最強の剣豪は誰?3
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剣術やってた将軍や大名が討死した話に
あれこれ尾鰭が付いただけでしょ 大将戦があったのは、源義経あたりまで。
あとは、陣内でふんぞり返って指揮していただけだ。 士気高揚のために自ら先陣を切るとかそういうのは別とすれば
軍の指揮官が指揮に専念するのが当たり前
自分で戦うとかアホかとしか
自分が戦うしかないところまで追い込まれたら
その時点で大将としては負けだろ 最上とか立花とかは普通に前線で戦ってたんじゃなかったっけ? >>14
気持ち悪い
描いた人って精神病んでるんじゃない? 多数派を形成して同調圧力をかけるって点は同意だが、
節操もなく新しいものに飛びつくのなら歴史や伝統は蔑ろにされてると思うんだ。 上泉信綱 115
塚原卜伝 112
伊東一刀斎 110
武蔵坊弁慶 106
柳生宗厳 105
愛洲移香斎 104
丸目長恵 103
宮本武蔵 102
佐々木小次郎 100
疋田景兼 100
沖田総司 99
小野忠明 97
北畠具教 97
富田景政 97
柳生三厳 97
林崎甚助 97
宝蔵院胤栄 97 堀部武庸 96
千葉周作 96
真壁氏幹 96
富田重政 95
足利義輝 95
柳生利厳 95
近藤勇 95
佐野房綱 94
愛洲宗通 94
永倉新八 94
岡田以蔵 94
東郷重位 93
斉藤一 93
柳生宗矩 92
柳生宗章 91
中村半次郎 91
土方歳三 90
上泉泰綱 89
竹内久盛 87 >>29
弓の名手だったらしいけど剣術はどうなんだろうね?
体格が反則級だから名のある剣豪にパワーだけで勝てそうな気がする 下江秀太郎 北辰一刀流 下野国鹿沼の産
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E6%B1%9F%E7%A7%80%E5%A4%AA%E9%83%8E
宇都宮藩士下江恒貞の子
「鬼秀」、「日本一の突きの名人」
19歳にして玄武館塾頭
高野茂義(中西派一刀流、水戸士族、天覧武道大会準優勝)「天下第一の名人、下江秀太郎の道場があるところ、雲を望んで名のある剣士は日本橋をめざした」
三橋鑑一郎(東軍流、三河岡崎藩の天才剣士と謳われた)「下江が一番強い」
門奈正(1855-1929) 北辰一刀流 常陸国水戸の産
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E5%A5%88%E6%AD%A3
代々水戸藩付家老を務める門奈家の出身
師・下江の技を最も受け継いだと人物と評される
平壌の戦いで清国兵28人を斬る
京都の大日本武徳会本部では「技の門奈、気の内藤(水戸士族)」と並び称され双璧をなす
堀正平(神一刀流、大分県別府の産)「高野佐三郎(武州秩父の産)、内藤高治より大いに勝れていた」 剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。
関八州は古来尚武の地であった。
平氏政権を倒して武家政治を作り上げるのに大きな役割を果たしたのが東国武士団である。
東国はその後の日本の武家社会を支えるエネルギーの培養源であったといってよい。
武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。
その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。
(原田伴彦・大阪市立大学名誉教授) >>41
維新の嵐で剣技と戦闘経験値?が高い、、、
あとはウィキィペディアを >>42
いや〜Wikiぺで佐川官兵衛見ても記事少なくってさ
なんか凄い逸話とか無いのかなって思ってね 武勇に秀で、薩長から「鬼の官兵衛」、「鬼佐川」と恐れられた。
とはあるけど、具体的なエピソードはないね
外部リンク先にも記事が見当たらなかった 鳥羽伏見の戦いの際、刀は折れ、右目の上をケガしても平然と指揮を続け、
傘をかざしながら弾丸が飛びかう中を悠然と引き揚げました。
その豪胆さに
「鬼官兵衛」
と呼ばれる様になりました。 ■鬼の佐川官兵衛(さがわ・かんべえ)
会津藩の家老・佐川官兵衛は、藩主・松平容保が京都守護職をつとめていたとき、「別撰隊(べつせんたい)」「諸生組」の隊長を務めて京都の警備にあたり、薩摩や長州から「鬼官兵衛」「鬼佐川」と恐れられた猛者だった。
佐川官兵衛は会津藩を代表する猛将で、新政府軍の中には、佐川官兵衛の名前を聞いただけで逃げ出す者も居るほどだった。
こんなのが出てきた 新撰組だと
1に沖田、2に永倉、3に斉藤一といはれてるが、
実戦で強いのは、永倉、近藤だと思う
幕末の4大人斬りって、どのくらい強かったのかな
池田屋みたいに長く戦ってないだろうし
そろそろ、ドラマで新撰組やって欲しいな >>22
富田重政の評価が低いのって出世しすぎたせいかな 柳生連也斎でしょ。
新陰流を完成させたのは有名な話し 連也の後で長岡桃嶺の改革もあったって話もあるから、それが本当なら長岡が尾張柳生の完成者かもな
ちなみに江戸柳生は宗矩十兵衛以降は特に技術革新が無かったそうなんで江戸柳生の完成者は十兵衛かも
江戸末期の尾張柳生剣士の記述だから怪しい所もあるが 強かった実証が出来るのって近世の堀部安兵衛とかそのへんくらいじゃないか
昔すぎると尾鰭が付きすぎて 尾張の麒麟児柳生連也斎こと柳生厳包
父が兵庫助、祖父が石舟斎と島左近とDNAのサラブレッド
家督は兄がついだが才能は厳包が上だったから流派を継承
有名なのが死角に寝込みを襲われた時、脇差一本で片手斬り。
将軍の前で従兄弟の江戸柳生の宗冬と型を披露したところ
厳包の撃ちこみが速すぎて宗冬がついて行けず宗冬の拳が砕かれて
その時に使われた血の付いた木刀が尾張柳生の末裔が保有。 まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった >>57
>厳包の撃ちこみが速すぎて宗冬がついて行けず宗冬の拳が砕かれて
その手の真偽不明な流派内伝承も考慮するなら
宗矩を炭のかけらでボコッて
十兵衛が戦わずして負けを認め
柳生四高弟が四人がかりで相手にならなかった小野忠明の方が強いんじゃない
型で相手怪我させてどっちが悪いかはケースバイケースだし >>60
伝説では御前試合で砕いたってのが有名だけど
尾張柳生が正式に否定してるな。
大転という型を披露したが宗冬がついていけなかったと ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています