>>77
まず令旨は頼朝にだけ出されたものではない。
近江、美濃、尾張、甲斐、義仲などの諸源氏(ちなみに義仲な倶利伽羅峠まで都では無名な存在)、八条院支配下にある藤原系武士(小山氏)などにも出されている。
頼朝はその中の一人に過ぎない。(伊豆知行主頼政に近い伊豆国人からの推挙か)
数打ちゃ当たるの中のどさくさで出されたうちの一人で、差ほど期待されていたかも不明。
ちなみ後白河院が令旨と同時に赦免したとか院宣出したというのは後の結果を知ってるフィクション「平家物語」だけの内容。
頼朝が赦免されたのは挙兵から三年後の1183年に出された「十月宣旨」の時でそれまでは都では罪人扱い。