「武田信玄の子供たち」約500頁、17日間かけて本日読了。いや、内容は素晴らしい。
だけれど、誤記・誤植の多さが半端ではなかった。
(1)まず、初歩的なミスでは、
●信玄の末子信清氏→「氏」はトルツメ  ●重要や役割→「重要な」
●(秋山越前守について)秋山一族は別掲の虎繁系も含め→「別系」
●家康が関東に移封された天正二十年→「天正十八年」 ●文禄二年(1594年)→「1593年」
これらはすぐ直せるが、次いで、
(2)少し考えたり確認が必要なものとしては、
●真田幸綱の四男昌幸→「三男」 ●春原孫左衛門→「惣左衛門」*他の複数個所はこちら
●(信廉について)信玄死去時三十一歳→「三十二歳」*数え年
●参考文献に浅倉直美氏の著作を使っているが、本文中は(朝倉二〇一九)と注記
一番面倒なのが、
(3)調べなければ正しく直せないもので、
●秋山越前守の父(法善)の本土寺過去帳に記載される命日について、五月五七日→「五月七日」
●参考文献に小笠原氏の林城について中川治雄氏の論考を使っており、
 参考文献欄では「論文名」(1988年)としているのに、本文中は(中川1998)→「1988」が正しい。
 *中川治雄氏について検索して確認
●「吾妻鏡」により小笠原長清が伴野庄の地頭であったとされる年について、
 文治二年(1185)と記載→「1186」 *文治2年なのか元年なのか検索して確認

これらはごく一部。枚挙に暇がないとはまさにこのことです。