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物部氏とは何者??
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0001日本@名無史さん
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2013/12/19(木) 19:53:10.01
語れ
0115日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 05:48:36.19
現代の訓読みでもなく音読みでもないのは日本の古語のなごりだろうな
0116日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 08:55:47.18
包(示包)執りの訛りだよ適当てへぺろ
0117日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 09:00:43.12
むしろなんで、ふくべ、じゃないのかと思わんの?
0118日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 09:05:55.44
この場合、変わってくるのは苗字がウ行からア行への移行だね
0119日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 09:08:22.93
ふくは音読みだからね。
はっとりははたおり(機織り)の訛りだろう。
0120日本@名無史さん
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2014/03/24(月) 17:46:13.34
服部は秦氏なのか
0122日本@名無史さん
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2014/03/26(水) 02:46:57.35
近所に守屋さんがいて明治維新まで武士だったらしいんだけど先祖が守屋大連っていう人で本姓は物部氏なんだって
0123日本@名無史さん
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2014/03/26(水) 11:26:01.63
そいつはモリヤという姓が先で、後から有名人の物部守屋に付会したんだよ
諏訪とかにもあるでしょ
0124日本@名無史さん
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2014/03/28(金) 17:02:06.71
物部の祖、尾張の祖の一族の娘が古い時代の妃に多いんだよな。
0125日本@名無史さん
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2014/03/28(金) 22:13:01.33
それぞれひとりづつじゃないの
伊香色謎と世襲足姫
後づけで県主系后妃を同族にしちゃう説もあるけど、それならそうと書かれるはずでしょ
0126日本@名無史さん
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2014/04/14(月) 16:04:18.48
物部の祖は一人かも知れんが、尾張・海部の祖の一族出身はいっぱいいるぞ。
0127日本@名無史さん
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2014/04/16(水) 18:38:04.42
     *      *
  *     +  うそです
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *
0128日本@名無史さん
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2014/05/02(金) 14:22:51.25
>>1
前スレ
謎多き存在、物部氏について語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/

過去スレ
いまいちマイナーな存在、物部氏について語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1029739403/

関連スレ
そろそろ本気で物部守屋を考察しよう!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1097895054/
【正典】先代旧事本紀【偽典】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1305429454/
先代旧事本紀大成経
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1117005129/
『スサノオ』先代旧事本紀を語ろう『ニギハヤヒ』
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1056591834/
西暦0000年から0100年までの日本
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087159616/
★★日本に、金属製法を伝えた民族とは?★★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1078123279/
0131日本@名無史さん
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2014/05/10(土) 13:04:10.67
今年の物部守屋公墓前祭っていつですか
6月14日くらいかな?
0132日本@名無史さん
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2014/05/15(木) 11:53:41.19
物部氏こそ日本人。藤氏、高氏他は渡来系氏族に過ぎない。
0133日本@名無史さん
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2014/05/15(木) 13:40:54.74
伊勢・志摩国造家・武蔵国造家の人って、忌部氏なのか物部氏なのか千家系譜なのか良く分からない。
父系・母系で大国主命の出雲系譜なのは分かるのだけど・・
0134日本@名無史さん
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2014/05/15(木) 14:03:20.53
皇室の万世一系が必ずしも確実ではないように、豪族たちにも盛衰があって国造の地位も入れ替わりがあるぞ
0137日本@名無史さん
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2014/05/15(木) 23:10:47.47
はあ?平安時代の国造なんて出雲や紀伊で自称してるのがいたくらいだろ
0138日本@名無史さん
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2014/05/16(金) 21:07:29.41
>>135
武蔵平氏・伊勢平氏系のそれぞれ何氏が、国造の地位にあったと
おっしゃるのですか?
0139日本@名無史さん
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2014/05/16(金) 21:25:07.82
1000年前以上前のことよく分からないんだろw
0140日本@名無史さん
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2014/05/16(金) 21:35:36.40
よく分からないから根拠の無いことでも好き勝手に言っていい、という考え方がトンデモを生むんだよ
0141日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 00:45:22.27
下総に土着し9Cには足継、熊猪と二人も鎮守府将軍出してる物部匝瑳氏は
10Cの将門の乱の頃には全く名前出てこないね。
9Cで子孫が絶えてしまったのだろうか?
0142日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 04:57:29.27
古代史はトンデモ説オンパレードでうんざりだよ。
>>132 新撰姓氏録をちゃんと読めや。
あれは、ちゃんと出自に関して、分類してある。
0143日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 09:08:55.89
>>132
>物部氏こそ日本人・・・・・・・・・・・・・・・・
藤原氏は、その祖が物部氏の祖饒速日に随従河内の哮峰降臨?上陸した
部下天児屋根だから渡来人だが、同行した饒速日も同じ渡来人だぞ。
高階氏が渡来人というのは、長屋親王系以外の高階氏のことかね?
0144日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 09:20:26.63
藤原氏の祖は藤原不比等
0145日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 09:26:16.01
中臣鎌子は死んだあとに藤原姓を与えられてんだが?
事実、中臣姓のままの子孫もいるんだろ?
0146日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 11:37:46.01
「降臨」は文字通り古代集団の信仰が生み、伝えた神話
あえて上陸だの渡来だのの意味に取らなくてもよい
0147日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 12:26:09.56
>>144
その藤原不比等が、>>132氏の云うように渡来人だと?
で、何処から渡来したと云われるの?
0148日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 12:38:08.73
神道系にもいくつも派閥があるからその伝承を伝えてる人らを探すしかないだろうねえ
0149日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 12:40:42.89
本来、その一族の祭儀はその一族だけのもんだし
0150日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 13:07:53.76
古代史料に基づいて議論すべきだ
現代の神道がどうこういうなキモい
0151日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 13:28:27.20
国家神道ってとこで反発がおきてんだろw
神道自体は過去への道案内だから反発する理由が分からないけど
0152日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 14:59:21.96
>>145
中臣鎌足だろ
中臣鎌子って欽明天皇の時代に物部守屋と一緒に仏教反対してた別人だぞ
藤原朝臣を受けたのは鎌足が死ぬ直前だよ

文武天皇の代になってから藤原不比等が自分の子孫以外が藤原を名乗ることを禁じた
0153日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 15:20:55.48
>>152
落ち着いて皇極紀を見てみろ
「鎌子」表記になってるだろ

藤原朝臣誕生も、物部連→石上朝臣や物部首→布留宿祢、膳臣→高橋朝臣なんかの一連の改氏姓の時期からすると、
鎌足顕彰のために古くさかのぼらせた疑いはあるかもしれんが、根拠が無い以上、
鎌足が死ぬ直前ってことにしておくしかないね
0155日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 15:38:56.75
>>153
藤原不比等が若い頃は藤原史と名乗ってたみたいなもんだろ
死ぬ間際は鎌足だろ(藤家家伝他)

日本書紀天智天皇8年の記述
「庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原內大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏。
自此以後、通曰藤原內大臣。辛酉、藤原內大臣薨」

あえて日本書紀記述を曲げてまで死後贈位にする意味がない
明確な根拠はないだろうに
0156日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 16:04:13.90
古代、女性には名前がなかったし鎌子でもおかしくもなんともないが?
0157日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 16:06:59.02
平安時代以降だろ
女性が名前を持つようになったの
0158日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 16:16:02.00
女性の名前を記すときは父親の名前のあとに女と入れて
何々の女(いらつめ)と記すはず
0159日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 16:29:14.32
じゃああの宅媛(物部木蓮子大連のむすめ)とかいう名前は何なんじゃい

あとsageないの?
0160日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 16:32:15.89
さあ?
神話だからな
0161日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 16:36:42.87
>>157
逆だよ
女に名前がなくなったのは平安時代以降
官位を貰う時につけるだけ

万葉集の女には名前がある
だけど古今和歌集になると女房名だったり(父の官職)女だったり
厳密に言えば平安時代以降男も名前を呼ばれなくなり
日記や和歌集には官職名で載る例が多い

>>158
・藤原与志古(鎌足妻・父は車持国子)
・蘇我娼子(不比等妻・父は蘇我連子)
父親の名前のあとに女なんて入れてないんだけど?
0162日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 16:40:48.99
某足って名前、奈良時代の戸籍にもいっぱい出てくるけど、某子だと古くさい印象だったんだろうか
0163日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 16:49:30.17
161
女性の場合は子は付かない
○女とつく、子がつくようになったのは後世
0164日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 16:57:24.03
>>163
古代から女性の名前に子は付くよ。
「こ」の発音を子とかくか古とかくかの違いだけ。
古代の名前は女性名と男性名の区別が曖昧だった。
そのために子(古)のつく女性名のあとに「娘」を付けて区別したりはあったけどね。
「こ」のつく女性名
・車持与志古(よしこ)
・伊賀宅子(やかこ)
・忍海造色夫古(しきぶこ)
。葛城広子(ひろこ)
0165日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 17:07:20.83
そうか?
○○子(こ)って名前だっけ?
もともとは○○子(し)からの変換が始まりだったと
思うけども?
0166日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 17:12:40.39
>>165
○○子(し)っていうのは平安時代の女性名をなんて呼んだのか分からないから
後世の歴史家が便宜上音読みしているだけ
当時の人が実際にそう呼ぶんでたってことじゃない

ただし当時の日記を読むと
・藤原多子(まさるこ)
だったり、藤原安子にならって読みが同じ藤原泰子という名にしたという記述などから
(安子と泰子に共通する読みは訓読みの「やすこ」だろう)
実際には訓読みで子(こ)だった可能性は高い
0167日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 17:12:42.88
現代の女性に子がつく由来の話だけどな
0168日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 17:14:14.15
>>167
だから古代から現代まで女性の名が「○○こ」というのはポピュラーなんだよ
「こ」の読みに「子」の漢字を当てたのは平安時代以降
それ以前は当て字だった
0169日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 17:50:35.20
天孫本紀だと、男性人名語尾のコは子じゃなくて古に統一されてるんだよね
物部阿遅古、物部石上贄古、物部恵佐古、物部老古、物部金古、物部塩古、物部竹古
物部麻伊古、物部牧古、物部目古、物部倭古
(◯◯ヒコは除く)
でも贄古は日本書紀だと贄子という表記になってる
0170日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 22:44:30.04
>>143
アフリカから渡来した人かも知れん
古墳時代は神話じゃ無い
神話になってるのはもっとずっと前だ
0171日本@名無史さん
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2014/05/17(土) 23:02:53.74
ニギハヤヒなどの山上降臨型の神話って朝鮮半島に類例があるんだっけ?
比較神話学はこの板の住人は苦手そう
欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られるから、
その手の文化を摂取したのも六世紀前半〜中頃かな
0172日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/17(土) 23:07:02.74
朝鮮の山上降臨型の神話って白山信仰で檀君神話のみだろ
内容はかなり怪しい
5千年前とか

天孫降臨神話は沖縄に明確に有るぞ
こっちは1万7千年前だ
0173日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/18(日) 12:31:47.13
崇排仏論争は結局どうなんだー

(1−1)実在した。原因は宗教対立。史料に書かれてることを信じろ。
(1−2)実在した。ただし政治的対立がメインで宗教対立はオマケ。宗教問題がなくともどのみち対立に至るはず。
(2)虚構だ。太子伝説の一環として創作されたものだから、オマケですら実在しなかった。
0174日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/20(火) 21:55:34.48
確か高地に物部(モノベ)ってあるだろ。
これと物部は関係あんのか?
0175日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/20(火) 22:07:43.96
もののけ姫みたいだね

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?search=
%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%B9&title=
%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%A4%9C%E7%B4%A2&go=
%E8%A1%A8%E7%A4%BA
0178日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/21(水) 11:16:48.63
谷川健一が白鳥信仰とかいってたけど、
通説の剣神信仰をひっくり返すような根拠はないんだよなあ
0179日本@名無史さん
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2014/05/22(木) 05:58:03.40
>>171
>欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られ・・・・・・・・・・・・
6世紀に物部何某が、半島へ渡海してどういう活躍をしたの?
0180日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/22(木) 06:33:58.35
隋書では対馬から壱岐を「東」と表現。
隋書を読む時は「東」を南東に置き換えて読む。

では宋書。かの倭王武の上表文はどう読むか?
・東の毛人55国を征伐。
・西の衆夷66国を征伐。
・海を渡って北の95国を征伐。
中心が倭王の都になる。

文字通り読めば三番目は韓半島。
でも隋書の例で「東」を南東とすると…。
南東で毛人55国を征伐。
北西で衆夷66国を征伐。
海を渡り東北で95国を征伐。
となる。一番目は今の宮崎県方面。倭は狗奴国を倒してる。
二番目は韓半島南部。
そして三番目が本州を指す。
これからも倭王は太宰府にいたと言える。そもそも太宰府って開府儀同三司の太宰の府。

太宰府だと九州説支持者にもつまらないかもしれない。
でも太宰府なんだね。少なくとも隋の時代まではずっとね。

本州畿内説支持者は言うかもしれない。隋書で秦王国からしばらく行き海に出た。そこは瀬戸内海で、本州畿内へ行ったのだ、と。
でもそれだと小徳アホたいの弁明が合わなくなる。使者一行は引き返して倭王の都へ戻った。
王国は秦国と呼ばれてた。それ以外に出てこないから。
0181日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/22(木) 06:38:24.07
>>180
スレ違いスマソonz
0182日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/22(木) 18:50:33.55
>>179
物部莫哥武連(物部施徳麻奇牟)、物部連奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏
という人たちが欽明紀に見える

彼らは氏(物部)や姓(連)を倭の大王から賜っている一族に属しながら、
個人としては奈率・施徳といった百済の官位を持って百済王に仕えていた
おもに、百済が倭に対して外交交渉をするときの使者や、
倭と百済が共同で軍事活動するときの武将として活動している
倭の物部氏とのコネを百済王宮から期待されていたらしい

どうしてこういう人たちが生まれたかというと、この人たちの父親が倭から外交官や武将武人として朝鮮に派遣され、
現地の女性と結ばれることがあったから
欽明朝の一世代前の継体朝に、物部伊勢連父根(物部至至連)が軍事将軍として派遣されてたことが見える
また姓氏録の韓国連(物部氏の同族)の祖先伝承に、武烈朝に韓国に遣わされ復命したとき、
その活躍によって韓国氏の名を賜ったとある
韓国氏の始祖・物部塩古連公は続日本記では塩児と表記されるが、
先代旧事本紀では物部麁鹿火の従兄弟に位置づけられており、
だいたい武烈継体朝ころの人物と考えられていたらしい
あと竹斯物部莫奇委沙奇という兵士も欽明紀にはいるね

物部氏は大豪族として政権の中枢にいたから、軍事・外交面での活躍も大きかったんだろう
0183日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/30(金) 17:26:33.41
孝元、開化、崇神の妃は、非常に興味深い。それ以前もそうだけどね。
複数の妃はほとんどがホアカリの子孫の伝承を持つ一族だ。
もちろん物部の祖もいる。

勘違いしてはいけないのは、物部の祖、尾張の祖、和珥の祖など、すべて
「祖」であること。ホアカリとニギハヤヒの一族のほうが神武系よりも
栄えていたように見えること。
0184日本@名無史さん
垢版 |
2014/05/30(金) 18:41:08.41
原帝紀・原旧辞の成立は欽明朝頃と見られてるが、
尾張氏が継体天皇妃を出して安閑・宣化二帝の外戚になったことや
物部氏の実在する天皇妃の唯一の例が安閑妃の宅媛だったりするのを見ると、
やはりこの頃の出来事や勢力が伝承形成に与えた影響は大きいなと、思わされるね
和珥氏系后妃も五世紀の葛城氏と六世紀後半以降の蘇我氏の間に活発に立てられているし
0185日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/01(日) 09:18:42.66
>>44
饒速日命を祖とする登美連の氏神を祀る神社が、勢力地の奈良北部
富雄地域でなく南方磐余地域にあるのは、本貫はこの地なのか?
等弥神社 御祭神:饒速日? 奈良県桜井市大字桜井字能登1109
http://kamnavi.jp/mn/nara/tomi2.htm
0187日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/01(日) 17:03:54.44
>>152
丁未乱に敗れた宗家物部守屋一統は、被差別賎民身分に落とされたの?
125 :可愛い奥様@転載禁止:2014/04/09(水) 00:05:09.35 ID:RmDzkAoF0
>>124
ところが物部氏は、仏教をめぐって蘇我氏と対立し、ついには戦(丁未の乱)と
なってしまった。そして物部一門の頭領の物部守屋が戦死し、以降物部氏は
権力者や有力者の地位から没落した。
物部氏が権力者の地位から落ちたことにちなんで、『部落』といい・・・・・
【同和地区】部落民エッタ四つ非人の奥様(^o^)
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/ms/1395062007/124-125
0188日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/01(日) 17:37:28.17
部落の部と、部制の部がかぶってるから連想した、ってだけなんだろうな
部民制度に由来する氏の名前は刑部とか日下部とかいろいろあるけど、
物部は有名だから変な付会もされやすい
物部氏が大連滅亡後も普通に史料上に現れることを知らないんだろう
http://mononobe.digiweb.jp/nenpyoumononobe.html
0190日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/09(月) 22:44:24.05
唐松神社の社伝は古史古伝(近代擬撰国史)の物部文書だから

河内国河上哮峯じゃなく鳥海山に饒速日は降臨した、
神功皇后は三韓征伐の後、九州ではなく秋田に帰り着き、物部胆咋に祀りをさせた、
物部尾輿の孫が大連滅亡の後、落ち延びてきたのが社家の祖、
といったぐあいに、書紀や旧事紀を元ネタに秋田に引き寄せてる

こういう自分の先祖を尊く見せたいとか、祭ってる神社を由緒正しいものにしたいっていう願望から生まれる伝説っていうのは、
割とどこにでもあるんじゃないの
物部氏が出てくるから有名になっちゃったけど
0192日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/10(火) 06:47:04.01
>>190
その家なんだけど唐松神社の宮司の家系で
権力は無いんだけど家柄が戦国時代以前から別格という感じ
あとナマハゲも空から降臨してるから
伝説と神話が妙に絡んでいる
0193日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/10(火) 18:42:29.47
室町時代には創建した古社なのは間違いないが、物部氏に付会された時期は謎ね
佐竹氏の転封後かもね(常陸国の久自国造、狭竹物部から案出)
部民制の時代、秋田が物部など部民設置できるほどにヤマト王権の支配が浸透していたわけではなく
それを無視して守屋の息子が落ち延びてきたなんて話を信じちゃうのはいかんわ

>>191
そういう語呂合わせはいらない
0195日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/21(土) 22:57:02.31
唐松神社は行って損は無いと思う
田舎なのに妙な格の高さを感じる
配置や鳥居も興味深い
なんというか神社の元祖的な感じがする
0196日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/21(土) 23:22:18.81
人間の持つ感触、オカルトにも通じる感覚的なものね
配置や鳥居といった演出にコロッとやられる人は、新興宗教にも騙されたりするから気をつけたほうがいい
史料を基礎に置いた議論をする歴史とは相容れない
0197日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/22(日) 10:59:14.52
この鳥居を見て興味を持たない人は異常
http://www.pipi.jp/~exa/kodai/tanbou/karamatu-zinja/Pages/8.html

柱二本だけの鳥居は極めて少ない、しかも参道がクランクw
天日宮の存在を隠したかった感じだな
0199日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/22(日) 13:22:14.28
知ってると思うが、天日宮も代々継続しているわけじゃなくて、
古伝と称して「復元」されたものだからね
もちろん古伝である保証はない
0200日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/22(日) 18:28:41.30
唐松神社に伝わる物部文書は
まだ半分も公開されてないんだっけ?
公開されてない部分に天日宮の事が書いてあるのかな
0201日本@名無史さん
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2014/06/26(木) 13:55:57.30
ものべので画像検索してみ
0204日本@名無史さん
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2014/06/29(日) 01:04:11.77
そのため、江戸時代には桜井茶臼山(外山茶臼山)古墳を饒速日の墓にあてる俗説すらあった
0205日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/30(月) 13:41:39.32
神武(と後の人が名づけた)がヤマトへやって来た時、すでにたくさんの部族が
栄えていたと思われる。
紀元200年頃の日本の人口は、60万前後という推計がある。
縄文末期に7万にまで減り、西日本は3万あまりとか。
先祖を同じくする一族がいくつもあっても不思議じゃない。
0206日本@名無史さん
垢版 |
2014/06/30(月) 14:07:55.18
>>187
部落という言葉には、もともとは差別の意味はなかったんだよ。
関西でも集落(旧大字・小字、江戸時代のムラ)のことを部落と言ってた。
「特殊部落」と言われるようになり、さらに部落だけになった。
1970年前後からかな。

物部とは無関係だね。
部民ってたくさんあるからね。
0209日本@名無史さん
垢版 |
2014/07/01(火) 20:31:57.19
>>1
上御殿にオルドス式短剣の鋳型を持ち込んだ勢力。
頭に鹿の角を飾ってた勢力。
それ以外の解釈あり得る?
0212日本@名無史さん
垢版 |
2014/07/01(火) 22:19:44.71
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw
0213日本@名無史さん
垢版 |
2014/07/05(土) 14:14:05.53
尾張連氏の本貫については本居宣長以来の葛城説が通説であったが、
新井喜久雄「古代の尾張氏について(上)(下)」(『信濃』21−1・2、1969年)以降は尾張説が定説となっている。
時期としては継体天皇の大和入りにともなって尾張から葛城へ進出したと見るのが有力だが、異論ももちろんある。
0214日本@名無史さん
垢版 |
2014/07/07(月) 12:50:51.38
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw
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