唐松神社の社伝は古史古伝(近代擬撰国史)の物部文書だから

河内国河上哮峯じゃなく鳥海山に饒速日は降臨した、
神功皇后は三韓征伐の後、九州ではなく秋田に帰り着き、物部胆咋に祀りをさせた、
物部尾輿の孫が大連滅亡の後、落ち延びてきたのが社家の祖、
といったぐあいに、書紀や旧事紀を元ネタに秋田に引き寄せてる

こういう自分の先祖を尊く見せたいとか、祭ってる神社を由緒正しいものにしたいっていう願望から生まれる伝説っていうのは、
割とどこにでもあるんじゃないの
物部氏が出てくるから有名になっちゃったけど