徳川埋蔵金って都市伝説だろ
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徳川の金は薩長公家に盗まれた後にロスチャイルドに流れたでおk? ρ(ーoー)♪
あなたも私もアベコロナ
そいつもコイツもアベコロナ カ○メカ○メ
ライバル会社のデ○モンテ
いついつ潰す
明日の晩に
山の口に依頼した
社長の葬式してろ
馬鹿め馬鹿め
デ○モンテの社長は
全部全部知ってる
株主達を
とっくに買収してた
明日から我が社の天下
ケチャップでケチャップを洗う闘争の歌
徳川埋蔵金とか生温い歌ではなかった おてもやん「恵方巻きの馬鹿食い騒ぎでアベコロナが大爆発や
お・も・ち」 >国内の埋蔵金研究家がやれば出ない。
>少なくとも国内の番組で国内の埋蔵金研究家が主張する場所を掘って出た試しがない。
>テレビ放送が始まってから一度も無い。
事実ですね。 >◎初代水野に埋蔵金の話しをした中島蔵人は幕臣として記録が残っていない。
>◎水野に大義兵法の秘図書の巻物を託した人物は元々水野が探していた埋蔵金の事を知っている人物とは別人だった。
>◎黄金の家康像は写真のみの存在で実物はだれもみたことはない。
>◎銅板の写しもオリジナルの存在が確認されていない。
>◎灰で作られた亀もだれも見たことはない。
>(1)初代智義は、伯父(養父とも)の中島覚太郎の遺言を基に探索を始めたと伝えられるが、横浜で外国人相手に詐欺まがいの事件を起こした人物も元幕臣の中島某。同一人物と思われる。また、赤城への埋蔵計画の中心人物は、井伊直弼、小栗忠順の他に、軍学者で大学頭の林鶴梁、そして勘定吟味役の中島となっているが、林は実在の人物ではあるものの(正しくは鶴梁)、代々大学頭を務めた林家とは無関係であり、軍学者ではなく儒学者。幕末の勘定方で重職を務めた人物の中に、中島という名は見当たらない。
>(2)智義は江戸で両替商として成功し、店を畳んで全財産を赤城の発掘につぎ込んだというが、旗本が商人に転身して成功する例はあまりなかったし、江戸を離れて赤城に落ち着くまでは食うや食わずの暮らしをしていたらしいから、かなりの虚飾が感じられる。
>(3)児玉拡平(惣兵衛)なる人物が実在したかどうかは疑問。彼が智義に渡した『大義兵法秘図書』も由来に信用性が欠ける。
>(4)古井戸から見つかった黄金像と銅皿は、ねつ造品の可能性がある。 458 名前:名無しの愉しみ [sage] :2021/05/04(火) 14:52:19.22 ID:???
山下財宝を見つけたが、当然詳細は明かせない
と言ってたひとが昨年亡くなったらしいね 埋蔵金は知らんけど家康は大麻をやってた
幕府御用達だった つまり埋蔵金があるとしたら大麻の解禁で出てくるぞ
家康は何もしてなかったから国を制した オカルト好きな私でも埋蔵金は無いと思ってる
>>73>>79は大概当たってるでしょう 幕府を運営する上ですっからかんって事はなかったとおもうけど
幕末でも鉱山は動いており金の備蓄はあったはずで金本位制の経済の中で欧米から借金するにあたって担保はその辺りだったんじゃないかな
幕府が備蓄するときは小判ではなく法馬金っていう分銅金、今でいうインゴットみたいな形で備蓄していた
政変が迫ってる時に徳川家、特に宗家の尾張がまず考えるのは水戸の首より家の存続
新政権、官軍に対して交渉するのに備蓄金位重要なアイテムを赤城の山奥なんかに埋めるわけがない
目の届く手元で管理してたはずで実際に日露戦争の前に100匁の法馬金を300個明治政府に収めてる
江戸の金蔵には無かったのは尾張が管理してたからだよ 今徳川埋蔵金があるとしたら日本銀行の地下だろうな なるほどなあ
おめえら自分のもののように言うからあまり参同したくなえんだわ オカルト史観でテレビ局を振り回したヤマ師糸井某を糾弾せよ 一つの可能性だし、なんも悪いこと無いと思う。あんたも楽しんだ口だろ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています