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江戸幕府って本気で鎖国続けてけると思ってたの?
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0001日本@名無史さん
垢版 |
2014/03/18(火) 17:38:16.05
そんな事やってたら他国にどんどん差をつけられていつか侵略されるかも…とか思ったりしなかったん?
0236白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/31(木) 02:06:53.07
>>212
長岡で苦戦する程度の薩摩に何が出来るんなら。まあ戊辰戦争でも浜通り武勲赫々の
広島県土民軍の安芸神機隊にゃ到底勝てんし、浜通りじゃ薩摩さぁ強い九州一勇猛な
熊本藩すら、奥羽勢に押されよったけぇのう。
まあ、勢いだけの九州勢や四国勢は東北や越後の兵のように体力と耐久力に優る連中に
ぶっつけたらいけんよう。機敏な攻撃力と共に膠着しても粘り強さを持ち合わせとる
中国地方勢にゃなぁとのう。
薩摩が長州征伐したとしても、惨敗するし、薩摩差別された下郎系芋郷士らの遊撃戦
釣り野伏し戦法も、山口県の戦闘のプロの遊撃戦のプロの被差別民軍団にゃ
幕府軍同様通用せんし。 ちなみに他藩に被差別民扱いされる野郎集団も郷士の士族に
したけぇ、薩摩の兵員数は増えるんよ。
「薩摩の下郎は生死を知らず(命知らずの勇猛ぶり)」と云われて芋郷士の起源の
野郎集団じゃろう。民俗学者の千葉徳爾氏は薩摩の下郎たる野郎について、
{ 薩摩の兵士の中にいる、ある種の人びと(薩摩島津家の被官で無足人、すなわち
一定の給地を与えられていない武士階級。島津氏はこれを使用して琉球を征服した。)
薩摩はこの種の部隊を大友領に送り込んで要地を守らせており、妻子同伴で
戦闘従事したもののようにも思われる。
これらから帰納される「野郎」というものの存在は、以下のように要約されるであろう。
(1)九州の一部に存在した武力を有する一階層である。
(2)一般の日常倫理に従わず、必要な場合は夜討強盗行為をも敢えてする。
(3)家族をもち集団生活を営む。
(4)特に髪型に特色ある形状をもち、それによって一般住民との識別を示した。}
0237白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/08/31(木) 02:28:46.34
>>212
薩摩は非武装国家の琉球を武力鎮圧しようとしたが、従わんけえ、武力行使したんが
正規軍が後の城下士と云われる軟弱な武士階級ゆえ、結局負けて、派遣傭兵たる
下郎の戦闘はお茶の子さいさいの野郎集団を派遣して琉球を鎮圧したわけじゃが、
野郎は、髪型が北方遊牧民式の禿頭で一般庶民との識別された定住より移動生活を
する集団を非正規から正規雇用したんが江戸初期じゃろう。
じゃが、彼奴らも正規雇用され武士階級化することで、文明的堕落で江戸末にゃ上司の
城下士族ほど弱いに無ぁとしても、軟弱化しとるけんのう。
片や、被差別民系の武力依存に乏しい東国は、新撰組させカタギの農民が派遣社員
じゃけぇ、西との勝負じゃ勝てんわ。まあ、東日本の被差別民は江戸期の西日本
からの文化概念で分けたもんじゃけぇ伝統が無いぁけぇ非正規雇用云う発想すら
無かったろうけどのう。
0238白馬青牛 ◆sKm0uQPecU
垢版 |
2017/09/01(金) 01:51:15.36
>>236-237の野郎集団は、秀吉の九州征伐の時も、薩摩藩が大友領に送り込んで要地を
守らせたが、妻子同伴で家族単位に移って戦闘を請け負う集団でもあった。
まあ、九州征伐で黒田勢は、「無残討果候へハ近国の野郎のたねを断つへく候間(中略)
不残撫切にそ討果頸数二千余也。」野郎軍団の「たねを断つへく」「討果頸二千余」と
相当な野郎を成敗し、薩摩勢の手足をもいだけんのう。
近隣中国山陽道勢は、野郎戦法の釣り野伏せり戦法は知っとるし、被差別民集団の
情報収集能力も活用したけぇ安芸広島の毛利勢や兵庫県播磨の黒田勢にゃ薩摩勢も
手も足もでんよ。薩摩勢に負けよる土佐の長宗我部勢や、畿内の豊臣秀長勢は、
駄目じゃのう。
まあ幕末じゃ長宗我部系の土佐郷士が出臍(歴史舞台に出たがり)で、山内系の
土佐上士らが怒って弾圧受けたりしよったけぇ、確執も強かったんじゃろうけど、
薩摩の野郎末裔らは鹿児島人の海音寺潮五郎氏の云われる頭の悪さで上に
付くけぇのう。
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