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物部氏とは何者??
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0001日本@名無史さん
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2013/12/19(木) 19:53:10.01
語れ
0002日本@名無史さん
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2013/12/19(木) 22:03:56.02
物部文書を読め
0003日本@名無史さん
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2013/12/20(金) 21:00:27.50
饒速日命だろ
0004日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 01:37:50.57
饒速日命は神武天皇の曽祖父でしょ
0005日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 07:31:29.17
徐福 伽耶
0006日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 08:55:47.38
イスラエルの失われた十支族の一つだけど戦いと呪術に長けた部族。
でも戦いはユダ族、呪術はレビ族・アロン族の方が上?
十種の神寳は物部の神宝?それとも出雲の神宝?
0007日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 19:49:19.32
大学の後輩に物部さんてかわいい女の子がいたよ。
0008日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 19:51:58.81
>>6
ユダヤ人のその中国人並の妄想。
今後洒落になら時代になりそうだぜ。
0010日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 21:19:21.52
>>4
ニニギだろww
0011日本@名無史さん
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2013/12/21(土) 23:35:28.64
そうだね、間違えた。
0012日本@名無史さん
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2013/12/22(日) 00:33:29.43
古代に祭祀と武力を担当した部族
蘇我氏と権力を二分するほどの豪族だった

物部文書によると蘇我氏に負けて都落ちし秋田に直系の子孫が居る
地元でも特別扱いされてるようなので信頼性は有る
0014日本@名無史さん
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2013/12/22(日) 05:43:18.75
>>8-9
0015日本@名無史さん
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2013/12/22(日) 17:12:03.45
物部氏っていうと反仏教勢力みたいに言われてるけど
物部氏の支配下にも仏教勢力居たんだってな。
BS歴史館でやってた
0016日本@名無史さん
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2013/12/22(日) 18:14:56.08
以前東洋英和で物部さんがいた
聞いたら直系だといっていたなあ
0017日本@名無史さん
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2013/12/23(月) 04:37:16.11
物部の「モノ」の意味は安倍・阿部(「アベ」「アヘ」)と同じ「不可視の力」。
誰もよく分からない、それが物部。
0018日本@名無史さん
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2013/12/23(月) 08:49:01.79
蘇我馬子のカミさんも
物部守屋の妹なんだよな
0019日本@名無史さん
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2013/12/23(月) 23:27:08.24
籠神社や石切剣箭神社の宮司は物部氏の支族が代々受けついでいて
社伝によると饒速日命(物部氏の祖)は天皇家より早く大和地方に進出してた
もう一つの天孫一族だったらしい。
0021日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 06:16:41.97
裏切り者
0022日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 09:56:46.82
>>20
同一人物だよ。

饒速日命=大物主の正式名称が「天照国照 彦天火明 櫛玉饒速日命」
つまり彦天火明とは饒速日命の略称なのである。

籠神社はこの神を主祭神とし、天照大神より上位と位置付けているのだ。
0023日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 10:09:53.83
始祖・彦天火明命から連綿と続くという、籠神社の代82代宮司の話しでは、
社伝によれば彦天火明命は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の別名とされてるそうな。

彦火火出見尊=山幸彦なので籠神社は自社を
「元浦島、元龍宮、常世信仰発祥の故郷」と称してるらしい。
0024日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 12:58:56.49
>>19 >>23
籠神社は既に藤原氏が取って替わってるというけどね。
検索してみ。
0025日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 13:17:12.94
>>24
現在の籠神社の話ではなくルーツの話だよ
0027日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 14:38:46.72
饒速日命=大物主=彦天火明=彦火火出見尊=山幸彦

なのでニニギの子という説だよ。
0028日本@名無史さん
垢版 |
2013/12/24(火) 14:56:40.64
籠神社宮司海部氏の日本最古の家系図

ttp://www.motoise.jp/main/houmotu/keizu1.html

海部氏が私に作成したものでなく、之を作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、
更にそれを大和朝廷に差し出した所謂本系帳の副本であり得る事が証明され、
国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。
0029日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 20:39:20.33
24日か
ベリークルシミマス
0030日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 21:11:39.31
徐福とかって言ってる翔んでも本とか有るがどうなのかね?
0031日本@名無史さん
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2013/12/24(火) 22:27:25.12
興原敏久
0032日本@名無史さん
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2013/12/29(日) 07:12:27.73
>>19
逆だよ。物部が支族という感じ。
丹波一族=アメノホアカリ一族の宗家で王族。
崇神以前にいつくかの支族が出来ていた感じ。
妃も多いし、古くは王族だったが、応神期ごろに姓をもらったらしいから、
そのころは勢力が衰えて臣下になったんだろうね。
だけど、雄略の時、アマテラスは丹波から豊受大神を迎えている。外宮の神様。
何かあったんだろうな。
0033日本@名無史さん
垢版 |
2013/12/31(火) 14:53:41.83
ちょっとのぞいたけれど、ムズイね
物部氏が仏法の信奉して、中臣の鎌子一派が廃仏で争った構図ね
物部氏は聖徳太子の系統だったの? 
これから少し勉強してみようかな、なあんて
0034日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/04(土) 20:19:38.69
饒速日=ホアカリと思ってたけど、違うのかなぁ?
降臨前のニギハヤヒの根拠地はどこだ?
0036日本@名無史さん
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2014/01/06(月) 22:50:38.10
>>33
聖徳太子は蘇我氏と組んで物部氏と戦ってるよ
0037日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/07(火) 14:43:00.33
>>34
高天原だろ。
記紀が書かれた当時の大和朝廷の領土内にはない。
白村江の戦いで失った朝鮮半島だろうね。
0038日本@名無史さん
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2014/01/07(火) 16:29:27.06
>>34
どうなんだろうなあ。
同一って伝承もあるけど、なんか扱いが違う感じがするんだよなあ。
ホアカリ族=王族
ニギハヤヒ系=家臣

ホアカリ族の宗家だけが王族扱いで、物部の先祖は庶流の支族だったから
家臣だったのか?
ニギハヤヒが神武と同世代な訳はないからな。
0039日本@名無史さん
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2014/01/07(火) 18:31:31.71
高天原は長江下流域の稲作先進地域ではなかろうか。
その辺は秦朝以前は非漢民族系の東夷が多く住んでいた。
中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する部分が多い。
0040日本@名無史さん
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2014/01/07(火) 20:44:26.00
>>38
ホアカリ族とニギハヤヒ族の違いとは、
同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
ヤコブ(イスラエル)臨終の時に王権の指定のあったユダ族或はエフライム族とそれ以外か、
或は同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
異民族や同族との長い戦いの末にマナの壷など王権の証を手にしていた一族とそれ以外、
或はこうしたイスラエル渡来王権と日本先住王権との違いのような気がする。
0042日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/10(金) 09:14:06.64
41
同意。
物部の故地は遠賀川流域とする説もあるが、さらに遠祖は、筑後川中下流域と考えるものもいるようだ。
そこでの物部の位置づけと、天孫族との関わりが分かると、饒速日とイワレヒコの関係やホアカリと饒速日の関係性が明確になるような気がするが。
0043日本@名無史さん
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2014/01/11(土) 02:52:10.97
物部氏のルーツは秋田だよ
0044日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/11(土) 09:47:32.77
大和に神武が入った時に、長髄彦が敗れただろ。その際に長髄彦の勢力の一部が北へ逃れた。
秋田の物部はその勢力だ。
饒速日はホアカリの庶流とする説が一番現実的だろうな。
大和を明け渡す時、統治の正統性という点で、イワレヒコに統治権を譲っている。
これは、天孫族の本流への近さがメルクマールになっているんだろう。
0045日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/11(土) 09:53:16.79
>>39
そう考えた時もあったんだけどね。
それだと、先進地域からやってきて原住民を蹴散らしたって伝承があっても
おかしくないし、せいぜい3000年前になるだろ。
苗族とか、の親戚というか。

でも、記紀の神代は、弥生以前のかすかな記憶も伝えてる感じ。
遺跡で言えば、福井の鳥浜のようなイメージ。

記紀や風土記を作った日本人の先祖の主流は縄文人で、水稲稲作を
取り入れ、渡来人を受け入れた。
高天原は、はるか昔の先祖達のことなんじゃないかなあ。
0046日本@名無史さん
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2014/01/11(土) 11:28:21.23
>>44
ニギハヤヒが畿内に移住する前は秋田に居住していた
降臨した山は鳥海山
天皇を支えた神官の家系なんでそれなりに正確な伝承だろう
秋田美人はニギハヤヒが集めたと思ってるw
0047日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/11(土) 13:29:21.03
46
秋田の歴史も興味深い。
秋田犬はヨーロッパ犬の遺伝子をひくらしい。
秋田美人との何らかの関係がありそうだ。
大陸との接触があったのだろう。
0048日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/13(月) 17:51:03.45
アマテラス勢力(九州南部)スサノオ勢力(出雲地方)ニギハヤヒ勢力(近畿地方)
実はどれも源流は違うのに記紀で一つの系統にまとめられたのかも
0049日本@名無史さん
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2014/01/13(月) 20:44:53.02
>>47
秋田美人なんて幻想だよ
じっさい美人なんてそんないないし。
顔形で美人と称されてるんじゃなく、色白だったから美人と言われてるに過ぎないと思うよ
秋田女が美人なんて幻想
稀にいる超美人なんて何処の県にもいるだろうし)東日本なら(
0050日本@名無史さん
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2014/01/13(月) 22:54:58.45
49
東日本ならって?
0051日本@名無史さん
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2014/01/13(月) 23:23:25.48
東日本なら美人はいるだろうがという意味なんだろう
いわせるなよ
0052日本@名無史さん
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2014/01/14(火) 01:57:36.27
「もののべ」と「もののふ」ってよく似てるんだけど、「もの」って
同じ意味で使われてたりしないのかな
0053日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 02:29:33.33
「もののふ」の語源が「もののべ」だからね。
「もののけ」などのように直接口に出すのが憚られるほど恐ろしい物を昔の人は「モノ(物)」と言った。
軍事や刑罰などもその類らしく、そういった口に出すのも恐ろしい軍事を担当したのが物部。
0054日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 04:04:48.18
>>49
佐々木希タイプは他の地域に居ないからあながち幻想ではないきがする
0055日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 08:23:48.48
>>49
秋田の既に中世の歴史にわざわざ秋田美人を娶る為にその辺に行って豪族やってたのが出て来るが。
南部氏だったかその辺り。
0056日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 09:57:26.45
>>53
「もの」自体に極端な畏怖の意味はないよ。
物部が没落してゆくさまの事だからね、「け」は。
0057日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 11:15:26.01
佐々木希
0058日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 11:20:43.51
佐々木希がどうみたら秦氏族に結びつけるようなエキゾチックな顔してるのか。
あんんな目なら東北全土におおいし、あれはフィリピンあたりを色白にしたていどでしょ
仮に秋田に渡来系が来てたなら間違いなくフィリピンかポリネシアミクロ根志あ辺りの人間だよ
0059日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 11:36:13.64
俺の親戚も秋田だが完全に異質
13代位つずいてる日本ん人だが、目が佐々木希の目に親こそろってあんな目してる

普通に東京歩いてると警察に1日に一回はパスポート提出求められ、さらには東南アジア系から同族と思われ現地語で初対面んで話し掛けられるほど。
確かに顔立ちは異質
渡来系の影響じゃないなら間違いなく蝦夷の影響だよね
似てる系統で言うとボビオロゴンを日本ん人ぽくしたかんんじというか、山本kidみたいなああいう顔がめちゃおおいのが秋田だよああああs

早々思い出した!
小錦みたいな顔がめちゃ多いんんだよ
0060日本@名無史さん
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2014/01/14(火) 11:39:45.80
いやほんと小錦みたいな顔や山本kidみたいな顔がめちゃ多い
0061日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 19:37:12.74
よく分からんが、粛慎の血が混じってるんじゃないか。
0062日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 21:31:17.12
うちの嫁さん青森出身だけど、ジャパユキさんとよく間違われてたよ。
こいつは、蝦夷だな。
0063日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/14(火) 23:21:33.38
>>59
それ南と太平洋側
引きこもりが無理すんなよw
0064日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 00:20:06.32
「もの」は霊的な存在(Spiritual matter)を指すことば。「もののけ」という言葉は、
霊的な存在の気配(け)を意味することから転じて幽霊や妖怪や鬼を指すようになった。

木や石でも、それを「もの」と呼ぶときは、物質の霊的な側面を意識していると
考えて良い。日本人の万物に命が宿るという考え方は、このような森羅万象に
霊的な側面を見る先祖の世界観に依拠している。

物部氏は、この霊的な存在を扱う氏族として霊魂の清浄性を判じたり(裁判)する
職務(司法・警察)に携わった人々。

「もののふ」は、「海部」とかいて「かいふ」と読む習いがあることを知っていると
どのように移り変わってきたかがよくわかる。「もののふ」が王を名乗るよりも
将軍を名乗ることに固執したのは、自らが霊にかかわる警察・司法権力の覇者
であることを意識していたから。







…と言ったら言い過ぎか
0065日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 01:06:48.37
まあ確かにタイ人が以前、東北が大好きと言ってたんで、何でと聞いたら、同胞顔が一杯いるといってたなあ
東北は渡来系タイ人が先祖の可能性あるんじゃないか?どこ
0066日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 01:11:11.29
タイよりベトナム顔の方が多くね?
0067日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 01:30:37.01
タイとベトナムの顔立ちの違いはよくわからないけど、ベトナムのほうが少しのっぺりしてるかな?
そうだとベトナムだが、どっちも堀が結構深いんだよね
個人的にはタイベトナム系をのっぺりした顔、すなわちフィリピン系かな
東北は日本人かどうか見分けるのに顔じゃ分からない位濃い人いるからなあ
海流に乗っかれば、確実に日本にたどり着くだろうし
0069日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 02:00:48.23
>>68
真ん中の人みたいな顔がうじゃうじゃいるねww
確かにベトナムだわ
タイ人はすこし堀が深すぎるかもなあ
0072日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 17:07:07.24
>>71
中国と日本の平均顔の違いはあまりないんだな
中国人はもっと丸顔のイメージだったけど
0073日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 17:14:32.60
でも東北人の平均顔はタイ人ジャマイカ?
0074日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/15(水) 21:31:36.72
元々、縄文人はクメール系の民族ではなかったかというせつもあるから、縄文色の強い東北は、濃い顔が多いのもうなづけるな。
ちなみに、津軽弁と薩摩弁は共通性が多いらしい。
0075日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 01:04:00.21
>>74
ねーよwww
津軽弁は東北の中では特殊で古代大和言葉が残っている
東北弁は出雲弁とそっくり
0076日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 02:22:54.74
東北人は渡来系ベトナム人てことでおけ?
0077日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 03:31:39.29
>>76
越ってベトナムの事だけど
弥生人が越人なんだよ
ただ呉人も来てこれも弥生人

2500年前ごろこいつらがどっと日本に来た
半島にも来たけど日本の方が住みやすかったようで日本が多い
日本の習慣も中国南部と近い
0078日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 04:34:46.12
>>58
フィリピン人は目は大きくても鼻が低く色が浅黒い
0079日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 04:46:42.36
>>75
出雲弁って具体邸的にどんなの?
0081日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 16:05:56.76
>>77
だから越系渡来人があ東北に
呉系渡来人は中国地方へ
エベンキツングースっ系渡来人が畿内へ
関東人はスーパーさいや系渡来人
てことだろ
0082日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 20:01:31.24
呉は熊本あたりだろう。
正しい系図の保証はないが、松野連系図は後の姫氏で始まるぞ。
普通に考えたら、紀元前500年頃に呉が越により滅ぼされるだろ。
その時に離散した呉の稲作民が列島に入ってくるだろ。
それまでは、日本には縄文人がいただけで、稲作は殆ど行われていない。
そうすると、呉や山東半島、朝鮮半島に最も近いところから稲作が始まるわけよ。
この呉の渡来人と縄文人の混血が最初の弥生人で、どんどん稲作が普及し、九州一円、本州などに広がると。
次に越が紀元前2世紀に滅亡し、また離散し、一部が日本へ。
この時、既に日本で稲作が普及してたから、越人は未開の地へ。
そこが北陸の越さ。それから、北陸は粛慎が結構入ってきているからな。佐渡なんか非常に多い。
0083日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 20:10:44.58
まあ海人族(モーケン族)と山祇族(セノイ族)の混血だろうな。
0084日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 20:26:50.88
粛慎てなあに?
0085日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 20:30:12.85
粟末靺鞨のこと
0086日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 20:39:13.33
85
然り。しゅくしんで検索してごらん。
0087日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 22:02:03.38
>>85、86
なるほど要は満州系の総称みたいな感じですね

これは畿内に多いというエベンキツングースとは違うんですか?
0088日本@名無史さん
垢版 |
2014/01/16(木) 22:04:56.08
655年、北の蝦夷99人、東の蝦夷95人、百済の調使150人に饗応。

658年、4月、阿倍比羅夫が軍船180艘を率いて蝦夷に遠征。
降伏した蝦夷の恩荷を渟代(能代)、津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応した。
7月、蝦夷二百余が朝献した。常よりも厚く饗応し、位階を授け、物を与えた。
11月、この年、越の国守の阿倍引田臣比羅夫が粛慎を討ち、生羆二つ・羆皮七十枚を献上した。

659年、3月、阿倍比羅夫に蝦夷国を討たせた。
阿倍比羅夫は一つの場所に飽田(秋田)・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、
津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏の蝦夷20人を集めて饗応し、禄を与えた。

660年、3月、阿倍比羅夫に粛慎を討たせた。
比羅夫は大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島まで追って、戦い破った。
5月、阿倍引田臣が夷50人余りを献じた。石上池で粛慎47人を饗応した。

粛慎は挹婁・勿吉と国号を改め、7世紀初期には靺鞨と名を変え、高句麗や突厥に服属し、
後に渤海を建国した南の粟末靺鞨と、後の女真となる北の黒水靺鞨に二分されている。

724年頃に建立された奥州多賀城の石碑に「西に靺鞨国」との文字がみえるが、『日本書紀』編纂時には粛慎の改号を知らなかったようだ。

612年、隋の煬帝は高句麗に遠征し、高句麗に服従していた靺鞨粟末部の大部分を帰順させ、現在の朝陽市に移住させた。
隋に帰順しなかった靺鞨粟末部の残余は、高句麗側で抵抗を続け、668年に唐が高句麗を滅ぼした後、朝陽市に強制移住させられている。

従って、日本書紀に登場する粛慎とは、高句麗と共闘していた粟末靺鞨ではなく、アムール川中流域の黒水靺鞨のことになるが、
中国の史籍には、黒水靺鞨は「東夷最強」とあり、当時の倭国水軍が敵うような相手ではない。
『日本書紀』では阿倍比羅夫が何度も「饗応」しているが、敵を饗応するのは和議が成立した場合で、実際は討伐ではなく、
蝦夷や中国大陸の部族と交易をした記録を歪曲したとも考えられるが、この時期の倭国は風雲急を告げる国際情勢にあり、
東北に水軍を派遣するような余裕があったとは思えない。
0089日本@名無史さん
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2014/01/16(木) 22:23:40.21
勿吉

5世紀頃から史書に現れるツングース族。
挹婁の故地の松嫩平原東辺〜沿海州南部に住して北魏・東魏に頻繁に朝貢し、周辺諸族を冦掠して「東夷最強」と称され、494年に夫餘を滅ぼした。
『魏書』には挹婁の裔とあり、言語は「独異」として近隣諸種との違いが指摘され、隋の頃より靺鞨と記されるようになった。
0090日本@名無史さん
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2014/01/16(木) 22:33:12.21
『満族』天山網

滿族本稱滿洲、屬東胡的一支、發祥于白山K水之間、其族源可上溯至周代的肅慎、漢代為挹婁、地北朝埋藏為勿吉、隋、唐時期為靺鞨、五代、宋、遼、金、元朝時期為女真。

満族、本は満洲と称した。東胡の一支族に属し、白山とK水の間で発祥した。
族の起源は周代の粛慎に遡り、漢代には挹婁、南北朝時代には勿吉に埋没し、隋唐の時代には靺鞨となり、五代十国・宋・遼・金・元の時代には女真となる。


悠久の歴史を有する民族だが、穢系部族(扶余・高句麗・濊貊・沃沮)に比べ、生活基盤を定住農耕に転換するのが遅く、
ツングース族本来の狩猟生活を継続していたことで、国家体制の整備構築が大幅に遅れたようだ。


勿吉國、在高句麗北、舊肅慎國也。邑落各自有長、不相總一。其人勁悍、於東夷最強。言語獨異。常輕豆莫婁等國、諸國亦患之。

勿吉国、高句麗の北に在り、昔の粛慎国である。邑落には各自に長がおり、相互の統一はされていない。
その族人は頑強にして東夷で最強。言語は特異。常に豆莫婁(扶余の後裔)などの国を軽んじ、諸国はこれを患としている。


南北朝の時代に至っても国家体制ができていない。匈奴や蒙古のようにカリスマ的な英雄が登場しなければ部族間の統一が不可能だったのだろう。
豆莫婁とは扶余の後裔が建国したのだが、挹婁時代に扶余から受けた屈辱の恨みを晴らしているかに思える。

この時期、高句麗の最盛期にあたるが、勿吉が東夷で最強ということは、高句麗をしても勿吉に対抗できなかったのだろう。
西に中原諸国、北に勿吉がいたのでは、高句麗は勢力を朝鮮半島に向けるしかしなかったことになる。
0091日本@名無史さん
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2014/01/16(木) 22:34:17.34
煬帝初、與高麗戰、頻敗其衆。渠帥突地稽率其部降、拜右光祿大夫、居之柳城。與邊人來往、ス中國風俗、請被冠帶、帝嘉之、賜以錦綺而褒寵之。
及遼東之役、突地稽率其徒以從、毎有戰功、賞賜甚厚。十三年、從幸江都、尋放還柳城。李密遣兵邀之、僅而得免。至高陽、沒於王須拔。
未幾、遁歸羅藝。(十三年、從帝幸江都、尋放歸柳城。在塗遇李密之亂、密遣兵邀之、前後十餘戰、僅而得免。至高陽、復沒於王須抜。未幾、遁歸羅藝)。

煬帝の初め(604年)、高麗と戦うが、その軍勢は幾度も敗戦。
渠帥の突地稽が自分の部(粟末部)を率いて降り、右光祿大夫の官位を授かり、柳城(遼寧省朝陽市)に居住した。
辺境の人々が往来し、中国の風俗を悦び、冠を被り、帯を巻くことを請う、皇帝はこれを嘉とし、錦織の着物を賜い、
これを褒めて寵した。遼東の役では突地稽はその一党を従えて、いつも戦功をあげ、甚だ手厚い賞賜を授かる。

十三年(616年)、帝の江都行幸に従い、柳城への帰路を探す。
途上で李密の乱に遭遇、密は兵を派遣してこれを求め、前後十余度戦い、僅かに免れた。
高陽に至り、王須抜もまた没した。程なくして羅藝に逃げ帰る。


この後は勿吉の名が消え、靺鞨に代わる。靺鞨とは北方の方言で勿吉のこと、両者の音が同じだとされる。
0092日本@名無史さん
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2014/01/17(金) 02:11:40.68
東北弁と出雲弁と九州のうちの幾つかはよく似てると思う。
薩摩人は知らんが、長崎、宮崎は似てた。
0094日本@名無史さん
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2014/01/24(金) 22:45:28.03
西日本の(後に東日本も)水稲稲作の源流は、北九州の板付・遠賀川あたり
と言われてるよなあ。高天原が北九州ってんなら、分かりやすいんだけどさ。
遠賀川式土器が広まった時の記憶が、スサノオと大国主命で、青銅が広まった時の
記憶がアメノホアカリとニニギでとかさ。

そんな単純じゃないんだよなあ。
だけど、どの一族も「どこかからやって来た」と言ってる。
まあ、先住民がいるんだけどね。
平定しにやって来てるから、遠賀川以降なのかなあ。
0095日本@名無史さん
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2014/01/25(土) 08:19:27.72
まだ北九州だのいってんのか
ほんとにどうあっても南洋航路を無視したいんだな
ほんといい加減しつこいぞ
0096日本@名無史さん
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2014/01/25(土) 08:20:19.61
なにが平定だ馬鹿じゃねえのか?
そんなこと言ってるなら○してやろうか?
0097日本@名無しさん
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2014/01/25(土) 21:45:53.40
初カキコ
0098日本@名無史さん
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2014/01/25(土) 23:33:35.19
>>96
勇ましや勇ましや
0099日本@名無史さん
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2014/01/26(日) 06:22:31.06
縄文後期から古墳時代まで色んなルートから
ちょこちょこ日本に移民してきたけど結局どの地域も主体は
縄文人の血統が多かったと思う。
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