日本国内で
誘拐拉致され売春婦にさせられた「からゆき」娘子軍や桃山期の南蛮ポルトガル船にも
詰め込まれ東南アジアの日本人町の収入源も日本女性の売春の伝統すら歴史無知は
韓国へ転嫁が好きじゃのう(笑)。まあ弥生期の列島倭人も漢への生口献上の
属領奴隷民じゃったし。
日本記紀の記述じゃの、朝鮮の馬韓や辰韓の時代に百済や新羅があったと捏造する
三国史記同様、日本の記紀も捏造文書集云うことすら無視して、記紀教典信仰は、
歴史学じゃのうて宗教カルトそのものじゃなぁか(笑)。
日本の大型古墳建設の人夫動員からも朝鮮半島へ送る兵員数なんか揃えられんよ。
員数、人件費もかかるわけじゃに妄想が好きじゃのう。 >>512-513
本土や琉球の縄文形質はアイヌ人ほど鼻が縦に隆起した人らは少なあ、どっちか
云うたら広鼻の団子鼻系が多いいわけじゃし。琉球じゃ顔面平坦度の強い縄文形質も
多いい。口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
縄文系の区別じゃ無ぁわ。頬骨の高さや張りも渡来系の北ツングース集団と縄文系に
顕著じゃが、チベット系や南ツングースの渡来系集団は頬骨が低く、張らん傾向も
狭顔ゆえじゃろう。
フランキー堺氏は、形質骨相からも、鹿児島典型の縄文系に成るわけじゃし。
ほいで縄文人骨じゃ、目や耳は復元出来んけぇ、縄文系の目の大きさが画一的とも
云えんわけで、日本の縄文形質は考古学的にバイカル〜シベリア樺太経由と大陸から
朝鮮半島経由の大きな二つのグループが考えられるけど、目の変化は
残らんわけじゃが、朝鮮半島経由の縄文系は朝鮮南部の縄文系と容貌が近かった
歴史的連続性は縄文期から弥生期の韓式支石墓人の縄文形質人骨からも妥当性が
あろうで。 >>514
沿海州の集団の形質がわかればいいんだけどね
>>516
>口の大きさは鼻同様、広顔の方が広がる確率が高いわけで、渡来系とか
>縄文系の区別じゃ無ぁわ。
これが違うんだよね
シベリア先住民(北方モンゴロイド)は寒冷地適応を遂げていて、
口の周りが狭くなっていて、口が小さくなっている
だけど上顎骨が発達していて、頬骨なんかも張ってるもんだから広顔で、
それこそ<>こういう顔になっている
モンゴル人とチベット人を見比べてみるといい
北方モンゴロイドと中央モンゴロイド以南のモンゴロイドとでは、
口の大きさが違っている
同様に朝鮮人と日本人とでも口の大きさが違っている
朝鮮南部の縄文系と日本の縄文系とでも口の大きさが違っている
これは朝鮮と日本のシベリア先住民の影響の違いだろう
フランキー氏の口は朝鮮南部の縄文系のそれで、
つまりはシベリア先住民の顔が混ざっていて、
日本の縄文系(縄文人+中央モンゴロイド)に比べると、
上顎骨が発達していて(顔の上半分が大きい)、
眼窩も縦に伸びて丸っこくなっていて、眉毛が高い位置で八の字を描いていて、
そのスペースを埋めるように蒙古襞が鋭く発達していたりと、
色々と違っているんで、とても同一視することはできない
最近、みやぞんなる人物がテレビによく出てくるけど、
あの人の顔なんかわかりやすい
あの人は明らかにシベリア先住民系だと思うんだけど、
フランキー氏にはああいう顔が混ざっているよ 口に関してもう一言二言
例えば政治家の安倍親子(晋太郎・晋三)の口なんかもそれで、
ああいう口は中央モンゴロイド以南のモンゴロイドには見られない
アイヌのような人種にも見られない
ちなみに、あれに近いのはコーカソイドの北方人種の口で、
コーカソイドの北方人種、特にゲルマン系の口も同様に小さい
特に、ご指摘の通り、狭顔の傾向があるブリテン諸島人なんかは、
口の小さい人が多い >>517-518
シベリアの先住民も口が広い人はかなりおるよ。しかもシベリアは[ ]顔で<>は、
古モンゴロイドの縄文系や南方モンゴロイドじゃけぇ違うで。
ほいから、日本テレビのケンミンショウで栃木は顔が訛っとるの典型はエラの張った
縄文顔と顔が細長い渡来顔じゃが、ガッツ石松さんの顔は前者の縄文顔よのう。
「訛り顔疑惑を払拭すべく栃木県を調査。八谷幸子さんに聞いたところ2つの
系統に分かれており1つ目は顔の幅が広くてエラが張っていて顎がしっかりしている、
鼻は鼻筋が太くて肉付きが良いガッツ石松タイプ、2つ目は面長な顔で全体的に彫りが
浅くてのっぺりとした顔、目が一重で細くて垂れ下がっている益子卓郎タイプが
いるという。」
まあ、口の大きさじゃの鼻同様顔の広さによるし、イギリスの狭顔北欧人種型は
東ヨーロッパの広顔が多いんに比べたら口が小さいだけのことじゃし。 魏志韓伝
韓在帯方之南東西以海為限南與倭接方可四千里有三種
三韓は方可4千里、南沿岸は倭人国
この倭人ってのは、おそらく前漢、任那加羅以前から半島にいる弥生渡来人だろ?
で、どっちからどっちに移民ってことも無くて国境無いだろ? >>516
安芸青牛は昔から盛んにフランキー堺を取り上げるが
よっぽど惹かれるタイプなんじゃろうな(笑 崇神天皇=ミマキイリヒコ は本人または先祖が「任那にいた倭人」だったという説があるが。 >>523
それ本当なんか?
だったら卑弥呼かもしれんジャマイカ。 >>517
石田肇のドキュメントが詳しい。
アムール沿海州の古代人骨や少数民族の形質を徹底解析している。
オホーツク文化人という表現を使っている。
古代のアムール沿海州人は至って扁平な顔面を持ち、中頭で、頬骨の突出が弱く、
至って渡来系弥生人骨に近い形質の人種に思えた。
ところが、のちに韃靼人が侵入し、形質が変わってしまったらしい。 >>521
フランキー堺氏は、>>500-501のベルツ氏の云う「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」の
典型容貌じゃけぇのう。ほいからベルツ氏は朝鮮南部も
「マレー・蒙古系(薩摩タイプ)」が増えることを指摘されとるよ。
朝鮮南部よりも、山口県の方が、「満州・朝鮮系(長州タイプ)」が多いいけぇのう。
>>526
オホーツク文化人は、高顔でも広顔の北アジア系で渡来系弥生人、渡来系古墳人は
高顔、狭顔のチベット東部から北東アジアに多い中央蒙古系じゃけぇ違うよ。 また遺伝子の話になるが、斎藤成也氏は、最近、国粋主義から柔軟な姿勢に成ったのう。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=3&from=yartcl_page
「縄文人のDNAがアイヌ、沖縄の人たち、本土日本人(ヤマト人)の順に多く受け
継がれ、アイヌと沖縄の人たちが遺伝的に近いことが確かめられた。ヤマト人が
縄文人から受け継いだ遺伝情報は約12%だった。」
「アイヌは縄文人のDNAの50%以上を受け継いでいるのではないかと思う。
沖縄の人たちは、それより低い20%前後ではないでしょうか」と推測する。」
「衝撃的な結果でした。出雲の人たちと東北の人たちが、遺伝的に少し似ていたの
です。すぐに、東北弁とよく似た出雲方言が事件解明のカギを握る松本清張の小説
『砂の器』を思い出しました。DNAでも、出雲と東北の類似がある可能性が出て
きた。昔から中央軸(九州北部から山陽、近畿、東海、関東を結ぶ地域)に人が
集まり、それに沿って人が動いている。日本列島人の中にも周辺と中央があるのは
否定できない」出雲も東北地方も同じ周辺部であり、斎藤教授は
「うちなる二重構造」と呼んで、注目している。
http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20171214-OYT8T50003.html?page_no=4
[日本列島への渡来の波、2回ではなく3回?]
斎藤教授は、この「うちなる二重構造」をふまえた日本列島への「三段階渡来モデル」
を提唱している。日本列島への渡来の波は、これまで考えられてきた2回ではなく
3回あった、というシナリオだ。 >>530の続き。
[「第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)
が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降と
いうものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』
だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は
弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、
大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。
のモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた
新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。
この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と
斎藤教授は説く。]
じゃが、>>500-501の埴原和郎氏は、古墳期に大量渡来説で弥生期の渡来は、
九州北部〜山陰と限定された地域に多い渡来とされるし、池田次郎氏も弥生期の
中頭渡来人骨と古墳期の短頭系の本格的渡来集団を区別されとったし、後者は
日本人の特に畿内、山陽の短頭に影響のあるわけじゃが、出雲の山陰や日本海側は
中頭でも高顔の弥生的渡来形質が多いいが、畿内、山陽は、高顔で短頭の渡来形質
じゃし、弥生列島倭人の特徴と違う。関東は南関東じゃ低顔角張った顔の
縄文形質でも、短頭も目立つし、日本も地域によって特徴が違う。
まあ、古墳後期の渡来系ラインとしては、北九州〜山陽〜畿内〜東海の日本の
主要ラインよのう。弥生系の渡来者は周辺に追いやられ、縄文系は更に辺境へ追い
やられた構図は島国イギリスの渡来者の順序にも類似しとるよ。 >>531の続き。昭和期の埴原和郎氏が生体計測資料から、
「人類学教室の助手助手をしている河内まき子さんが、いろいろ統計学的に
スクリーニングをして、信用できる計測値だけを選び出して、全国的な傾向を見ると
いう研究をつい最近完成しました。
これでみると、近畿から山陽、九州の一部、四国の一部というのはかなり似ていて、
日本の中心部を占める人たちはかなり朝鮮系に似ている。
そのほか東海、関東、東北、北陸、山陰、九州の真ん中あたり、これがちょっと
違いまして、この地方の人たちを河内さんは周辺部の特徴を示す人たちといって、
かなりはっきり区別してます。…これを時代とともに追ってゆくと、中心部の人たちの
特徴が時代とともにだんだん周辺部にも及んでいることがはっきりわかる。…
古くから関西は朝鮮系、関東、東北はアイヌ系といわれていますが、アイヌ系、
朝鮮系という表現法はともかく国内における地域差はそうとうはっきりと
出ています。」
じゃが、朝鮮人の人骨サンプルは、埴原和郎氏が「北朝鮮系の人たちの骨とだと
思いますが」とされるよう北朝鮮系の人骨で、朝鮮南部人骨なら、多少日本の
周辺部に近うなるんじゃなぁかのう。 >>529
石田は韃靼侵入以前のオホーツク文化人を広顔とは言ってなかったが。
ただし、広顔であっても全然問題ない。
形質は変わるのだ。
渡来一世の形質は分からない。
我々が知り得るのは弥生開始から400年以上経った弥生前期後半からの甕棺墓に
保護され、消失を免れた人骨からだ。
一世代30年として、渡来一世から13世代も後の人骨からだ。
弥生前期の甕棺墓の古い渡来人骨ほど広顔に近く、弥生後期の土井ヶ浜人骨に
なると華奢な細面になる。
渡来人が何波もあったのではない。
そんな痕跡どこにもない。
同じ縄文晩期の渡来人が経年変化で形質が変わっていっただけなのである。 古代の人類型の話で朝鮮系ってなんだよ? 歴史的に時系列たどれないだろ?
魏志東夷伝によれば
馬韓が箕氏朝鮮系なら遼東ツングース系
辰韓が秦遺民なら、中国全土からの調達が考えられる。
そのうえで、BC200〜200年であれば、その半島南部は倭人国だろ?
弥生渡来人に半島との国境が無くて、洛陽との交易有った事実で
この時期に到れば、渡来人っていう発想自体が無意味だ。
それ以前で、弥生系渡来人が稲作を伴って移民してきて繁殖した?
日本人は米喰いすぎてアホになったんですか? 米信仰かよ? 縄文晩期の渡来人は沿海州南岸からまず山陰に渡来して、
稲作はそれから50年以上経ってから、半島からパクってきただけなんだわ。
だから最古水田、菜畑遺跡の弥生人たちは朝鮮土器を全く作らなかった。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
これが「稲作を持った弥生人が朝鮮南部から渡来した」だの、
「朝鮮南部から弥生人が渡来して稲作を伝えた」ように見えるなら、
全く考古学に向いてないから、今すぐ考古学をやめるべき。
稲作は沿海州南岸から渡来した縄文晩期の渡来人が渡来後に半島からパクってきただけ。
これが真相。 縄文土人が弥生土器文化に移行したから弥生人なわけで朝鮮土器作ったら朝鮮土人だw
で、沿海州弥生人が米つくりみたいなめんどくさい事始めた理由は何なの? 半島を訪れた弥生人が米の飯を食べてみて、美味いと思ったからパクってきたんだろうな。
弥生人たちは半島が先進文化や先進技術の先進地域だと認識していたようで、
半島の文化や技術をことごとくパクっているからな。
半島人の真似をする事が弥生人にとって、とてもイカシた事だったのではないか? 稲作ノウハウや農耕グッズも必要だな。
古代人なら豊穣を祈る祭祀ノウハウも必要。 弥生人たちは頻繁に半島を訪れていたようだから、その都度、知識や技術や
ノウハウがが蓄積されて最古水田は徐々に完成していった。
最古水田の弥生人は全く朝鮮土器を作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
半島人が渡来定着して作ったものではありません。
弥生人自身の手で作られたもの。 徐々に完成ってw
一気に技術導入しなきゃできないだろ >>541
そりゃイネと農具くらいは一気に持ってきてるだろ。
最初の稲作はものすごく原始的なものだったに違いない。
最古水田が朝鮮半島人が作ったものなら、その生活痕たる朝鮮土器を作るはずだろ。
彼らは朝鮮土器を全然作ってませんので。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
繰り返す。
最古水田の弥生人たちは朝鮮土器を全然作っていない。
搬入した朝鮮無文土器の壺が一基出土しただけ。
これが半島人が渡来定着して作った遺構に見えるか? >>543
1万年前の最古の稲作はモノもなかった訳だが。
朝鮮よりも温暖なんだし、意外と簡単だったと思われ。 >>545
そもそも稲作がそんな複雑難解な栽培植物なら、日本全国に広まる訳がない。
おまえはただ単に半島人の渡来定着で伝えられた事にしたいチョンなだけw >>547
じゃあ何で朝鮮半島から渡来定着して最古水田菜畑に稲作を伝えた半島人たちは
搬入した朝鮮無文土器の壺を一基遺しただけで朝鮮土器を一つも作らなかったの? >>533
韃靼侵入たぁ、具体的にどの韃靼か銘記せにゃあ。現実にオホーツク文化人が広顔で
あることは、石田肇氏が人骨挙げとられるじゃなぁか。
旧石器捏造応援の前例がある歴博の弥生期の起源を早める片棒担いどるんか?
古い甕棺にも広顔系がおったんなら例挙げてみんさいや。
弥生期どころか古墳期は特に西日本じゃ形質が急激に変ったし、我が広島県でも
弥生期は縄文形質が圧倒的に多かったが、古墳期から高顔の渡来形質が急増で、
世界的民族移動の世界史の普遍から逸脱しとらんし、おどれらカルト鎖国史観の
歴史修正主義が狂うとるんよ。 >>534
>>417-419のよう日本に古代の歴史は無ぁし、朝鮮人は半島部新羅統一から朝鮮民族、
日本は記紀の書かれた奈良期に西日本においては日本民族が成立するけど、東日本の
甲信越、関東なら平安初期、東北なら平安中後期と民族の形成期は地域に差があるよ。
箕氏朝鮮なんか存在が確認されとらん伝説じゃし、衛満朝鮮から史記列伝で牧畜と
漁業が盛んじゃった燕の文化、考古学的にゃ漁撈や狩猟と共に農耕、牧畜と多産な
営みの遼寧文化圏が半島へ影響を与えたわけで牧畜の牛に付けるベルが日本の
弥生にゃ銅鐸に成るんじゃが。馬韓は、獰猛でも降伏した敵にゃ寛容な習俗を持って
おったが、支石墓から遼寧の影響が強いわけじゃし、北方影響もあるが、農耕比重が
強い縄文形質が多かったろう。辰韓は、楽浪を同胞としたことや、元来チベット系
牧畜民系の秦に似た言語と書かれとるし、遼寧青銅文化の影響も強いし、
任那伽耶地方の弁韓も後に侵攻征服した北方木槨墓人が壊すまでは、楽浪式じゃった
し、遼寧文化の混じった漢文化の影響は強かった。これら韓の沿岸部の住民は倭人と
呼ばれたし、半島東北のワイ族も、中国語で倭と同音で、作家の松本清張氏が、
濊は中国語でwei倭もweiと関連があり、 濊の一部族、邪頭昧族を出雲の枕詞
「やつめさす」、それが故国の名前を 持って来てヤツメ・イズモではないかと
されたが。
じゃが、世界的北方民族南下で、百済も扶余系自称の高句麗文化支配層の国に
成ったし、新羅も辰韓と習俗が違うに成ったことを北朝から疑われたんも当然で、
遊牧民スキタイ式の積石木槨墓人が支配層の非中国的で西アジア的な黄金文化の国に
成ったし、任那伽耶も支配層が北方木槨で、これらの支配層が古墳期に大量移住して
来るわけで、蘇我氏のピラミッド式高句麗様式古墳も、高句麗系か高句麗系の百済人
じゃった可能性が強いわけで、百済が滅ぶ前からも大量の渡来系ゆえ、近畿や山陽は
渡来系そのものの体質に成ったとも云えよう。稲作じゃの日本でも主要産業じゃ
無ぁし、日本人の農耕主食は麦じゃったけぇのう。 >>537
米は温度差が激しい朝鮮の方が美味しいし、北大路魯山人氏も李朝に献上した米を
最上とされとるのう。まあ、朝鮮でも北朝鮮から満州の米が一番美味しい。逆に
不味いのが米産地の中国の江南の米ゆえ、炒めて食うたほうがええ。
日本でも気温の高低差が激しい地域の米が美味いし、我が広島県でも山地豪雪地帯の
県北の米が美味しい。じゃが渡来系弥生人は平野部で米作りよったけぇ
不味かったろうのう(笑)。 へー、そーなんだ。すごいね!
>日本に古代の歴史は無ぁし、朝鮮人は半島部新羅統一から朝鮮民族、
>日本は記紀の書かれた奈良期に西日本においては日本民族が成立する
まで読んだだけで、頓珍漢すぎて感動した。
米の話は酷過ぎw >>550
じゃあ縄文晩期の渡来一世の人骨を見せてくれないか?
あんた、形質が半永久的なものと勘違いしてるだろ。
形質が半永久的なものなら、今も世界中の人々がコイサン人と変わらない形質のはずだろ。
我々が知り得るのは縄文晩期から500年以上経った弥生前期後半の甕棺墓時代に
なって甕棺墓に保護された渡来一世から16世代以降の、渡来一世とはかなり形質が
変わってしまった渡来人骨だぞ。
吉野ヶ里、金隈あたりの初期の甕棺墓の人骨の頭骸ほど簡単に言うとゴツくて、
あまりシャープな頭骸じゃないんだよ。
ところが、弥生後期の土井ヶ浜人骨になると華奢で狭顔のシャープな頭骸になってくる。
両者間の時間差は3〜400年間くらい。
3〜400年でこんなにも頭骸は変わってしまうんだよ。
吉野ヶ里、金隈から土井ヶ浜までの経年変化から縄文晩期の渡来一世の人骨を
シミュレートすると渡来一世が広顔であっても何ら不思議ではないんだよ。 >>551
百済、高句麗が滅んで、大量の亡命帰化のときでさえ、全部合わせても朝鮮帰化人は
1万人くらい。
それ以前の帰化する必要のない時代の朝鮮帰化人の総数は、卑弥呼時代から秦氏を経て
白村江までせいぜい数千人規模だろう。
トータルでも2万人行くか行かないか。
日本人口がすでに300〜500万人くらいの時代。
比率にして1%にも満たない規模だぞ。
日本人種にそれほど大きな人種的影響を及ぼしたとは考えにくい。 『サカキバラ事件』?
宣伝でもしているんだろう、
と言っている人がいたけど、なぜだと思う
もれ(仮)も、そう思っていたんだけど
被害者、土師氏? 『ザ・モモタロウ』という作品、
『ドラクエ』・・・その他 「むこうにカメがいるよ」
浦島太郎?小学校の頃、演じたことがあるんだけど、ウラシマの役。
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