しかし、物部氏は天理にやってきたときにはすでに大王のもとで鉄器生産する鍛冶集団だったのだから、
それ以前にはそこそこの鍛冶集団だったはず。
どこから来たのかという点が焦点。
しかも、物部氏は倭鍛冶であるとみたほうがいいだろう。
韓鍛冶は南河内の橿原市の大県で活躍していた。