>>502
丹波国風土記残欠によると、
天火明命の国家を修造固め成せとの大命(前回、大失敗した経緯もあり、ある種の悲願)を

承った御子の天香語山命と御孫の天村雲命らはそれぞれ軍勢を率いて各地を転戦なさり
苦労した末にやがて国が成った。云々


微かな伝承によれば、丹波国勢力が畿内の大和に大量に流入してきて勢力を誇ったのわ、見た
渡来人らに引っ掻き回された出雲事変?を契機に出雲から葛城地方に移住していた東王家の分
家の登美家と
同じく西王家の分家の高鴨家ら先住の王族らから是非もなしと
丹波勢の当主天村雲命(葛城の王(かも)族からは父祖を相次いで殺害された仇敵の孫。母系は同じ出雲王族。ビミョーかつ複雑な間柄)
を大王に推戴。

葛城の登美家を建てた天日方奇日方命(父親は八重波津身命(出雲帝国第8代少彦(副王)。東王家の富/向家当主)/母親は摂津三島の生玉依媛命。
父親はツミハ八重事代主神に改竄された。また子孫らに三輪山に祀られた)の妹君が天村雲命に嫁ぎ大后と成る事で
葛城・丹波(ケヒ?)連合王国の大倭国が成立。
初代大王に天村雲命が即位(神武天皇の一人目のモデル)
その息子、第2代大王、玉手看命も同じく葛城の登美家の天日方奇日方命の下の妹が嫁ぎ、、、

キキの神武からの欠史八代が天村雲命から始まる大倭国大王家の系譜。
いわゆる歴代のヒミコ=大倭媛命/竹野(タカノ)媛命もこの時代かつ御一統さま。
(魏に遣使をした事が伝承、系譜文献の解析から明らかに)
また、大倭の称号自体が、尋常ではない特別かつ偉大な王にしか付与されていない事も重要かと。