物部氏とは何者??
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>>215の続き・・
木屋の資料館3.3饒速日、にぎはやひ
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya33.htm
「熱田縁起」、海部氏はこれ尾張氏の別姓なり。
「尾張大国霊神社」(愛知県稲沢市国府宮町大宮)、社家は久田氏(後に野々部氏と称す。)で天背男あめのせお命を祖とする。
海部氏・度会氏は、海神=綿津見大神を祖とする、安曇氏が長。
ワタツミ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%9F
神武勢力の父神、天津日高日子波限建鵜草葺不合命の親神が綿津見大神で、天照大神も、複数形の神々の俗称たる綿津見大神の1神。
ウガヤフキアエズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%A4%E3%83%95%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%82%BA この尾張氏の久田氏祖は、忌部氏系譜上の神の天背男だとすると・・度会氏と同祖で
火明命=櫛明玉命=櫛玉命=出雲建子命か饒速日命=櫛瓊命=伊佐我命と成る。 忌部氏は、厳密には、天照大神第3子 龍神の天津彦根命=天若日子命=七夕の牽牛・天稚彦で、次代が、天日鷲翔矢命=少名彦名命神代系譜。 物部氏は…
簡単にわかりやすく短くまとめると、
皇族同様に物部氏も神様って
言うことです
つまり天皇家と親類であり
互いに神様の血を受け継いでいる氏族であり神様って事になります
あと忌部氏も同じですね 物部氏は倉庫番。
倉庫に入れる色んな「物」を扱ってたから、「物」の部。 千家氏が嫡流で
神門氏が物部・置部の一つ下の兄
置部氏・物部氏が末っ子 日本武尊=出雲振根の朝原氏が伯父で、土師氏の菅原道真公筋は叔父の家柄。
櫛瓊命=伊佐我命と櫛玉命=出雲建子は同一人物が濃厚。
機内・関西の千家側と東海道を移動しての武蔵・千葉国造と成った島族の末代が
それぞれ違う呼び名で呼んでいただけ。
島族にも、島津国造家の斯摩・島氏と渡来系の斯摩・司馬氏が居て、秦の始皇帝七世の秦氏系惟宗・島津氏が居るからね。
呼び方・解釈の違いは、抗した渡来系出雲人の関係かも・・
又は、神武側に従った者と関東に逃れた側の関係とか・・ 武内宿禰筋の葛城襲津彦氏・・紀氏の波多氏・角氏・蘇我氏なども母系物部崇拝で島族を名乗った様だし
安倍氏も母系が物部氏で、奥州勢は、母系崇拝で間違い無さそう・・
後の、平氏源氏の平氏も武蔵武士や伊勢国造を名乗った事から、何らかの縁が有るようで・・ 財閥石橋氏も元は、伊勢志摩絡みの氏族で、島屋を営み
武家の斯波氏がルーツで斯波氏の元が野々部氏の尾張氏族で始祖を天背男命としている。 >>215
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。 元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。 元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。 神門古墳群は千葉にあって出雲大社の当主も千葉なのか >>234
厳密には、出雲神門臣 島津国造家の島族の人たち 黒潮系が日本海にもチョッカイを出し始めたってことなのかな? 埼玉苗字辞典
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六〜三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―マ(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―ム(帯方大守)―f(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。
日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。
蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。
扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。
当地方は島岡、島田氏等が多い。
東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。
神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。
志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。
出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。
足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。
津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。 小名島は、埼玉郡道口蛭田村、市野割村、久米原村、百間領須賀村、広田村、杓子木村、足立郡沖之上村、比企郡越畑村、幡羅郡間々田村、葛和田村、西別府村等にあり。
各市町村に存す。
新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。
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島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。
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島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。
元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司
豊受大神とは、=国常立命=神道最高位神で創造主の天之御中主命とも聞きますね。 古川C治委員長講演
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。 このスレにはバカしかいないんだから、
バカが斜め読みで一目で理解できるように書かないと賛同は得られないぞw >>39
>中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する・・・・・・・・・・・
長江下流域の何という国の習俗が、倭のそれと一致すると記されてあるの? >>220
物部氏の祖は、通説と異りアメノヒボコとスサノヲなのか?
大国主、素盞嗚、天照
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test230.htm 安曇・海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族だそうで、先住の神門氏は、天皇家と出雲族連合との勢力争いに呑まれ・取り込まれ出雲族に組み込まれた・・。
出雲国譲りを正当化の為に出雲族系譜の神門氏という系譜は、デタラメで、正しくは・・
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。
※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
大国主の時代では、布都御魂剣と呼ばれた。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀っている。
建御雷神から神武天皇へ受け継がれた十掬剣が石上神宮主祭神の布都御魂剣で
阿遅須枳高日子命から神門氏、日本武=出雲振根=神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。
西暦700年まで出雲大社以前の杵築大社の司祭が神門氏の子筋、島津国造家、島直氏の島族で、東海道に広がった島族が武蔵・千葉国造家の親筋。
山陽道に広がった神門島族をルーツにする島谷氏は、出雲族の拠点であった、播磨国(神戸市に掛かる)を発祥とし
元伊勢の比沼麻奈為神社・天の橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社・京丹後 大宮売神社宮司は、京丹後周辺の9社を兼任。 秦氏ってのが好きだなw
お前らなにか呪われているんじゃないのか? 246
神社関係ができたの700年代以降だろ
つまり桓武天皇以降だってことだ
六孫王経基も桓武天皇から数えて六代目ってこと 隋書では、筑紫のあとで
東の秦王国に行くとある。
秦(ハタ)といえば八幡、
八幡神社総本社の宇佐神宮じゃなかろうか。 八幡の元ネタは半島で編纂されたらしき八萬胎蔵教からどうみても
それが日本に伝わり八幡という言葉が使われるようになったんだろ どっちゃにしろ起源は900年代後半から1000年代初頭にかけての頃だろ 251
秦王国か?
秦姓を名乗った氏族が住んで勢力を持っていたのは越前だ
他にも各地に氏族が住んでいたみたいだがな その末裔に連なる武将たちだって調べればでてくるぞ
加賀の一向一揆で没落した冨樫氏なんかもその末裔だ 秦氏
歴史
日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡
(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、
摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという
平野邦雄の指摘もある[17]。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など
新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ[18]。
八幡神社もこれらの過程でひろまったのだろう。
その後源平合戦などさまざまな事跡の影響も大きいと思われる。 >>185
桜井市のトミ神社近く大字外山818には、高市皇子が勧請したとされる
宗像神社も鎮座しておりますね。「外山」の読みは、「トビヤマ」?「トミヤマ」?
富山の地名由来を追う 2011/12/17
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/30874372.html >>258
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16408628.html
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承
古代氏族系譜集成に掲載される系譜である以下は、
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/archive/2012/6/17
出雲国造家の穂日家に伝承を奪われた系譜であり、神門臣家の人を穂日家の系譜に
つなぎ合わせたものであった。
富家の伝承では、伊勢津彦命は神門臣家の人であった。
国引神八束水臣津野命
┃
赤衾伊努大住日子佐別命(妻:水戸神女天甕津日売命)
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
八千矛 伊怒比売(伊努比売命、香用比売命
┃ 此命御合於大歳神生向日神聖神也)
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
伊佐我命(又、櫛八玉命 出雲国出雲郡伊佐我神社是也 出雲建子命(又、櫛玉命、伊勢津彦命居
┃ 天孫降臨時為膳夫献天御饗供奉 ) 伊勢度逢縣伊波例天皇御宇遷住東国 )
┃ 注:伊佐我命の櫛八玉と出雲建子命の櫛玉というほぼ同じ名称から、同一神である
┃ 可能性も指摘される。出雲建子という名は前後の系譜から浮いた
┃ 名称でありその可能性は高いと思われる。
都我利命(又、津狡命出雲国出雲郡都我利社是也)
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承A - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html
神門臣家の系譜は、八束水臣津野命以前も含めると、
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野
−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫
となっている。 >>260の続き
翁とクナトノ大神:虚 空 に 花 降 り:So-netブログ
能舞台に封印された花の記憶
http://nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06
クナト大神は出雲井神社(出雲富家の祖神)の祭神であり、久那斗(クナト)神社と神社名に名を遺すのは、岩手県北上市和賀町に一社あるのみである。
別名、岐(フナト)の神、幸の神、寒の神、八街(ヤチマタ)の神、道祖神、道陸神。
道々の輩の神である。
「我々の大先祖はクナトの大首長だが、もう一つの女首長にアラハバキがあり、体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナトは地蔵に、アラハバキは弁財天への変身した。」出雲富家伝承
クナト神もアラハバキも旅をして回る神である。
「霊亀2年(716年)熊野のクナトノ大神が杵築に移り出雲大社となった」出雲富家伝承
クナトの神(祖神)→大国主・事白主→三輪氏・鴨氏
天火明(祖神)→海部氏(籠神社宮司)・尾張氏
ニギハヤヒ(祖神)→物部氏
ニニギ(祖神)→天孫族
クナト大神=国乃常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
日本書紀では 国常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
宿神とは、国つ神が特定の地域の地主神となる以前、日本列島を人々が自由に移動していた時代、
天つ神・国つ神以前の世界の神と考える。
だそうです。 島族は、神門氏で、祖が・・
岐(フナト)神、別名、クナト大神=国乃常立神−八島篠−布葉之文字巧為−八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫
※伊佐我=出雲建子=伊勢津彦=阿遅須枳高日子
↑
>>241 八束水臣津野命=シシ神・ダイダラボッチで熊野大社建立にまつわる神。
もののけ姫のアシタカのモデルが、阿遅須枳高日子命。
シシ神は、アシタカの父か祖父・・曾おじいさんだった。 これ、凄いよ
↓
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false いるよ
物部姓が今も各地に残っているし
秋田の唐松神社の宮司が直系だと言ってる ttp://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/52061997.html そのブログは物部好きにはたまらんだろうな
唐の勿部将軍の話とかおもしろい 藤原氏が物部の、それも本流筋の末裔だよ。
物部本流筋の末裔の藤原氏と、物部庶流筋の(しかも蘇我氏の血も濃く入った)石上氏との間で、物部の惣領の地位を巡るちょっとした権力闘争があったんだよ(でもそれは割と穏やかなもの)。
それに藤原氏が勝ったから、伊勢神宮以外で唯一「神宮号」を名乗ることを許されていたのは物部の斎場なんだけど、
それが石上神宮から鹿島、香取の両神宮に代わったんだよ(藤原は「東国物部」。弓削大連の失脚以来、物部本流は東国に移り、臥薪嘗胆の思いを秘め雌伏していた。
一方、畿内に残っていた物部は庶流でしかも蘇我の婿筋。またそれ故に畿内に残ることを許されたとも言える)。
石上は物部の代表ではなくなったことにより、石上社の神宮号は返還され、石上神社になった。 >>270
それ、中臣氏の親筋の忌部氏の事だろう。
出雲忌部氏と島族の祖先が同一されてるから同祖混じってるな。
その祖ってのが・・天津彦根命=天稚彦=天若日子命≠大国主命の子、阿遅須枳高日子命(島族本筋の神門氏の祖父)で
次代が・・天日鷲翔矢命=少彦名命=昔話の一寸法師。
忌部氏末代に志麻名布命っているから・・
武内宿寝・葛城襲津彦や、末代の蘇我氏も島族を名乗っている。
出雲族は、徐福・秦氏で、島族には、秦の始皇帝七世の弓月君の惟宗氏・島津氏が居る。
・この古代氏族の系譜は、出雲族や時の中臣・藤原氏の記紀編集時に都合よく書き換えられ、大和単一民族として利用されたせいで
真実の系譜が現在に成って、掘り起こされて来ている・・。
現在までに伝わる・・一般的系譜だと・・
@神門氏は、千家と同じ古代分派の一族で、伊幣根命-伊賀曾然命の建部氏と神門氏で、叔父に、置部氏・物部氏と成っている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
A上記系譜の伊幣根命-伊賀曾然命以前の代に朝原氏の祖の出雲振根命=日本武の正体で、建部氏と神門氏の祖が、実は、この出雲振根=日本武と言う系譜があり、
その末代として、古代出雲大社以前の杵築大社司祭として神門氏就任した記録がある。
B、もしくは、神門氏は、事代主命筋の向氏・富氏の旧家伝によると、神門氏が大国主命と宗像三女神の多岐理姫との子、阿遅須枳高日子命の孫として就任とも伝えられている。
※(神門氏の語源は、阿遅須枳高日子の持っていた神度剣からの姓。)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野
−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫 となっている。
↑
大国主命が、素戔嗚命の子孫じゃないと言う系譜の様です。 >>271続き・・
この、話を神門氏の子筋の島族の創生を語る中にも語られています・・。
↓
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。 島族の大半も秦氏の渡来ばかりですが、神門氏の子筋の志摩国造家・島(直)氏系統は、大国主命の末代の様ですね。 物部ってのはぶっちゃけ合従連衡氏族なんだけど(そうじゃなきゃあんな『先代旧事本紀』に載ってるようは膨大な数にならない)、弓削大連のあとちょっと雌伏の期間を置いて藤原がその本宗筋(中核氏族)になったってことね。
物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
だから「物部連」っていうの。 神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。 インド グジャラート(シンド=シンディー)神門氏・カムド≠シモン・・・シンディーローパ?
アブラハムの子・イサク、イサクの子・ヤコブ、ヤコブとレアの第二子、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・シマ(島族)・・アシュル族・キナ族・シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族(アシュケナジム)
シメオン族が取り込んだ、シモンの子、ユダ族。
シメオン (ヤコブの子) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)
シメオン族(秦・西晋・司馬氏・ハザール帝国・アシュケナジム・ハーシム家・秦氏)
http://empirex.web.fc2.com/1nenpyo.html
・
・
十戒のモーゼ
その子、ダビデ
その子、ソロモン王(三千年前)
シバの女王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B
紫垣(しえん)シオン?天帝の在所 世界史掲示板(荊の紀氏)
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2656
大国主命=大黒天=シヴァ神=クロノス=シバの女王
クロノス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%82%B9
レアー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BC
レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。
ティーターン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3
狭義には、ウーラノスとガイアの間に生まれた12柱の神々の兄弟姉妹を指す(ティーターン十二神)。クロノスはその末弟。これにディオーネーを加えて13柱とする場合もある。
オーケアノス・コイオス・クレイオス・ヒュペリーオーン・イーアペトス・クロノス・テイアー・レアー・テミス・ムネーモシュネー・ポイベー・テーテュース シメオン族の徐福・秦氏の出雲臣の氏族の入った源氏・平氏は、古代ギリシャ神話の繰り返しだった・・。 アダムとイブ
ヤコブとレア
クロノスとレアー
ソロモン王とシバ女王
大国主命と多岐理姫命 秦氏は、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・アシュケナジム(アシュル族・キナ族・シマ族)
ヤコブとレアの子、シメオンの孫の世代には、・・シマ族(志摩国造家の島氏島族)シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族・・島谷・島屋−シマヤ 創世記のヤコブとレアの子孫・・島谷氏 シメオン族のシェマヤ・シャファト
島谷祠掌の比沼奈為神社の社紋は、籠目=六芒星の理由と、社名が本来、聖アーク=神輿で比冶だった事。 大雨が降って、各地の雨量を見てるんだが、物部って地名が結構あるね。 京都府綾部市、滋賀県長浜市高月町、兵庫県朝来市、兵庫県洲本市、長崎県壱岐市郷ノ浦町、
あとは? >>285
守山市、高知県香美市、高知県香南市、高知県南国市・・ >>287
守山市のほうは物部地名じゃなくなってるよ
香南市にもあったっけ? >>182
麁鹿火こと物部荒甲(アラカヒ)と物部押甲(オシカヒ)兄弟は、その
名からして任那出身ということか?
322 :日本@名無史さん:04/07/06 09:16
・・・・・百済へ割譲された任那4県は、
上多利(おこしたり)・下多利(あるしたり)・娑陀(さだ)・牟婁(むろ)・・・・・・
330 :ty270410:04/07/08 21:46
>>322
荒(アラ),押し(オシ)を「アルシ」と「オコシ」に対比させるのは
卓見だと思います.
末松保和先生の『任那興亡史』に次のように書いてあります.
アロシ:前,下,(南)
オコシ:背後,上
末松先生は古代朝鮮語と書いておられますが・・・・・・・・・・・・・・
欽明天皇と周辺環境
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083350482/322-330 原田常治の説ってどうよ
饒速日は、出雲の大歳神であり三輪の大物主神でもあるっていう 物部氏の同属に中臣・玉造・土師などのものずくり集団がいる。
大阪、奈良に非常に関連が深い一族だね
玉造といえば出雲が思い出される
それから朝鮮からの戦利品七支刀を持っていたりする
三韓征伐で名前が出てくるのは蘇我の先祖、武内宿禰
不思議だ >>293
出雲・大国主神・・八代:八千矛神−九代:阿遅須枳高日子神−十代:鹽冶毘古能神=長髄彦−十一代:古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)
・・十代神門 阿多神−十一代:出雲(神門)振根命=(倭健命)日本武命−十二代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命の子
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二五代:武寧(武内)王=斯摩王
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家 >>294追記。
294は、事代主直系の向家・富家に伝わる話がベースの擦り合わせ神代系譜で
大国主より以前の神代系譜は・・
・御中主命=国常立命(クナト大神)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−大国主・・八千矛(大穴持)┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫 素戔嗚尊との血統の繋がりは、正確には、阿遅須枳高日子神の母が宗像氏の祖神、多岐理姫の母系因子からである。 >>294の脱字訂正。
※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王 6世紀以前のことが隠蔽されてるから豪族がどこから来たのかはっきりしない >>298
だから、隠蔽した徐福秦氏=出雲族と天皇家の隠蔽コンポ技&討伐の恐怖政治の及ばなかった
向家・富家の旧家伝伝承を>>294と>>295で言っている。 鹽冶毘古能=長髄彦の兄の多伎都比古=安日彦?
登美安日彦だと、登美=富家だから、向家なので、事代主の裔になる。
鹽冶毘古能=長髄彦は、神門家で、大国主の孫に成る。
しかし、記紀に出てこない安日彦は、富家だとすると、世代的に、鹽冶毘古能=長髄彦の時代からかなり後の世代になる・・
登美の姓が現れるのが、向家のかなり後だからだ・・。 >>186
登美饒速日命?w
富家は事代主神の裔。
しかし、富家の方は、饒速日を徐福本人と言ってます。
↓
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
↑
76ページ
徐福の和命は、饒速日となった。
だっそうです。 >>302修正。
76ページ
>徐福の和名は、饒速日となった。 徐福って秦の始皇帝に「不老長寿の薬を見つけて来い」って言われて日本に来た人? でも、見つからないのでそのままバックレた。
というか、最初からそのつもりで、職工集団や童男童女を連れてきていた。
始皇帝ほどの男がそれを見抜けないはずがなく、むしろ、植民地支配のための屯田兵として送りだじたと考えられる。 なんでユダヤ電波が湧いてんだよw 秦氏のスレに逝けよw
徐福は日本にきてないし、来てるって設定は秦スレでやれ >>304
徐福は始皇帝そのものって説もある。中国の始皇帝の墓は影武者。 >>305
嫌というか
デタラメを広める朝鮮人が限りなくキモイ 古代ロマンが好きな人には
雄大なロマンを求めて無理やり大陸や半島と結びつける人もいるのは確か
手堅さなんて考えずおもしろければそれでいいんだから >>311
でも、その古代先住の出雲以前からの古代から伝わる家伝伝承なんだけどね。 >>310
今とは国も民族も別物なんだし、そう朝鮮半島を嫌うなよ それだと
朝鮮渡来ではない
倭人が支配していた半島の同族だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています