物部氏とは何者??
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>>270
それ、中臣氏の親筋の忌部氏の事だろう。
出雲忌部氏と島族の祖先が同一されてるから同祖混じってるな。
その祖ってのが・・天津彦根命=天稚彦=天若日子命≠大国主命の子、阿遅須枳高日子命(島族本筋の神門氏の祖父)で
次代が・・天日鷲翔矢命=少彦名命=昔話の一寸法師。
忌部氏末代に志麻名布命っているから・・
武内宿寝・葛城襲津彦や、末代の蘇我氏も島族を名乗っている。
出雲族は、徐福・秦氏で、島族には、秦の始皇帝七世の弓月君の惟宗氏・島津氏が居る。
・この古代氏族の系譜は、出雲族や時の中臣・藤原氏の記紀編集時に都合よく書き換えられ、大和単一民族として利用されたせいで
真実の系譜が現在に成って、掘り起こされて来ている・・。
現在までに伝わる・・一般的系譜だと・・
@神門氏は、千家と同じ古代分派の一族で、伊幣根命-伊賀曾然命の建部氏と神門氏で、叔父に、置部氏・物部氏と成っている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
A上記系譜の伊幣根命-伊賀曾然命以前の代に朝原氏の祖の出雲振根命=日本武の正体で、建部氏と神門氏の祖が、実は、この出雲振根=日本武と言う系譜があり、
その末代として、古代出雲大社以前の杵築大社司祭として神門氏就任した記録がある。
B、もしくは、神門氏は、事代主命筋の向氏・富氏の旧家伝によると、神門氏が大国主命と宗像三女神の多岐理姫との子、阿遅須枳高日子命の孫として就任とも伝えられている。
※(神門氏の語源は、阿遅須枳高日子の持っていた神度剣からの姓。)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野
−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫 となっている。
↑
大国主命が、素戔嗚命の子孫じゃないと言う系譜の様です。 >>271続き・・
この、話を神門氏の子筋の島族の創生を語る中にも語られています・・。
↓
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち) 十一月・秋季大祭 一月号・269号
惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。 島族の大半も秦氏の渡来ばかりですが、神門氏の子筋の志摩国造家・島(直)氏系統は、大国主命の末代の様ですね。 物部ってのはぶっちゃけ合従連衡氏族なんだけど(そうじゃなきゃあんな『先代旧事本紀』に載ってるようは膨大な数にならない)、弓削大連のあとちょっと雌伏の期間を置いて藤原がその本宗筋(中核氏族)になったってことね。
物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
だから「物部連」っていうの。 神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。 インド グジャラート(シンド=シンディー)神門氏・カムド≠シモン・・・シンディーローパ?
アブラハムの子・イサク、イサクの子・ヤコブ、ヤコブとレアの第二子、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・シマ(島族)・・アシュル族・キナ族・シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族(アシュケナジム)
シメオン族が取り込んだ、シモンの子、ユダ族。
シメオン (ヤコブの子) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)
シメオン族(秦・西晋・司馬氏・ハザール帝国・アシュケナジム・ハーシム家・秦氏)
http://empirex.web.fc2.com/1nenpyo.html
・
・
十戒のモーゼ
その子、ダビデ
その子、ソロモン王(三千年前)
シバの女王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B
紫垣(しえん)シオン?天帝の在所 世界史掲示板(荊の紀氏)
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2656
大国主命=大黒天=シヴァ神=クロノス=シバの女王
クロノス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%82%B9
レアー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BC
レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。
ティーターン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3
狭義には、ウーラノスとガイアの間に生まれた12柱の神々の兄弟姉妹を指す(ティーターン十二神)。クロノスはその末弟。これにディオーネーを加えて13柱とする場合もある。
オーケアノス・コイオス・クレイオス・ヒュペリーオーン・イーアペトス・クロノス・テイアー・レアー・テミス・ムネーモシュネー・ポイベー・テーテュース シメオン族の徐福・秦氏の出雲臣の氏族の入った源氏・平氏は、古代ギリシャ神話の繰り返しだった・・。 アダムとイブ
ヤコブとレア
クロノスとレアー
ソロモン王とシバ女王
大国主命と多岐理姫命 秦氏は、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・アシュケナジム(アシュル族・キナ族・シマ族)
ヤコブとレアの子、シメオンの孫の世代には、・・シマ族(志摩国造家の島氏島族)シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族・・島谷・島屋−シマヤ 創世記のヤコブとレアの子孫・・島谷氏 シメオン族のシェマヤ・シャファト
島谷祠掌の比沼奈為神社の社紋は、籠目=六芒星の理由と、社名が本来、聖アーク=神輿で比冶だった事。 大雨が降って、各地の雨量を見てるんだが、物部って地名が結構あるね。 京都府綾部市、滋賀県長浜市高月町、兵庫県朝来市、兵庫県洲本市、長崎県壱岐市郷ノ浦町、
あとは? >>285
守山市、高知県香美市、高知県香南市、高知県南国市・・ >>287
守山市のほうは物部地名じゃなくなってるよ
香南市にもあったっけ? >>182
麁鹿火こと物部荒甲(アラカヒ)と物部押甲(オシカヒ)兄弟は、その
名からして任那出身ということか?
322 :日本@名無史さん:04/07/06 09:16
・・・・・百済へ割譲された任那4県は、
上多利(おこしたり)・下多利(あるしたり)・娑陀(さだ)・牟婁(むろ)・・・・・・
330 :ty270410:04/07/08 21:46
>>322
荒(アラ),押し(オシ)を「アルシ」と「オコシ」に対比させるのは
卓見だと思います.
末松保和先生の『任那興亡史』に次のように書いてあります.
アロシ:前,下,(南)
オコシ:背後,上
末松先生は古代朝鮮語と書いておられますが・・・・・・・・・・・・・・
欽明天皇と周辺環境
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083350482/322-330 原田常治の説ってどうよ
饒速日は、出雲の大歳神であり三輪の大物主神でもあるっていう 物部氏の同属に中臣・玉造・土師などのものずくり集団がいる。
大阪、奈良に非常に関連が深い一族だね
玉造といえば出雲が思い出される
それから朝鮮からの戦利品七支刀を持っていたりする
三韓征伐で名前が出てくるのは蘇我の先祖、武内宿禰
不思議だ >>293
出雲・大国主神・・八代:八千矛神−九代:阿遅須枳高日子神−十代:鹽冶毘古能神=長髄彦−十一代:古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)
・・十代神門 阿多神−十一代:出雲(神門)振根命=(倭健命)日本武命−十二代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命の子
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二五代:武寧(武内)王=斯摩王
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家 >>294追記。
294は、事代主直系の向家・富家に伝わる話がベースの擦り合わせ神代系譜で
大国主より以前の神代系譜は・・
・御中主命=国常立命(クナト大神)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−大国主・・八千矛(大穴持)┬伊佐我(伊佐波)
├阿遅須枳高日子
└高照光姫 素戔嗚尊との血統の繋がりは、正確には、阿遅須枳高日子神の母が宗像氏の祖神、多岐理姫の母系因子からである。 >>294の脱字訂正。
※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王 6世紀以前のことが隠蔽されてるから豪族がどこから来たのかはっきりしない >>298
だから、隠蔽した徐福秦氏=出雲族と天皇家の隠蔽コンポ技&討伐の恐怖政治の及ばなかった
向家・富家の旧家伝伝承を>>294と>>295で言っている。 鹽冶毘古能=長髄彦の兄の多伎都比古=安日彦?
登美安日彦だと、登美=富家だから、向家なので、事代主の裔になる。
鹽冶毘古能=長髄彦は、神門家で、大国主の孫に成る。
しかし、記紀に出てこない安日彦は、富家だとすると、世代的に、鹽冶毘古能=長髄彦の時代からかなり後の世代になる・・
登美の姓が現れるのが、向家のかなり後だからだ・・。 >>186
登美饒速日命?w
富家は事代主神の裔。
しかし、富家の方は、饒速日を徐福本人と言ってます。
↓
出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
↑
76ページ
徐福の和命は、饒速日となった。
だっそうです。 >>302修正。
76ページ
>徐福の和名は、饒速日となった。 徐福って秦の始皇帝に「不老長寿の薬を見つけて来い」って言われて日本に来た人? でも、見つからないのでそのままバックレた。
というか、最初からそのつもりで、職工集団や童男童女を連れてきていた。
始皇帝ほどの男がそれを見抜けないはずがなく、むしろ、植民地支配のための屯田兵として送りだじたと考えられる。 なんでユダヤ電波が湧いてんだよw 秦氏のスレに逝けよw
徐福は日本にきてないし、来てるって設定は秦スレでやれ >>304
徐福は始皇帝そのものって説もある。中国の始皇帝の墓は影武者。 >>305
嫌というか
デタラメを広める朝鮮人が限りなくキモイ 古代ロマンが好きな人には
雄大なロマンを求めて無理やり大陸や半島と結びつける人もいるのは確か
手堅さなんて考えずおもしろければそれでいいんだから >>311
でも、その古代先住の出雲以前からの古代から伝わる家伝伝承なんだけどね。 >>310
今とは国も民族も別物なんだし、そう朝鮮半島を嫌うなよ それだと
朝鮮渡来ではない
倭人が支配していた半島の同族だな 百済・新羅渡来人は、倭の王族の末裔。
国常立神を素盞嗚尊と摩り替えた、徐福秦氏の出雲族(徐福本人の物部の祖、饒速日尊。)が
時の天皇家と示し合わせて出雲(葛城地方)を乗っ取った。
実際は、出雲では無く、熊野を中心とした畿内地域。 新羅渡来人は、神武の兄:稲飯の一族。
稲飯・・昔氏・・天日槍(関西人の祖神)・・出石族。
百済渡来人は、大国主・・神門振根(神門家)の子筋、建部(武部)・武内宿禰・葛城襲津彦・・紀氏蘇我氏と同族
武寧王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓 >>318続き
武寧(武内)王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓・・高野氏
大綿津見神=天照大神の天皇家と素盞嗚尊を祖とする徐福秦氏・出雲族だが
天皇が半島や大陸で遠征で秦族と縁を結んで、秦族の渡来した逸話が、源氏姓の源姓の賜りの逸話なのでしょう。
大国主と事代主の王族が、日本への帰国を阻み、神武天皇の兄弟が秦を頼り、縁を結び、秦族の穂日や若彦を送り込んだ・・
一端、若彦が帰国し、連れて来たのが、徐福と天照天皇家の本体だったと・・
国譲りのお話と成る・・ 要するに、出雲古代王家の事代主家と大国主家が、軍属政治の天皇家が半島や大陸の覇権を成さずに
おめおめと世代を経て、帰国を願って来たのを嫌って、鎖国していたのでしょうね。 最初の帰国の為の交渉役が、熊襲と共に九州に派遣されて来た、伽耶国の女王の卑弥呼と思う。
これが、天照大神の原型モデルとなった。 壇君神話の一族が南方系の熊襲・隼人と思う。
それが、時間の経過で、沖縄まで倭寇で伝わったと、推定する。 >>325
壇君神話が南方系の熊襲・隼人から沖縄や九州を経由で半島に伝わったとなると
経過を追いかけるのは相当大変な事になるね
少なくとも今の朝鮮民族は壇君神話が形成された頃には成立していないし
後に構成要素になる民族達も西や北など別の地域にいたと推定されるから
ほとんど神話成立に関わっていない筈なのに、なんで先祖神認定してるんだ 縄文人と大陸からの少数の避難民から出来たのが旧倭人(弥生人)
九州北部と半島南部が当初の勢力圏。
半島では北からやってくる異民族にどんどん侵入され、中国からの亡命者も
多数やってきた。
朝鮮人と日本人が遺伝的に似ている(一部共通する)のは、稲作到来時代の
共通倭人だったころの影響。
朝鮮の氏族は、故地が南部にある部族が多い。
新羅の建国伝承は倭人が出てくる。 なんで檀君神話が南方系ってことになんだよw 支離滅裂やな 物部ってわからんなあ。
ニギハヤヒの伝承はあとからくっつけたんだろうか? 新羅の4代目王は風水に寄って2代目王に仕え3代目の遺言で4代目王に成った倭人 327
檀君神話か?
調べてみれば殷の紂王の事件に関連しその中の
一部が朝鮮にきて国を建てたとかいうあの話か?w
殷の廃墟移籍はでているがお前らと関係あるの? この辺の話は面白そうだあな
かなり生贄関係なんかにも関連していそうだし
血なまぐさい話がてんこ盛りな感じだw 秦が滅んだ時に半島に逃げてきて
国を作ったのが辰韓
そこから更に日本まで来たのが秦氏
秦氏は渡来系と明確に分類されてるから
物部はそれより前 >>327
AZスーパーセンター牧尾英二社長、タダモノではないと思って調べたが出自不明。
薩摩隼人と思ったら、牧尾は木曽源氏か? 倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻薄エ
奈率(五品)や施徳(七品)は官名 物部氏はもっと繁栄でき日本の頂点に
君臨できた力を持っていたけど
物部氏は野望や見栄や権力を嫌い、
はむかうこともなく
立場も関係なく
誰に対しても暖かな情けをかけていました
人や時代を選ばないで
誰に対しても疑わないで信用して
着いて行き傷ついて悲しみを抱えて
歴史上から姿を消してしまった
心がとても静かで
心優しい物部氏のような
人になれるように心がけて生きていきます インドのデカン高原から来た人
そうするとシュメール人と同祖になるのか 苗字で神から別れた家系・天皇家から別れた家系・渡来人の家系とちゃんと分かれてたみたいだね >>346
江戸時代の初頭までの地域由来の帯刀姓もそれなりの出自を示しているし
明治から大正までも、余り人の流動も無かったから、地域の土地の名で苗字としたのも、在る程度の出身地域が苗字で解る。
正し、今だと中国以外の半島からの帰化人が、日本の苗字を名乗って居ると不明・・
敗戦までは、ある程度、北朝鮮系が柳系の姓とか、木姓で左右対称文字姓で解るようにして居たけど
敗戦以降の民主化の人権問題で、帰化時の姓の自由化があったのだろうね。 >>310
そうそう。
天皇は朝鮮人なのにそれを隠してるとか、京都のお寺は「私達」が作ったとか、
意味不明の嘘を言い立てるのがいや。
以前は関心がなかったけど、そういう嘘に韓国人が騙されてるんじゃなくて、
支持してるのを読んでいやになった。
「日本人は劣等民族で文化を教えてやった偉大な韓民族」って前提なのがいや。
歴史の真実を知りたいとは思っていないのがよく分かる。
聞くだけ無駄。 >>328
で、その一派の物部氏が、九州->近畿->東海->関東->東北南部と
列島を、東遷北上開拓していったと?
8 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 11:03:23
・・・・物部は弥生系。稲作を東北南部にまで広げていったのも物部の祖先。
古代の関が原 関東の東西戦争
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284125193/8- >>346
皇別、神別、蕃別の分類のことかね。古代平安期までだがね、
苗字でなく氏でね。 >>350
なんで物部が東遷するんだよ。
東へ広げたのは尾張だから火明命だろ。 皆さんもっと勉強してください
今まで何を勉強してきたんですか?
物部氏が日本を作ったんですよ
もっとわかりやすく説明すると
イザナギや神武天皇や天照大御神が
日本列島を作り
物部氏が日本の基礎を作りました
また物部氏も含め皇族天皇家は
代々朝鮮人ではなく神様ですよ
高天原は朝鮮半島にありますか?
物部氏も天皇家も高天原出身ですよ
高天原は地球が誕生した時に
今の日本列島のあたりに誕生したんですよ
日本を作る為に天皇家の先祖が
天孫降臨をして
現代の日本や地球があるんです 信仰を持ってること自体は尊いのだが、他人に押しつけるのはよくないな
記紀等に虚構が多いのは定説で、高校で習った日本史の延長線上にある
それを無視するのは「今まで何を勉強してきたんですか?」だろ? あほか
物部氏など存在しない
物部というのは単に「兵隊さん」ぐらいの意味
それを全国の「物部郷」や記紀の登場人物を全部一族だと思い込むから
強大な物部氏とう幻想ができあがる >>220
異論ご紹介。
38 :日本@名無史さん:2011/11/11(金) 02:23:18.51
>>18
俺も物部は縄文ではないかと疑ってる
正確には少数先行してやってきた弥生系との混血・・・・・・・・・
豪族について
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1301977167/18-38 寛平・延喜東国の乱で蜂起した物部氏永について詳しい人いませんか? >>274
>物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
>だから「物部連」・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハハハ、連合氏族だから物部連なのかね。すると物部大連は、大々
連合なのかね?大伴氏や中臣氏や安曇氏も、連合氏族なんだね? >>360
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人に物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。 >>361もとい
>>360
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人が物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。 >>363
お墓が存在するから確かに実在した人物
実在しなければお墓なんて作らない
だから神武天皇も実在した
徐福が泣きながらもがきながら
苦しみながら生きる道を探して旅をして
生きた事を時間がたっても忘れないでね!
あと物部氏や卑弥呼や神武天皇も
野望を抱いて無理しながら焦りながら
生きていたって事を忘れないでね 青森には転ばなかったキリスト教徒で
身分が高い奴らが流罪になってる
流罪になった宣教師も居たはず 日本に水田耕作を伝えた、いわゆる渡来系弥生人が長江出身で下戸だったってだけじゃないの?
そもそも徐福が下戸かすらわからんだろう? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています