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正しい建国記念日を決めよう!
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0001日本@名無史さん
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2014/02/11(火) 17:22:59.51
今のままでよい、決める必要はない等を含め、多様な意見を期待します。
0079日本@名無史さん
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2019/02/11(月) 15:20:05.99
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)              展望台が2つ(二重)
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0080日本@名無史さん
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2019/02/11(月) 18:49:52.49
誕生日があれば命日もあることに。。

永遠不滅の皇国に誕生日は要らん!
0081日本@名無史さん
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2019/02/20(水) 09:04:57.00
だよな
0082日本@名無史さん
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2019/07/26(金) 11:55:09.67
『日本書紀』神武天皇元年正月朔の条より
「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」
辛酉年(かのととり)春正月(はるむつき)庚辰(かのえたつ)朔(ついたち)。
天皇(すめらみこと)、橿原宮(かしはらのみや)に於いて即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。
是歳(ことし)を天皇元年(すめらみことはじめのとし)と爲す

日本書紀編纂時に伝えられた神武天皇の即位年はコレだけだったと思う
これをもとに、当時の暦法を駆使して、辛酉年の1月1日の日干支を片っ端から調べ上げて、
日干支が庚辰となるものを探した結果、これがなかなか見つからなくて、紀元前660年までいってようやく見つかったんだろう
奈良時代の日本人が、当時の最先端の科学知識をもとに調べ上げた結果出した結論であって、それはそれとして尊重すべきだと思うが、
現代人は現代の科学知識をもとにもっとしっかり調べ上げて、本当にこれで合ってるのか調べるべきだと思う

まず、その計算の前提として使われている暦は元嘉暦だった
奈良時代の日本人は、元嘉暦が現実の月の満ち欠けを正確に計算できる暦だと信じていたから、これをもとに各年の1月1日の日干支を計算したのだろう
しかし、現代の我々は天体の運行をもう少し精密に計算可能である
それ以前に、そもそも各年の1月1日の決め方が「24節気の雨水を含む月の最初の日」という決め方でいいのかという問題もある
中国の暦が伝来する以前に日本人が暦を持っていて神武天皇の即位年日を記録していたのだとすると、その暦は日本独自の暦であり、1月1日の決め方も独自だったはずである
0083日本@名無史さん
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2019/07/26(金) 11:56:04.88
そこで、現代の科学知識をもとに、まずは1月1日の決め方を考えてみると

http://www.yamato-gr.co.jp/ans/17-01/index.html
1年の初め
 1年365日余を12か月に分割し、4年に1度の閏年を置いて誤差を修正する太陽暦に慣れた
私達は何の疑問も持たなくなっていますが、世界の暦の歴史をみても明らかなように、暦法
の発達してなかった時代において1年の初めを規定することはとても困難なことでした。
(中略)
月を基準とする時、新月より満月の方が観測しやすく、満月から次の満月までを1か月とする
のが自然です。今日、1月1日を中心とする朔旦正月(大正月)より1月15日を中心とする
望の正月(小正月)の方が古い形だとする考えがあるのはこれに基づいています。
 日本の民族形成に関しては諸説あっていまだ決着をみていませんが、初め狩猟・焼畑耕作を
主生業とする人々が土着して、その後から稲作を主生業とする集団が渡来し、稲作民族が他を
圧倒するようになったという説は広く認められています。現行の正月行事も、現在から溯って
把握できる限りの正月行事は全て稲作中心に塗り込められています(中略)
祖霊信仰が整備されてからの正月は盆と共に年に二度の魂祭り(祖霊祭)の機会で、個性を失
って祖霊に融合同化した先祖の霊を迎え祀る機会でした。ところが、盆の方は早くから仏教と
結びつき、死者の霊の供養行事と考えられ、これに対抗して正月の方は、死の穢れに関係のな
い清らかな祭りであることを強調した結果、盆と正月とは全く別の行事のように理解されてき
ましたが、年の夜に声を上げて死者の霊を呼び迎えるとか、東日本では年末か正月に御魂の飯
に箸を突き立てて祖霊に供えるとか、主として西日本で元日に墓参をする習俗があるなどは、
何れも正月の魂祭り(先祖供養)の名残です。

以上より、古い時代の日本では、春と秋の満月の日が正月だったこととなり、年に2回の正月があったことになる
(ちなみにここで半年暦を主張する見解もあるようだが、正月が春と秋と2回あるからといって
半年暦が論理必然なわけではない。単純に、1年に2回正月があるだけだった可能性もある。
半年暦が妥当かどうかは、そう解釈した場合の記紀の記事の整合性などをもっと精緻に調べた上で
判断すべきことだろう)
0084日本@名無史さん
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2019/07/26(金) 11:56:26.86
参考までに、こういう古い日本の風習がいまだに残っている地方も存在する
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou52/kaihou52.html
大分県姫島では旧正月を「春正月」、盆(旧7月)を「秋正月」といい、前者は米の餅、後者は 麦の餅を食べる

ここで日本書紀の記述を見ると、「辛酉年春正月庚辰朔」である。
わざわざ「春正月」と書かれているのは、春以外にも正月があった証拠だろう

では、その「春正月」は、いつだったのか。
満月の日である時点でその後中国から伝わった暦の1月1日とは別の日であることは確定的であり、日本の伝統から考えなければならないところ、前述のサイトによると

■ 霊に対する祝福の言葉
 1年の始めである正月は春の始まり、すなわち立春とも考えられており、人々は春の訪れが
もたらす生命の誕生を心から喜びました。たとえば「めでたい(芽出度い)」という言葉は
「新しい春を迎え芽が出る」という意味があります。また、新年に言う「明けましておめでとう
ございます」という言葉は、実は年が明け歳神様を迎える際の祝福の言葉でした。つまり、神様
への感謝の言葉を人々の間で交わすことにより、心から歳神様を迎えたことを喜びあったという
ことです。

そうだとするならば、24節気の雨水ではなく、春分を含む月の満月の日が「春正月」だということになる

この条件で日本書紀成立時点から遡り、日干支が庚辰となる日を探せば、じつは簡単に答えが出る。
紀元前660年まで遡る必要はない。なんと、紀元後の、西暦377年3月12日だ。
0085日本@名無史さん
垢版 |
2020/02/29(土) 11:35:59.44
いつできた国かわからないほど遥か悠久の昔にできた国だから
別に特定の建国記念日はなくてよいのでは?
その代わり天皇誕生日(天長節)の他に(今上)天皇即位日を設けたほうが良い。
0086日本@名無史さん
垢版 |
2020/02/29(土) 12:45:47.95
神武天皇(草薙鉄剣)の樫原神宮での即位を、いまだに紀元前660年(畿内はまだ縄文末期)としている時代錯誤を何とかして。
建国記念日は、その上で変更すればよし。
0087日本@名無史さん
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2020/03/01(日) 12:38:58.28
憲法記念日かサンフランシスコ条約の発効日だな。
0088日本@名無史さん
垢版 |
2020/03/01(日) 13:21:47.79
国体護持を条件にポツダム宣言を受け入れたわけだから、
サ条約発行を以て国体の始まりとするが如きは受け入れがたいものがある。
まあ建国ではなく、独立記念日だというならいいけど。
憲法記念日も同様に憲法の発布を以て天皇の正当性が保たれるような日を定めるのはよろしくない。
憲法記念日はあくまで憲法記念日である。
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