農本主義というのはタテマエであって、
幕藩体制でも19世紀には大量生産による流通の自由化的発想は出てきてるよ
仮に外圧がなくても工業の発展スピードから見て幕藩制は改変を余儀なくされるという認識は共有されてただろう

>>199
正規の武士が戦力になった藩なんて1人当たり藩士の禄高が低く屯田兵状態だった薩摩くらい
幕府は歩兵を調達して旗本に金賦を課し銃隊化を進めてたし、能力のある旗本御家人は幕府軍人として育成されてる
幕長戦争の段階では既に軍制を一新したはずの長州兵も幕府歩兵や新宮藩兵に苦戦して
我が方の士官(長州側ね)は未熟未経験だから改善しろなんて藩への報告もなされてる

幕長戦争で出陣した幕府歩兵は、2年前には天狗党を鎮圧できないほど弱体だったから、
芸州口で長州側が高所を扼して攻撃を加え、隊長を狙撃されて失ってるのに撃退に成功したのは
長足の進歩と言っていい