物部氏とは何者??
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
但馬国韓国神社伝が伝える韓国連氏祖の物部真鳥と物部渚鳥って、何者?
物部氏は、実は朝鮮半島からの渡来氏族ということか?
武烈天皇朝廷の真鳥というと、記紀が伝えるのは平群真鳥だが。 ( ゚∀゚)余談だが21世紀初頭の現在では通名と一字姓が霞ヶ関官僚と国立大学教官の過半数を占めて居り永田町ももうすぐそうなる >>377、>>378訂正。
>向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、阿遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。×
これ、系譜観間違いでした・・失敬。 多臣家(多氏)の祖、八井耳は・・
八重波津身(事代主)の子、五十鈴依姫と天村雲(饒速日の子)の子、沼川耳の子で祖母方が宗像家の子、市杵島姫で神門臣家と血で繋がる形・・ 雄略紀の記す伊勢国朝日郎を征伐した物部目軍に、九州豊前国企救郡の
聞物部大斧手の名があるのは何故なのだろ?
畿内在住物部氏総帥物部目が、手勢寡少で遠国の一族に援軍要請したのか?
雄略が宋皇帝に豪語した祖先の関東侵攻「祖彌東征毛人五十五国・・・」に
従軍した物部軍は、雄略時代には弱体化してしまっていたのか? 時代的には神武天皇ではなく神功皇后に付き従ってきた氏族 >>386
但馬国楽々浦居住の物部真鳥は、伊香色雄の後裔。真鳥の子が、物部渚鳥。
渚鳥の子が韓国連久々比。但馬国城崎郡に久久遲命(天湯川桁命?)を祀る
久々比神社、物部十千根を祀る阿牟加神社あり。
久々比は、鵠で通常は白鳥を指すが、土地柄からするとコウノトリか?
皆の名が、鳥なのは如何なる由縁なのか? 『新撰姓氏録』には吉志氏は大彦命後裔なり難波忌寸と同祖とあり、
『古事記』には吉志氏の祖先は五十狭茅宿禰とあるが、
「五十」とは饒速日命系の伊理王統であり、
神功皇后が五十狭茅宿禰の子の海上五十狭茅に祀らせ鎮めさせた神である大倉主とは高倉下の事であり、
高倉下とは饒速日命の事であるという。
『伊理王統 そのA』楠木探訪録
http://blog.zaq.ne.jp/kusunoki/article/321 吉志氏、岸氏は皇別氏族で、
祖先を高貴な五十狭茅宿禰とし、
安部族や天穂日命系とされているが、
実は饒速日命直系嫡流の物部氏の王統で
籠神社の海部氏より格上だと思う。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 物部の少なくとも一部に徐福に始まる末裔が含まれる事は確からしい。
が、饒速日命とは徐福が奉斎する太陽神であって、
徐福に始まる末裔を含む
物部系が饒速日命を祖先として系図に載せていたとしても、
天孫降臨した日本固有の皇祖神である饒速日命の、
直系嫡流の末裔である海部氏や吉志氏・岸氏らと、
物部を同列に論じるべきではないだろう。
その辺は籠神社の海部氏も「物部と海部とは格が違う」と言っている。 物部は、一貫して「臣下」の立場を取ってるように見えるね 宮内庁の雅楽が秦氏な事や、
海部氏や吉志氏・岸氏らが天皇家に勝るとも劣らない
公的歴史的系図や「新撰姓氏録」「古事記」やらで
皇祖ニギハヤヒ末裔であるという事は、
とんでも化できないねい。 饒速日命(ニギハヤヒ)は、
秦氏の徐福というより海幸彦・山幸彦の沸流(フル)だろ。 >>398-399
その間に大洪水とかで2回くらい人類が滅亡してて
今の日本人と関係あると思うのは基地外だから、
結局ノアを先祖とするシュメール王家天孫族や
その天孫族と一緒に移動してた物部達が最古。 >>398-399
その間に大洪水とかで人類が二回ほど滅亡して
6000年前の小麦作が今の日本人と関係あると
思ってるのは頭弱過ぎるから、
結局ノアから始まるシュメール天孫族が最古で
シュメール天孫族と一緒に移動してた物部が最古。 >>179
推古朝期に、物部氏の支族穂積氏が新羅攻略に遠征した記録が、
あるらしい。
”穂積祖足は、推古8年(600年)2月に任那日本府救援のため、征新羅副将軍に任じ
られて約1万の軍勢を率い新羅に出兵(新羅征討計画)、五つの城を攻略・・・・・・・・・・・・”
物部氏とその背後にあったもの 奈良は百済民 だから新羅が敵 大和が敵だった 2015-06-30
ttp://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/335367c3953e851601fa81e62219ef6e まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 朝廷直轄の軍事集団が物部。
饒速日命に連なる棟梁系の一族を中心としているものの、他族もその集団に入ると物部氏となる
ある種の職業名のようなもの。
皇子将軍が危険な戦に出向く時、皇子の名前で負けたり死んだりすると
王権の権威失墜になるので臨時で物部名乗ったりもする。
よって記紀等に唐突に出てくる物部将軍の中には皇子将軍も居ると思われる。 >>373 違うぞ。血統的にはペルシャだな物部は。命からがら逃げてきたんだろう。物を大事にとはそういう事だ。
藤原のほうが中国人、百済出自とかでトンデモだぞ。 藤原系はただの神別。お前らがちんちんとかチョンとか秦氏とか外人とか呼んでる勢力は、
実は皇族だったり皇別の末裔。それ位、物部の歴史は古く、魔力に溢れている。 まあ藤原系は朝鮮人なんだけどな。こいつらがいつも戦争を起こしてる。 >>416
>血統的にはペルシャだな物部は。
「物部氏ってひょっとして、コーカソイドと少なからず
関係しているのでは?」と、自分もそう思うことがある。
母方が物部氏と深く関係する地域の出身だけど、
地域の人は目鼻立ちがハッキリしていて、鼻筋が通っている。
それと二重が多い。そこの県は目の細い人が多い所だから珍しい。 >>420
島根県か山口県っぽいな。
島根県には石見国一宮の物部神社があるし
山口県の前身、長門国の守護は守屋の末裔の厚東氏だった。 なんで卑弥呼や秦氏が剣神を信仰してたことになるんだよ 卑弥呼と秦氏は、鬼道つながり
秦氏と物部氏は、神社つながり
秦氏が権力と共に物部復活 >>378
物部氏は、源郷北部九州から大和移住の折、神武東遷と違って
出雲経由で東上したのか?
”北九州から発して出雲を中継地として大和入りした物部氏・・・・・・”
銅 鐸 と 鏡 作 氏 宝賀寿男 2014.2.5
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kagami1.htm >>427
下示週刊誌『磐船神社/石切劔箭神社』特集号にニギハヤヒの東遷
経路が、掲載されておるようです。
週刊「日本の神社」 第108号 磐船神社/石切劔箭神社/譽田八幡宮 2016-02-23発売 \562*1.08
哮ヶ峯周辺に残る物部氏の痕跡/ヤマト入りする前の饒速日命の足跡/
http://deagostini.jp/jin/backnumber.php?id=47871&issue=108 >>414
氏祖「饒速日(ニギハヤヒ)」=「豊かではやいヒ」とは、稲妻を擬人化した
人名でよいのかな? ニンニキニキニキとニギニギしくが転じてニニギです。 軻遇突智を斬って刀剣の神が生まれるあたりに、
ミカハヤヒやヒハヤヒというのがタケミカヅチと一緒に出てくるので
ニギハヤヒもその類い 適当に造ったキャラなので名前も適当な語呂合わせで決めました これですよ
現代人の信仰軽視
古代人の社会を理解しようとせず何でも捏造!創作! ミカハヤヒやヒハヤヒのハヤヒと
ニギハヤヒのハヤヒが同義とは限らない >>429
弥生語から解読すると、「ニギハヤヒ」は、ニ+キ+ハヤ+ピと分解され
「きわめて優れた力あふれる意志」の意味らしいよ。
真実の 「天津祝詞の太祝詞」を求めて 「先代旧事本紀」の中の「一二三の祝詞」
ttp://www.pikakamo.com/index.php?%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%A4%AA%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%80%8D 登美地名
大阪 堺(登美ヶ丘) 高槻(登美の里)
奈良 奈良市(登美ヶ丘、鳥見もあり)
鳥見、つまり見晴らしの良いところ、という説が有力。
長髄彦、ニギハヤヒの時代は河内湖であり、その北岸と南岸が現在の高槻と
堺であった。高槻の登美の里の近くに「津之江」地名があり、当時の大阪で
は数少ない平地で、有力豪族の根拠だったと考えられる。現在、近畿最古級
の弥生巨大水田跡が見つかっており、市内至る所に遺跡がある。
登美の長髄彦は、ここを最初の根拠としていたのかも知れない。
堺の登美ヶ丘は丘陵の上だが、近くには池上曽根があり、また東大阪の鬼塚
と共に縄文から連続している四つ池があり、これらも近畿では珍しい巨大水
田跡である。
すねが長いのは縄文人の特徴だが、長髄彦がニギハヤヒの随伴者で、九州由
来の氏族か、それとも名前通りの縄文以来の王なのか、興味深い。 >>439
『記』の表記するイザナギ・イザナミの子「速秋津比古神・速秋津比売神」、
スサノヲ「建速須佐之男命」の「速」も、「力あふれる」との意なのかな? >>182」
欽明紀記事の竹斯物部莫奇委沙奇(マガワサカ)のマガワサカって
珍名だが、古代のキラキラネームなの?意味は? 日本人は男系基準で3つに分れます。
皇別・・・天皇家から臣籍降下した系統や傍流で、蘇我氏、橘氏、平氏、源氏、その他があたる。
神別・・・天津神・国津神の子孫ということになっており、中臣(藤原)氏、物部氏などがそれにあたる。
諸蕃・・・渡来人系の氏族であり、秦氏、東漢氏などがこれにあたる。 ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
ナガスネヒコ=アテルイ
じゃないのかなと?アマテラスがーってのがヒルコのことかなと?
でもモノノベがヒルコにつながるのか?? モノノベはどっちかと言うとツクヨミ系列だと思うんだけどなあ
でも秦氏もツクヨミ系列を字で示してるくせに絹ガー絹ガー言ってるからなにか裏にあるのかな?
スクナヒコは出雲に流れ着いた時点で絹の服を着てたって話だし >>444
>ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
>ナガスネヒコ=アテルイ
>じゃないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スレ誤爆か?等号=を誤用だし、投稿論旨も不明。
ナガスネヒコは3世紀前後、アテルイは9世紀の人物ゆえ、等号で結べない
つまり同一人物ではありえない。
ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコも、意味不明だ。 >>446
熟早日(熟すのが早い日)を蛭子
蛭子を夷とみて
蛭子を少彦名とも同等に観た
夷、東北の話を物部と夷の二つに重ねて考察したのでそんな形になった 物部は兵主神を指し五種の兵器は五角形でも表され五角形は台の文字を表す
この上の三角形部分が朝鮮半島で保食神かつオオゲツヒメ(大月?)をも指すから
物部は月扱いとした
その場合に物部が偶々東北に逃げたからといって饒速日命の末ってのは嘘臭いなーと 全然わけがわからないけど、お前らの脳内では理屈が通ってるわけ? >>444
>>445
>>447
>>448
辺りは一人で書いてるから複数だと思われたらスマンw
自分の脳内では確定事項からの派生としてもの考えてる
ちなみにアテルイってのはおそらくアテナイと同意で名前じゃなく単に将軍を指す役職名だと思われる
兵主や物部と同意って部分に味があるなとも 皇室も物部氏も、3万年以上前の氷河期に日本に渡来してきた
最古のY遺伝子のD1bを持つ氏族同士だが
両者が分岐したのは1万年以上前。
皇室は、D1b1a2
物部氏は、D1b1d1
ニギハヤヒとかが実在したとしても、せいぜい2000年前なので
皇室や尾張氏が言うように、やはり、ニギハヤヒは天孫ではなく
尾張氏の祖先であるホアカリとは、無関係であった。
ニギハヤヒの正式名称には、ホアカリ櫛玉ニギハヤヒという。
櫛玉とは形見の意味があり
やはり、ニギハヤヒは、自分はホアカリの御落胤だと自称してただけで
実際は嘘をいっていたことになる。 ニギハヤヒは天一というか天?
天皇周りが天孫って訳で、一世代目と三世代みたいな感じ
ニギハヤヒも出戻りかも知れないけど
天孫は更に後世での出戻り 日本の古代歴史は、どこまで行っても神話にすぎない話なのが悲しいよな。
早い話、この国を造ったのは肝心の原住民(日本民族)ではないということ。 どこまでというか神話の時代って日本の歴史に比べたら中期辺りの話だろ?
上古の時代は神代以前だと思うよ
天孫が日本の戻って来たときにも天一は日本で暮らしてた >>447
記紀で天磐舟で河内に降臨した先住天孫族領袖とされるニギハヤヒは、
蛭子=不具とか夷=未開人でなく英傑であって従来の用字の好字『饒速日』で
妥当であろう。
熟早日(熟すのが早い日)や蛭子とニギハヤヒを矮小化するのは、何故?
創造神が生んだ初の子は何故奇形なのか?
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/min/1388045627/ 物部氏は守屋の崇仏論争で
あきらかなように古神道を奉じる
ガチな保守勢力。 >>53
平安時代に武士が軍事を担うような
経緯で、
大和王権成立後にこの裏天孫族に
軍事が任されたのではないだろうか。 物部氏は古墳時代の軍事貴族だろ
渡来人らを中心とした藤原氏の台頭の影で滅ぼされた連中 物部氏
タカクラジ(兄)
ミマキイリヒコ(弟)、出雲の協力により実質初代天皇になる
この二人により遠賀川から東征が行われる
他の物部氏は先代旧事本紀参照 Y遺伝子でみたら、
皇室、物部氏、出雲国造家も約3万年以上前に日本へ渡来してきた古い系譜。
ただし、三者それぞれ分岐したのは1万年以上前なので
日本神話(せいぜい2000年前くらいか)の言うように、
三者は男系ではつながっていない扱いだった。
中臣氏は新しくて約4000年くらい前に日本へ渡来してきた系譜。
いずれにせよ、日本神話の話はせいぜい2000年以上前の話なので
これらの氏族は、そん時点では日本に住み始めて千年以上の時間が経過している。 蘇我氏の天下でも東北のほうでひっそり暮らしてたんでしょ ちゃんと今現在も物部守屋は存在してますよ。日本全土にいます。 別に隠すつもりもなければ、大きく出る事もありません。 普通の生活です。家紋は受け継がれてきてるだけです。 おまえら新説を語る時は
ちゃんとした根拠を語れよ。
ここは幼稚園じゃないぞ。 >>421
『新撰姓氏録』が饒速日の七世孫と記す大賣(売)布命とは、何者か? 物部氏は海賊であり馬賊である。
つまり、収穫期を狙って村を襲う略奪民族なのだ。
鉄は、馬具や船を作ったり、武器を作るために必要なものだ。
鉄の材料も職人も略奪してきたのだろう。 >>454
先住民物部氏と諏訪大社には、関わりがあるのか?
週刊「日本の神社」 第120号 諏訪大社 他 2016-05-17発売 \562*1.08
聖地のミステリー:古代史最大の豪族・物部氏と諏訪の深い関わり
ttp://deagostini.jp/jin/backnumber.php?id=47919&issue=120 新説ではなくて、本物が言ってるだけなんで。まぁウソくさいと聞こえてしまうのが悲しいです。代々受け継がれてきてる古文書があるんですが…お見せ出来ないのが悔しいです。日本至る所にある守屋神社でも参拝なさって下さい。 >>475
糸魚川のタケミナカタが滅ぼした諏訪の在地勢力がモレヤだろ >>475
>日本至る所にある守屋神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?長野県高遠町のしか知らぬのだが、他には何処何処に坐すのか? 高龍神社を祭る地域に進出している。
Google地図で探せばわかります。 十種神宝がある天橋立の籠神社は物部だな。息津鏡と辺津鏡がある。 マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い
靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト
10人に一人は カ ル ト か 外 国 人
「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を ! 物部守屋・・・・大和朝廷時代、神代以来の軍事氏族の名門で、蘇我氏と崇仏・廃仏論争を繰り広げたことで有名だ。
そんな物部氏の末裔である守屋武昌が、「防衛省の天皇」と呼ばれながら防衛庁を事務次官として牛耳っていた。
歴史は繰り返すんでしょうかねぇ。
興味深いのが、かつて「えたひにん」と呼ばれていた人達は、実は物部氏の血統だという説があるそうです。
物部氏は古神道をつかさどり、生贄を神に捧げ、血の儀式をするヘブライからやってきた民だったそうで、そういう生贄の儀式や血の儀式をするので、えたひにんに身分を
落とされたという話。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています