加賀藩前田家100万石の存在感のなさは異常
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前田利家は嫡子の利長を居間に呼んで密かにこう言った。
「北条の子孫を集めておけ」
関東の者は義理堅い、と利家は言う。
小田原北条氏にゆかりの者を見つけだし予め召し抱えておき
家康と事を構える事になれば北条の子孫を表に立てて家康の領地で旗を挙げさせる。
「さすればたちまち関八州は味方になろう」
利家はそんな事まで計画していた。
こんな不気味な事をされてはたまらない。家康は心中深く利家を恨んだ。
(『殿様の通信簿』磯田道史) >>194
秀吉とは若輩の頃は隣近所。
秀吉の結婚式(祝言と言っても何もなく簡単な盃事だけ)に列席したり、米や味噌や醤油ほかを融通し合ったり、運命共同体てきな半ば身内同然の間柄。
竹馬の友。真の親友。 加賀百万石と言われていますが、一族(分家)を合わせると120万石!?
江戸幕藩体制下で将軍家の八百万石を除き、最大石高を誇った。
帰順し代々徳川将軍家と縁戚関係を重ねたとは言え最大の外様大名。
ちょっとの間違い?不信感が命取り(取り潰し)になるのは必定。
なので、暗愚なバカ殿様(3代目)を演じたりかなり腐心していた様子。
ただ、金沢は一見軍司的には丸裸の商業文化都市の様に見せて、その実は鉄壁の守りの要塞都市。
他の藩と同様、寺を要所に配置して有事には出城の機能を持たせていたり、、、、 >>196
それなのに息子の利長がさっさと豊臣裏切ってるのが笑えるんだろうw
秀吉の死のわずか一年後には秀吉&北政所と親交のあったまつが家康の人質となり
家康の孫娘を前田の跡取りの正室に迎えて崇めてた >>196
さすが、出自不詳レベルの底辺層出身!
秀吉とはそら馬があうわな 前田利家と小早川秀秋はギリギリの土壇場で裏切った戦国時代の
二大裏切り者のイメージしかないね
利家がさらに鬼畜なのは上司を裏切っておきながらその上司討伐の
先陣を務めてるんだよな、時代は違うがこんな人間にだけははなりたくないよね
やっぱり真田幸村が400年経っても人気が有るのがよく分かるわ 江戸初期は徳川から目を付けられてずっとお家取り潰しの危機にあったからな。
鼻毛のお殿様までやったくらいだからな。幕末にはもうくたびれていたんじゃないか?
でも、豪姫の実家として八丈島の宇喜多家をずっと援助してきたのは立派。 八丈島の宇喜多家をずっと援助
定期的に宇喜多家の子孫に衣料、食料、日用品を届けていた
幕府の島役人にも付け届け
明治に宇喜多家子孫が赦免されるまで続いていた >>200
柴田勝家の件については利家と直接主従関係ではないからな
利家の主君は織田信長であって配属先が柴田勝家の下というわけで
利家が志願して勝家の部下になったわけではないので
ただ恩義ある豊臣家を秀吉の死から一年もしないうちに裏切った
前田利長はどうかと思う
利長は織田信長の娘・永姫を妻にしていたために
豊臣に対して思うところがあったのか >>203
だから上司を裏切ったって言ってるだろ、主君を裏切ったとは一言も言ってない
しかし利家は勝家が助けてくれなかったら信長の家来でもなかった筈
それくらい勝家のは恩義があるのに勝負の土壇場で簡単に裏切るクズ野郎
そんな藩祖を見てるから利長も裏切ることくらい屁とも思わないだろうな
加賀百万石は日和見と裏切りの歴史だよ >>204
>しかし利家は勝家が助けてくれなかったら信長の家来でもなかった筈
えっ?
利家って信長に仕官する前から勝家を上司とあがめてて
勝家の口添えで信長の家来になったの?
違うだろw >>206
知らないなら黙っていた方がいいよ
恥かくだけだわw
>>208
信長の性格じゃ勝家が口添えしないと戻れないだろうな
まあ歴史上の話だから真意は分からないけどね >>209
>知らないなら黙ってたほうがいいよ
お返しするw
柴田勝家のお陰で信長のところへ戻れたなんて
やっぱり嘘じゃん 信長のお気に入りの坊主拾阿弥にバカにされたことで利家が激怒して
坊主を切り殺した
信長が激高し、利家を切り捨てようとした時に重臣である柴田勝家が
身を挺して前田利家をかばい助命嘆願した結果、手打ちにはならなかった
勝家がいなかったら利家死んでいた
拾阿弥 それ作り話でしょ
利家は信長から衆道の相手として寵愛されていたから
手打ちになんてしない 名武将だけが名をかたられてるセクハラ残りが不満。
女性を考えると、活躍者も男女多いのに。 >>212
だから言ってるだろ信長お気に入りって、利家より拾阿弥 ほうが具合がよかったんじゃないのw
作り話なんて言ったら加賀藩は裏切り者利家に余りにも負い目があるので後に
『ヨイッショ』してごまかした作り話がどれだけ多い事か!
それを信じてるあんたみたいな石川県人は多いよね >>211
利家は信長の目の前で茶坊主殺したわけじゃねえだろ
茶坊主殺してその足で蓄電したんだろうが >>214
本当のことを指摘されたら逆切れする馬鹿
利家の味方する奴は石川人だけだってw
どんだけ池沼なんだか おい、そんなに熱くなるなよwどこに石川人だけなんて書いてあるんだ?
おまえは文盲かw >>218
池沼登場
>本当のそれを信じてるあんたみたいな石川県人は多いよね 文盲の相手は困るな
石川県人だと断定しているバカは
ホント頭悪そうだなw ちょっとズレるけど信長お気に入りの茶坊主斬り殺して
蓄電したって池田恒興もそうだな
こっちは恒興と茶坊主とそのお仲間が斬り合いになっている場に
恒興の養父が通りかかって茶坊主が死んじまったもんだから信長の性格上
これはやばいというんで恒興かっさらってその足で伊勢に隠したとか…w 茶坊主を斬ると大大名になれる。
まあ下役にも関わらず主君の威を借りて態度が大きいのもいたんだろうな とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
VQK 徳川は時々耳にするけど、前田の子孫は、日本郵船社員だった人以外知らない
結構金持ちらしいけどその後どうなったか?
東京に住んでるはず >>227
戦前に陸軍軍人になって戦死した人がいる >>227
現当主は墓参などで、度々金沢入りしてるのが地元新聞に載ってる >>227
多分
ttp://maeda-ap.co.jp/ 18代当主前田利祐氏以外ははっきりした記載がない
その息子さんは前田利宜氏、孫は前田利恭のようだが
>>230 の前田興産社長前田利幸氏とのつながりも明確ではないね
前田育徳会という組織が有るようだ なぜ前田一族は誰一人として金沢市に住まないのかな?
歴史の継続性がなく威厳もなく安ぽっくみえる 以前前田家漁っていたらw前田興産の名があった記憶があるので上げたけど
勘違いだったかな? 明治になり各大名は爵位を授かると共に東京在住の命令が出た
そのときから東京と地元に二つ家を持つようになった
島津、毛利、皆そうなのだが、前田は東京に落ち着いたのかな 前田って腰巾着みたいなもんだろ
芸能界で言えば今田とか東野みたいなポジション 前田は幕末時、何もできなかった
佐幕でもない、尊皇でもない
形の上、大聖寺藩から戊辰戦争に少し兵を出しただけ
殆ど静観だから影響力持てるわけがなかった >>237
ズバリ金沢には愛着なかったと思う
元々ヨソからの人だし 石川県人会は石川県外の組織では?
名誉会長って何よ >>237
逆に島津、毛利ぐらいでしょ、東京と地元に家持つなんて特権は
維新の勝ち組だから可能なのであって、他の大名は東京にしか家ない
京都の公家もほとんど東京に行った
京都に残ったのは華族にもなれなかった下級の公家ぐらい >>239
加賀藩兵は長岡戦争で戦って、戦死者は石川県護国神社に祭られてる
実質5万石の大聖寺藩なんて、官軍に軍資金出した程度で出兵はしてないと思う >>240
愛着なくもない
関ヶ原後に徳川は前田に四国全島(讃岐・伊予・阿波・土佐)への加増転封持ち掛けたが、
前田は父祖が切り開いた加賀・能登・越中に居たいと言ってそのままになった 板橋区民祭りには、金沢市長より小川仙之助の子孫を呼んで欲しい >>243
ある程度以上の大身大名は国元にも屋敷持ってるぜ。
公家の場合、維新後に公家町が取り壊されたという特殊事情もあるし。取り壊しにかからなかった冷泉家だけは残ったけど。 江戸時代全期間を通じて居た土地に「愛着ない」てのも妙な話。
薩長のような「頼朝公以来」みたいな家のほうがむしろ珍しい >>248
江戸時代の大名は参勤交代で在任中の半分は江戸屋敷に詰めてたし
大名の正室と正室の子は将軍の人質として江戸留め置きのため
江戸生まれ江戸育ちの当主も多い
途中で徳川やら松平やらから養子をねじ込まれた大名家も多いし
鉢植え当主(転封して先祖代々の土地ではないところへ飛ばされる)も当たり前 >>243
佐幕派の伊達あたりの大名家さえ
子孫は仙台で伊達家の伝統を守ってますよ! >>245
>関ヶ原後に徳川は前田に四国全島(讃岐・伊予・阿波・土佐)への加増転封持ち掛けた
初めて聞いた。一次史料のある話なの? >>250
両池田もだな
関係ないけどこの前の絢子さんの晩餐会に厚子さん来てたな
品の良いお婆様って感じだった >>201
前田の周りの領地をを親藩・譜代で囲んでたしな。やらかしたらいつでも潰せるぞと言う徳川のメッセージとも取れる。 越中の一部な
徳川的には帰属未確定地だが
前田的にはエビデンス弱いけど合法と主張
重政が目付と見られがちだが、案外に利益とのトレードくらいだったのかもしらん >>104
そもそも耕作に向いてる気候には見えない
宇和島、土佐なんか一種の嫌がらせレベルの辺境地だしな 土佐なんか8万石くらいしかないだろ
電車の線路も殆ど一本だし。紀伊もそうか >>264
紀伊は港があるのと京都大阪のすぐ近くなのが大きい >>260
隣の福井藩は親藩であるにも関わらず
幕末には名君・松平春嶽が出て幕政改革を色々やってたじゃん
坂本龍馬を福井藩に呼んで資金援助をしたり
日本の近代化のためには新体制派に対してもやぶさかではなかった
前田には反骨精神がない 太閤検地で、四国全島で最低でも130万石ぐらいあったはずなので、
いっさい留保地なしの完全一円支配なら、確かに加増転封だろうと思う。
でもそうすると、四国のどこに本拠地を置いたんだろうね?
むしろ四国の難治さはここで、それぞれの平野が地理的にそれぞれそっぽを向いていて一円支配に向いていない。
>>266
福井(越前系=結城秀康の系統)は秀忠・家光以来、徹底して冷遇を受けたので、
徳川宗家に殉ずる意識は低かっただろうよ。
これは、吉宗&家斉の紀州勢に内部をメチャクチャにされた尾張家にも言える。
結局、この、東日本入口の要にある2家が造反したことで、実質的に幕府の命運は尽きた。 >>267
越前福井藩主は早くに藩祖結城秀康の血筋ではなくなってるから
秀康公の恨みとか関係ないよ
松平春嶽は田安徳川家からの養子で8代将軍徳川吉宗の曾孫に当たる
ちなみに最後の福井藩主・松平茂昭は糸魚川松平家からの養子で
血筋をさかのぼると家康の異父弟・松平康元(男系は久松)となる 福井75→67→50→25→32万石
冷遇のように見えるが
実際には福井の別家が
松江19、明石10、前橋17
出来てるから総石高では大差ない
ただ官位は一時期、侍従で
国持ち下位の毛利や鍋島クラスにまで落ちてる >>269
福井藩の中でも丸岡藩4.5、大野藩5、勝山藩3、木本藩2.5、吉江藩2.5などに分家している
減封は分家の他に2代藩主松平忠直が狂気により正室勝姫(2代将軍秀忠の三女)
を殺そうとして改易されたことによる減封(67→50)
福井藩6代藩主松平綱昌が暗愚で側近を理由もなく殺害
将軍の江戸城登城命令をさぼるなどしたため
幕府から改易相当として強制隠居させられた
しかし親藩の越前松平家を滅亡させるわけにもいかんので
官位を少将から侍従、石高半分(50→25)、江戸城詰所は御三家同等の大廊下から外様と同じ大広間と
格段に待遇を落としたうえで前藩主を呼び戻して越前松平家を存続させた 福井松平て腫れ物扱いされてたのか
そりゃ幕末に翻されても仕方ないわ 福井は加賀への監視牽制と見られがちだけど、秀康より後はあまり機能してないというか期待されてないんじゃないかな?
それでも幕末には調整役としての存在感は示せたのに、前田は内部だけでエキセントリックな動きしただけだし >>272
福井藩は秀康以降も将軍の娘が嫁ぐくらいの家格は有していたし
秀康の血筋が絶えてからは
将軍の実子や御三卿(一橋、田安)など
将軍になってもおかしくない血筋の養子が来ていたことは事実 福井の重鎮感は妥当
加賀は外様筆頭扱いで赤門持ちなのに眠ったままの獅子で終わったのはもったいないな 東海、北陸は当時の幕府の主要防衛ラインと言う観点で見ると面白いな 病床の利家が見舞いに来た家康を最後の力で暗殺しようとして
準備を命じられた利長が文字通りに接待してしまい頓挫したという話があるが実話か?
利長が家康支持なら利家没後に討伐軍出されて母を人質に取られることもなかっただろうし
実績やエピソードからも利家が父の真意を理解できないアホの子とも思えん。 >関ヶ原後に徳川は前田に四国全島(讃岐・伊予・阿波・土佐)への加増転封持ち掛けた
讃岐13
伊予45
阿波18
土佐9
で105万石
(山内の土佐20へ高直しで116万石)
越中36
能登21
加賀(白山除く)46
で103万石
(たか直しで119万石) 前田はうまく立ち回って百万石になったからな。守りに入ったわけさ。
徳川と渡り合えたのは利家だけだったがそれも家康が天下を取る前なので可能だった。
利家は大納言だったが後には、家格は官位が参議どまりで大納言・中納言の御三家の下。
幕府にとってめざわりな百万石の前田家は保身に走らざる得ない。 やはり前田、原田は兄弟で先祖は菅原というのは嘘?なのでしょうか ρ(ーoー)♪
あなたも私もアベコロナ
あいつもコイツもアベコロナ〜 家康→浅野→小早川→前田と仕官した成瀬吉正のエピソードてあんまりないね
前田利益に負けず劣らずの相当な傾奇者だと思うが >>29
尾張は後半辺りの当代は養子も多いし実質附家老2家の執権政治状態だったイメージが強いな。重臣クラスも有力氏族が多数居て、絶妙なパワーバランスだったんだろうなとは思う。 関ヶ原の毛利・吉川でさえ戦闘終了までは陣にいた
万単位の敵を戦闘に参加させなかったという貢献はしている
それにひきかえ賤ヶ岳の前田は酷すぎるよ……
そのタイミングで撤退とか佐久間盛政に謝れクズ一家 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています