>>530の続き。
[「第1段階(第1波)が後期旧石器時代から縄文時代の中期まで、第2段階(第2波)
が縄文時代の後晩期、第3段階(第3波)は前半が弥生時代、後半が古墳時代以降と
いうものだ。「第1波は縄文人の祖先か、縄文人。第2波の渡来民は『海の民』
だった可能性があり、日本語の祖語をもたらした人たちではないか。第3波は
弥生時代以降と考えているが、7世紀後半に白村江の戦いで百済が滅亡し、
大勢の人たちが日本に移ってきた。そうした人たちが第3波かもしれない」と語る。
のモデルが新しいのは、「二重構造モデル」では弥生時代以降に一つと考えていた
新しい渡来人の波を、第2波と第3波の二つに分けたことだという。
この二つの渡来の波があったために「うちなる二重構造」が存在している、と
斎藤教授は説く。]
じゃが、>>500-501の埴原和郎氏は、古墳期に大量渡来説で弥生期の渡来は、
九州北部〜山陰と限定された地域に多い渡来とされるし、池田次郎氏も弥生期の
中頭渡来人骨と古墳期の短頭系の本格的渡来集団を区別されとったし、後者は
日本人の特に畿内、山陽の短頭に影響のあるわけじゃが、出雲の山陰や日本海側は
中頭でも高顔の弥生的渡来形質が多いいが、畿内、山陽は、高顔で短頭の渡来形質
じゃし、弥生列島倭人の特徴と違う。関東は南関東じゃ低顔角張った顔の
縄文形質でも、短頭も目立つし、日本も地域によって特徴が違う。
まあ、古墳後期の渡来系ラインとしては、北九州〜山陽〜畿内〜東海の日本の
主要ラインよのう。弥生系の渡来者は周辺に追いやられ、縄文系は更に辺境へ追い
やられた構図は島国イギリスの渡来者の順序にも類似しとるよ。