江戸幕府って本気で鎖国続けてけると思ってたの?
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そんな事やってたら他国にどんどん差をつけられていつか侵略されるかも…とか思ったりしなかったん? だから開国したんじゃん。鎖国を継続しろと言わんばかりに「攘夷!攘夷!」とほざいていたのは水戸や長州などの連中だろよ。 >>3
それは後の時代の話じゃん?
もっと前の頃は本気でそう思ってたのかなーって >>4
世界でも有数の軍事大国だった日本が気にする問題じゃないよ。
それに鎖国ってのは別に一切断交してたわけじゃないし。
貿易を基本的に幕府の一元管理にするってだけ。
上手に相場操縦すれば巨万の富が幕府の手に入るし。 まぁ「鎖国」と言っても江戸幕府は「全面鎖国」では無く「限定鎖国」だった。
1番のポイントとしては東洋以外でオランダとは貿易していたって事だろう。
これにより、完全な「浦島太郎」化を防げた。
蘭学や蘭方医も広まり、海外情報も入りやすかった。
はたまた、今現在に至るまで日本文明が世界に広まる土台を築いてくれた。
「サムライ」「ニンジャ」など今や欧米はおろか、アフリカや南米アンデスの民までが知っている。
朝鮮の衣装や文化が全く知られていないのと比較すると、日蘭貿易の影響は計り知れない 朝鮮の衣装や文化ってな〜に?
おまさんらのあの学会やらが作った文化か?
なにをモデルにしてんのあれ? 結果的には良かったんじゃねえ?
江戸初期から開国・欧米列強受け入れていたら清と同じ目に
日本国は消滅していたかも 思ってたんちゃう。
今も、工業製品の輸出で生活し、エネルギー、食料、安全保障と国家の基盤を他国に依存しながら、
「新自由主義ハンターイ!」と叫び、悔しげに「鎖国したい」と漏らしてる日本人がいるので
この時代なら当然。 まあ、徳川幕府も中国人や朝鮮人やアーメンの連中がよっぽど
うざかったのだろうなww
貿易量はむしろ戦国時代と比べて増えていたくらいだからな
民間人同士交流させるとトラブルが多発することを恐れたのだろうなww 今の北方領土ではロシアの海賊に蹂躙されて、国全体が蜂の巣つついたような騒ぎになったけどな。 11
なあなあ!
日本人ご海外にでていけば昔なら尚更、魔女だの悪魔だの扱いされる気がするんだけど あぁ、そっか
壊れそうなやつらはでていかないもんな
でていくのは感化されるやつらか
奴隷貿易ならこの限りじゃないけど そういえばそうだな
あの時代の人はそういう疑問なかったのかな? 外国(とくにヨーロッパ)を見てきた人でない限りそんなことは思わんだろ 江戸幕府も幕末には開国して、欧米に使節派遣してる
むしろ、京都の朝廷が開国に反対してた >>22
道真こそ、記録に残っている範囲では
最初の鎖国主義的政策をとった人だから 道真のは鎖国と違うんだけどな。
中国に役人を送らなかっただけで、民間の往来は禁止していない。
江戸幕府の鎖国は国策。 >>24
国策で鎖国してるって聞くとすごく頭が悪い国みたいな感じがする
北朝鮮みたいな 江戸時代も長崎でオランダ、中国とは貿易してるじゃないか 幕府の鎖国は独占貿易だからな。
平安時代は朝廷が独占貿易したことはないでしょ。 >>28
人の行き来が極端に絞られているんだから、貿易統制という枠では収まらないよ。 近年では鎖国って言葉はあまり使われなくなったね。
基本的に対馬、長崎、琉球、松前の四つの口で、自主的な貿易統制と渡航禁止の海禁政策。
東アジアじゃ別に珍しいことじゃないしね。
欧州が年がら年中ドンパチやってたお陰で、手に負えないくらい大砲の性能が著しく向上してしまってたのが誤算かな。 ×江戸幕府って本気で鎖国続けてけると思ってたの?
○江戸幕府って本気で鎖国続けていけると思ってたの? 多分だが「続けてける」は日本語じゃないと言いたいんだろう。 >>34
まあそれ言ったら「思ってた」もおかしいよね
つまり>>32はバカって事で 鎖国が行われている間に幕府はどれくらい外国の事情に通じて
いたんだろうか
オランダを通じてかなり最新情報は把握してたのかな 「阿蘭陀風説書」
出島のオランダ商館長(カピタン)が江戸まで行って、幕府に世界情勢を報告してた >>42
それって危なくね?
オランダの胸三寸でどうとでも捏造できそう 幕府は下々には夷戎蛮荻打ち払いを宣じてたけど本音は外様大名を制しての管理貿易だからな見誤らない様に >>43
実際そうだよ
ベニョフスキー事件なんかその典型 幕府はなんだかんだで国際情勢把握してる。
黒船だって戦争になったら勝てないってことを理解してたし。
ロシアの南下政策が北海道に及ぶことに危機感持ってたし。
その辺は大清帝国皇帝や軍機大臣あたりとは違う。 >>43
フランス革命でオランダが無くなった事は幕府も知らなかった。 >>49
そりゃ本国がなくなっても遠隔地の末端部所が急に変わる訳じゃないからな
ここで流れを読まず、鎖国で国内経済を成熟させてなければあっという間に植民地化されていたと言ってみる >>47
ロシアの南下政策こそオランダのでっちあげなんだが。
大黒屋を送り届けたあたりはロシアに悪意はない。
あとで紛争になったのはレザノフを邪険にしたから。
高田屋事件のあともロシアはおとなしかった。 >>44
ちなみに安政に開国するまで打ち払われた(砲撃された)のは天保年間のモリソン号だけだったりするけどな。
佐藤弘夫(創価学会)研究室に11年いた吉川裕は
やっぱり創価学会。創価じゃないと出世できない東北大学のからくりがバレる。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/716475.html (創価の見分け方)
週刊新潮はいつも真実が書いてあるっていうとファビョるのが創価
http://www.geocities.jp/myudash/new.html (裕チャンのブログ)
べいべー!! 週刊誌に書かれてるのは全部嘘だぜ! のピレプーです。違いますか、違います。エジャナイカエジャナイカどーでもエジャナイカ〜。 徳川家の安定、繁栄、存続が全てに優先だからな。あと100年は早く蹴落とされるべきだった。 つーか、西洋の銃砲が飛躍的発展を遂げたのは元込め銃ができた幕末じゃね? 鉄砲より大砲の射程距離じゃね。
江戸湾に侵入した黒船に江戸城が一方的に撃ち込まれ火だるまにされて、
こちらの大砲は黒船に届かないとかなったら幕府即終了。 ウィキペディア編集者ジャムリンによる自演が酷すぎる件
以下が問題の爆笑自演投稿
日本史板住人がWikipediaを弄るスレ PART20
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1372047431/l50
569 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:39:28.23
ジャムリンって何者なんだ?
そんな悪い奴なのか?
570 名前:日本@名無史さん :2014/04/06(日) 12:54:41.47
>>569
ジャムリンは偉大な天才歴史学者です。
イケメンで長身、髪はフサフサの美形青年です。
フェラーリ・ベンツに乗って美女に大人気、誰もが羨む男の鏡、神の化身のような大英雄です。 鎖国なんて続けていけないと思っていた人物は大勢いたがいずれは鎖国を再開するつもりだったのが当の井伊直弼なんだよなぁ… どうなんかね?
鎖国末期に日本の教育水準は飛躍的に上昇してるから
それを待って開国した、ある意味理想のタイミングかもしれん。
開国が早すぎても西洋化についていけなくて植民地にされてたかも。 >>61
数学は欧米よりかなり進んでたと聞いたな
今は欧米に合わせてレベル下がったらしいけど 先端の数学は数寄者ぐらいで、いわゆるそろばんレベルで良いんだけどな。
金融工学とかはかなり怪しいし、株式資本の制度作る上でも簿記ルールとか決算の仕組み作り変えたりは必要だったけど基本はそろばん。
数学とか学問的な部分より、現物を動かすために必要な家内制手工業と卸売、小売、運輸の基本が19世紀初頭に仕上がっていたのは大きい。 >>62
それは流石に言い過ぎだ。だってせいぜい微分積分だよ。 田沼意次あたりから
開国しちゃった方がいいんじゃね?
という機運は何度もあったのに
そのたびに反対派の抵抗で潰されちゃったからなあ。
島津重豪が元気なうちに開国が実現していたら面白かったかも、とは思う。 >>49-50
本丸幕府は分かんないが
長崎の役人連中は知っていて
知らんふりしていたらしい。
現状維持が最優先だったから、
アメリカ船をオランダ船ということにして貿易実績を取り繕っていた。 >>63
その数寄者の存在がすごい。
生活に関係なくても高等数学で遊ぶわけで、欧州なら知的エリートの独占だったレベルに庶民が立ち入ってる。
識字率も欧州より高かったし当時の日本は教育レベルの裾野が広いな。 >>67
学問と教育というのは別もんだからね。
読み書きそろばんの普及は浪人の存在が大きかったのかなと想像してる。
豊臣氏滅亡〜元禄までに改易で浪人が大量に発生。
生計を立てるために、私塾やら寺子屋みたいなとこで先生になる。
組頭以上の人達は基本的な読み書きそろばんに加えて土木や本草学的な百科的な知識持っていただろうから、そういうものも広がる起点になっただろうと。
中世〜近代に限らず、知識の伝播や学問の普及はあぶれちゃった人々の存在が大きかったと思う。 >>67
>欧州なら知的エリートの独占だったレベルに庶民が立ち入ってる。
江戸の庶民の植木や盆栽もヨーロッパでは王侯貴族の独占だ。 >>67
市井の一部マニアが変態なのは昔も今も日本人の特性なんだろう
算額の凄い物には「<タグ>才能の無駄遣いw」と書いた千社札が
貼られていたとかいないとか・・・ 普通に末期は開国近代化していただろ
薩長がそれをつぶしただけ 江戸時代の最初の連中は
技術の進歩なんて発想が無かったんだろうなあ >>72
ヨーロッパの方でもまだ発展してないからな
造船技術においては差が出ていたが、地理的要因によるところも大きいので幕府の責任とは言い切れない。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 秀吉が宣教師ガスパル・コエリョに対して送った質問状
予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。
よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られていったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すように取り計られよ。
もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。
−ルイス・フロイス「日本史4」中公文庫p.207-208 「連れ戻すように取り計らえ」と命令してるのに質問状なのか? >>72
はあ。
コペルニクスやガリレオ、ケプラーやパスカルがいましたか、日本にも。 幕府は鎖国という言葉は使っていない。
渡航の禁止、交易は欧州はオランダに限る。
貿易港は長崎のみとする。
キリスト教を禁止する。 そもそも、日本って歴史的に見て日本人の海外渡航を禁止してた時代がほとんどなんだよな
民間人の海外渡航が自由に可能だったのは中央権力が衰退してて取り締まりどころじゃなかった戦国時代と、1964年に自由な渡航が解禁されて以降の現代くらい
まさしく陰湿な島国根性だが、ほとんどの時代で日本は鎖国し続けてきた 桃山時代は中央政権が禁止するまで自由だったのが抜けてる。
チベットも鎖国してたけど山国根性というのか? >>83
応仁の乱から大阪夏の陣までは全部纏めて広義の戦国時代だろ
鎖国して民衆が自由に出ていけないようにするって閉鎖的な土壌に基いた陰湿な精神性そのもの 話の流れとして「中央権力が衰退してて取り締まりどころじゃなかった戦国時代」と
しっかりした中央権力が渡航を許していた桃山時代は区別するべきだろう。
>>84
>鎖国して民衆が自由に出ていけないようにするって閉鎖的な土壌に基いた陰湿な精神性そのもの
自由に出て行って倭寇として暴れまわるのとどっちがいいんだ? 江戸幕府が鎖国を国是としたのって、ロシアやイギリスが近海に進出してきて、
これに文政令(無二念打払令)で対応してた19世紀前半の20年くらいじゃなかろうか
だから鎖国という政策そのものが存在してない >>84
自由に出ていける民衆って国内で食ってけない奴か漂流民?
行った先で食えるとは限らないしアユタヤ日本人町みたいに滅びちゃった町もあるよ
商人に対して交易、開拓や調査関係は許可が下りてるのだし
アヘン戦争まで広東で管理貿易やってた清だって同じだよ 当時開国してても、近代化できなかった国は、西洋を含めてほとんど。
ロシアやエジプトなどは先進国に、日本より早く留学生を送っているが現状は遅れている。
海外展開による、対外戦争は、莫大な国家負担になり、スペインなどは何度も破産。
西洋のプロテスタント国家の一部が、内部革新を果たして近代化を成功させるが、それは鎖国後のずっと後の話し。
初期のカトリックの遮断と管理貿易という選択肢はそれなりに正しかったが、その後の近代化の動きを察知して対応するのが遅かった。 高等数学の試問がそこかしこのド田舎の神社(地域のコミュニティの中心)等に張り出され
それを数学者でもない普通の町人農民等がちゃんと明晰に回答して神社に奉納。
こういった事が(一種の娯楽として)各地で行われていました。 >>85
自由に海外に進出して異民族相手に暴れ回る、素晴らしいじゃないか
大航海時代のヨーロッパ船団だって各地の原住民の街を荒らし回ったりしてるんだし
朝鮮半島と中国沿岸に留まらず日本人は東南アジアにまで進出して広く貿易や戦いをしてたし、日本人の負の部分を凝縮した人格の家康が陰湿な保守性丸出しの鎖国をしてなければ倭寇や日本商人によって日本版大航海時代が起こってただろうな
1600年頃の時点では日本と西欧諸国の軍事力に差は無いし、家康がいなければ日本はフィリピン辺りまで植民地にしていただろう 植民地が広がる=国が豊かになる では、決してないからなあ。
そもそも広大な土地を支配していた中国やインド、
植民地を広げ過ぎたスペインは、従来の体制や産業から脱却できずに、負け組になる。
開国後の日本にも言える事だが、広大な土地を支配するには
行政や防衛などの維持コストがべらぼうに掛かる上に、農業しかできない
レベルの民衆が増えても、たいした儲けにならない。
日本版の大航海時代も、魁であるスペイン型の流れになると収奪や大規模農業に
依存して、なんとか広大な植民地圏を維持するしかない。
結果的に、それで経済が回ってしまうと近代産業の礎や、
輸出品の開発をする必要性などが生まれなくなってしまう。 ちなみに家康は、鎖国してないな。
寧ろ貿易奨励派。
家光の代から、島原の乱の影響を受けて、カトリックの感染を防ぐ為に
人の移動を大きく制限しなければならなかった。
でまあ、カトリック国は、旧来のヴァチカンのべったりな国々は
古い教義や組織体制に縛られて、近代化が遅れて負け組国家になる。
大航海時代に、世界規模で展開しているカトリック宣教師から国民を遮断するってのも
やはり必要な面があった。 リスクと貿易の管理という面では、
長期政権を目指すなら、徳川でなくとも
やはり何らかの管理貿易や対外戦争の回避を選ぶだろう。
そもそも海禁政策自体が、アジア一般の貿易体制だった。
キリスト教布教や、香辛料ルート開発みたいな、リスクを負ってまで海外展開する
西洋のような強い動機や理由がない。 後、確かに鎖国体制化で、日本人は陰湿になったり、保守的になった部分もあるが
ヴァチカンの肝いりでカトリック化するよりは、遥かにマシだったんじゃないの。
鎖国下でも、好奇心と知識欲は一層発達したし。
大航海時代以降のスペインなんて、カトリック教義に拘泥するばかりで、ろくな進歩もなく
宗教以外の一般学校を認めないから、識字率も異様低い、
日本などとは比べものにならないカトリックを主軸にした超保守国家だし。 意図して鎖国したというより単に応札国が消えた状態だから海禁が続いただけだよ
ポルトガルは自爆で失格、朱印状貰って再チャレンジしたイギリスは王政復古の時にポルトガル王家と婚姻しててアウト、
明を滅ぼしてた清は脅威だから警戒の対象、ロシアには松平定信が信牌を与えたけど失脚、
19世紀前半のイギリスはアレで文政の打払令と言った具合で 鎖国ってのは庶民が行き来できない状況を指すんじゃねーの? >>97
コロンブスもアメリゴ・ベスプッチも貴族でも騎士でも商人でもない庶民の出身なんだけど
西欧では船を建造して水夫を雇う金さえ調達できれば誰でも自由に海外に航海できたが、陰湿な日本は鎖国を行って日本人が海外に出ることを禁止した 鎖国してなければ台湾、樺太、千島は日本領だったでしょうね
忠実ではカムチャッカ半島まで幕府は使節団派遣してたからねえ >>97
鎖国前には商人が東南アジアとかにどんどん出て行って
各地に日本人町を作ってたことさえ知らんのか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています