なぜ桶狭間の戦いの後、信長の快進撃が続いたのか?
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たしかに全国から見ても番狂わせの戦いだったけど、一大名が天下を取るまで
のし上がるまでの出来事とは思えない なにが他の大名と違ったんだろ? 尾州錯乱でさんざん一族郎党と殺し合って浅井や荒木をあっさり信じちゃうお人好しな信長様 >>212
別所は中国遠征以前から信長に臣従してるからそれはないんじゃないかな?
浅井は徳川同様、自分の言うことを聞いて当然の、下位の同盟相手という認識だったと思うが明確な根拠はない。 桶狭間の戦いもそうだが、森可成がいたからだろ
柴田勝家も破り、仲間にし前田利家も救った、
早死にだけが惜しまれるが、上洛までは間違いなく森可成が織田軍では一番の将
今の歴史ではありえないほど評価が低いが
よく読むと森可成がいなければ、織田信長が天下を取れなかったことがわかる
秀吉も竹中半兵衛もその過程の中で出てきて、森可成の恩恵に授かっている 今川の首を打ち取ったのも毛利某で森可成と源義家の血縁
桶狭間の戦いには前田利家も参加しているが、前田利家をこっそり桶狭間の戦いに参加させたのも森可成
柴田も織田を裏切って間もないから、そんなに活躍するわけがない
これは書いた奴と柴田の関係を見れば一目瞭然
森可成の活躍で桶狭間の戦いの勝利できたのは確実だろ
織田信長と森可成は桶狭間の勝利を確信していたことが読み取れる 早死したので、知名度は柴田勝家や前田利家以下だけだが、二人を救ったのは森可成
織田信長が森乱(蘭丸)を異常に可愛がったのも父の功績があったからこそ
それが他国の戦国武将には全くわからないので信長が蘭丸と肉体関係にあるのではと噂した 森家は親子ともにありえないほど勇猛でかなり無謀という印象があるな。
鬼武蔵の名前が有名になりすぎて親の功績が霞んでる感がある。 まあ、実態としての活躍度はともかく、それなりに優秀な重臣ではあっただろうな
たぶん、蘭丸とかは、豊臣政権下における三成(ただし秀長や利休の存命時の)みたいな役割だったしな。
ただ、フィクションを信じすぎな感じがする216-217の言はスルーせざるを得ない 蘭丸ってたかが近習だろ
奉行として諸大名との取次を担った石田と同じとは有り得ん だよなw
多分信コンスレで論破されてた森ないし乱丸厨だとは思うが。
三成でいうなら万見重元、長谷川秀一あたりだろ。 信長公記みてそう感じたのだが
筆者は柴田の元家来で真実を書いているが、どうも森可成を嫌っている
それが原因で森の名前はあまり有名ではない。
おそらく森が柴田を破った時に太田も何か言われたのだろう
意図的に文章を抜かしたりしている 倍以上の軍勢の柴田勝家軍を破った森可成がそもそも弱いわけがない
桶狭間の戦いでも明らかに森可成が中心
上洛までの織田の中核は森可成で評価があまりにも低すぎる 信長が非嫡統って説が囁かれてたが、実際は長男ではなく三男だったみたいね 森可成が信長のために死んで、信長が領土を広げ
また蘭丸が信長と共に死んで
秀吉や柴田が偉くなりすぎたから、今の評価があるだけだ
秀吉や柴田は家督争いから美濃攻略まではほとんど活躍していない
活躍したのは信長と森可成
その後から柴田や秀吉が活躍し始める >>220
長谷川竹と森乱を筆頭に幾人かの近習がわりと重要な役割を担当してるだろ
近習から転じて地方派遣され、武将として活動した人間もいる
政権の規模が拡大すればするほど近習の役割は増大するものだし、政権末期にはそれなりの重要な地位だったんじゃないかと思う
>>222-223
いや、それは無理すぎだろ
>>224
長男じゃなく三男だったのは事実
ただ、嫡統じゃなかったって説は極めて少数派
いや、信長の家系そのものが嫡流じゃなかったのも事実だよ。本家は守護代の家だから。
オレ的には、信秀の嫡男扱いされてたのは信長じゃなく信行だったと考える方が面白いと思ってるが、その説は支持者が少ない。というか論拠不足すぎる。 つうか蘭って本能寺で信長と一緒に死んだというだけで
寵愛だ重用だと過大評価されてるような気がしなくないかな。 ぶっちゃけ池田の息子達の方が森の息子達より重用されたいたと思うわけだが 細川の息子もだな
信長の前でも臆することなく物事をハキハキと言うんで逆に
すごく可愛がられたという逸話があるのも池田兄弟だしな むしろはっきりと言いすぎる家系なのか徳川幕府時代は幕末まで
幕府に目を付けられる羽目にもなるというw
徳川の女となんてぜってー結婚しないだの徳川の女なんて神仏に
逆らってでもいやだーとダダをこねたあげく結婚したらしたで
いつでも実家に帰っていいぞと言いまくってた子孫まで出す始末w >>226
信長公記にも森可成が柴田勝家の軍を共に蹴散らしたこと書いてあるだろ?
桶狭間でも先陣切って行ったのは森可成と書いてある
太田丑一は森可成の事をよく書いていないが、それでも事実は一応書いている >>209
革命という意味なら信長は何もしていないんだけどね。
源平以来の武士の世と言う旧体制の中で動いていだけ。
むしろ戦乱の世を終焉させた家康の方が革命だよ。 >>232
革命的なのは徳川の方だろうけど、革命--天命が革まる--という意味では、信長も革命ではあるだろ
三職推任問題の時点で天命---天皇が天下の采配を委任すること?---が革まったと言えるわけでな
ってかなり強引な見解だな
ただまあ。
中国の天命の根源たる天下と日本の天下が全く異なる意味である以上、日本の天下観に基づいた天命というものを仮想することはできなくはないわけで。
当時の日本における天下の意味内容を考えれば、天皇が天下の采配を委任することをもって革命と呼ぶことが不可能ではないと思うんだよな。 >>230
だがその対徳川の娘戦で病を理由に篭城を決め込むも
看病戦法により落城したのもまた事実だけどなw >>229
忠興の忠は信忠からなんだっけか。
いずれは信忠軍団に入っただろうから戦国DQN四天王中2人も
信忠は率いることになったかもしれんのかw
ある意味最凶軍団になってたやもしれんのう…怖 >>228-229
そうか? 森蘭丸の方が有名だと思うが
信長に仕えて本能寺で死んでいったから偉いよな
そんな衝撃的な最後を送ったのでまた他の奴らが嫉妬するわけなのだがw >>227
それもお前の勘違いだろw
蘭丸は15歳くらいで城を貰い受け5万石の城主になっているぞ
仕事の社長秘書もきちんとこなしていた 本能寺の変の討ち死にも偶然ではなく
常に信長の身の回りの世話をしていた
城ももらったが、城には住んだことはないはず >>237
間違えた、17-18歳の時に信長より城を与えられて城主になっている。
しかし、なんだかねえ、同じ信長の家来の同士の話をしているのにこっちがかわいがられたとか何を言っているのだか?
蘭丸、よくぞ殿をお守りしての討ち死に!見事!とかあってもよさそうなものだが
この現代人にもありがちな自己中心さが織田家を滅ぼしたのは間違いないな
信長が絶対に裏切らない蘭丸を最後の最後までそばにおいていた気持ちがわかる 信長があっけなく殺られているんだから意味ねーよw
二条御所の連中みたいに数回明智軍を追い返して協議までやって
重臣に重傷負わせて何時間も奮闘したって言うなら話は別だがね。
そもそも蘭丸ないし森厨が森は特別扱いされた()風を吹かせなければ
ここまで言われることもなかったろうに。 会社とかに結びつけるの無理だと思うぞ
なんつうか言ってること変ですね
会社やらなんやら明治以降の話だからな 城もらったといっても武田が滅んだ後の岩村城だからなんともだな。
そばに置いていたのも森の本拠地である兼山は鉱山抱えていた関係から
なんじゃないの?
まあ武田の金山衆がやってくればどこぞに転封されそうでもある配置。 某城介さんが愛しのお松を連れて来いだとよ
「わし、毛利攻め終わったらお松っちゃんと結婚するんだ
失われた15年分を取り返すんだ」と息巻いてるぜ それだけ待ったならさぞ激しい新枕になるのだろうねぇ…
まあその前に親父が信玄に含むことあるからまずは儂と令出しそうだが 信長の側近中の側近、森可成、長谷川秀一、大津長昌、堀秀政、矢部家定。 >>1
尾張を制していたから
当時、朝廷への献金額は織田家がトップじゃなかったか
今川の本領駿河なんて貧乏小国
番狂わせじゃなくて、織田家が圧倒的に優勝候補だった >>247
言っとくが今川義元が出した御所の修繕費用は織田信秀の三倍だぞ >>245
激しいどころか待ちすぎて逆にできないんじゃね? 好きすぎるとやれないっていうあれか
それはそれで困った話だからやはり信長コースでFA 信長と松姫の子供or信忠と松姫の子供、どっちがすごいの? 信長と松姫の場合DNA同士が大喧嘩するだろうから
そもそも着床しそうにないw DNA同士が大喧嘩しても着床することにはするぞ
その後生まれた子供の資質については保証しないが 大喧嘩の末に決裂しての多胎児も考えられるかもよw
織田DQN四天王になるか織田四名臣ないし四迷臣になるかは未知数 信長の戦国武将としての能力がズバ抜けて高かったからだろうな
信長は天才だったのだよ まあ弱兵で有名な尾張兵を率いてあれだけの戦勝を重ねたのは評価できる。 >>240
あっけなく殺されてないだろ
たった、あれだけの手勢で何時間も戦った
実際は、投降を呼びかけても一向に信長が出てこないので
光秀が、火を放っていぶり出そうとしたが、そのまま焼け死んだか、逃げ去った
とした方が合点がいく 同時代の資料で尾張の弱兵に言及したものってあるの? >>257
本能寺側が何時間も戦ってたなんて記述あったか? 尾張ってカリスマ的リーダーの下で結束する観があるなぁ。
これは現代にも通じていて昭和初期の中京商業野球などの球歴などから
そんな気がする。 >>240
アホなんじゃねえか?お前は?
>信長があっけなく殺られているんだから意味ねーよw
信長もまさか身内から攻撃されるとは知らずに本能寺にいた
攻撃があると知っていれば信長も初めから二条御所にいるわ、ボケが
それに信長側なんて鎧もつけずにみな軽装で森蘭丸がいくら強くても武装した1万2千の兵相手に100人以下が勝てるわけねえだろうが
まじでアホなのか?
信忠が攻撃を受けたのは本能寺が攻撃を受けて炎上してからで防御力のある二条御所(二条城)へ移動する時間も鎧をつける時間もあった
それでも1時間ちょいしか持たなかった
そもそも明智光秀は信長だけは仕留めないといけないから初めはそちらにすべてを集中させている
信忠がいた妙覚寺はそもそも眼中にはなく信長がいた本能寺が主体だったのさえわからんとはバカか?
適当な事を言ってんじゃねーよ、アホが >>240
森可成は織田信長の柴田以前からの家臣だ
ボケが
脳みそウジわいているんじゃないのか?
桶狭間の戦いでも主力だ
信長がまだ天下統一もしていない時のわずか17歳の森乱に5万石の城主にしてんのに特別扱いではないとかねーから。 1万2千の兵相手に逃げもせずに戦った蘭丸をほめてやるべきだろう >>240
こいつは池田厨だろ
どこかのカルトが調子がいいので池田を無理やり戦国時代の織田の筆頭家老にでもしたいんだろ
そのために信長のために命を懸けて守り抜いた森蘭丸の美談を貶してばかりいる
腐りきった奴だ
現代でも日本を影で裏切っているようだから性格悪いのは遺伝しているようだな >>251
個人的な理想
信忠とお松の子と信長娘と北條氏直の子を結婚させてできた子
信長、信玄、氏康、公家三条の血を引くサラブレット >>261
二条御所には信忠だけではなく誠仁親王もいたし
本能寺並みに重要な目標でない >>271
だから信忠は妙覚寺から二条御所にはいかずにそのまま逃げるべきだった
だとすれば歴史は織田信忠の天下になっていただろう
父信長の救援に向かってしまったために二条御所でやられた 義元の首を取るとは思ってなかっただろうが、
織田家は普通に全国有数の大大名で東西の交通の要衝も抑えるキーパーソン
信長が並以上の能力の持ち主なら順当な結果 >>271
誠仁親王は危ないから戦いの前に追い出されている >>275
その拠点は古くからの拠点かどうか不明
むしろ一時的な拠点であって、長く在城していたわけじゃないんじゃないかって気がするんだが、どうだろ? >>269
現代に生まれれば、今川真司として外国勢を叩きのめしてるよWW 織田弾正家は信長の祖父、織田信定が勝幡城を築城し拠点としてから
織田弾正家にとって勝幡が一番長期になる。 信秀の代になってから信秀が勝幡に住んでた期間って短いだろ
信長に至っては、勝幡に住んでた時期なんてほとんど無い 信秀こそ勝幡の主だろう。生まれてから尾張統一を実現する為、愛知郡出進を果たすまで
居城した城だろう。その子、信長を自分の後継者として一目置いた年齢まで同城していた
のは間違いない。 尾張、美濃を制した段階で畿内には信長に対抗できる有力大名がおらず、いち早く畿内を制圧できたからだろ? >>281
おいおい
古渡城主だった時代やら末盛城主だった時代、(ひょっとすると)那古野城主だった時代のことは無視か
あと、守山にも信秀の屋敷(別邸か?)があったよな。 >>276
信長信忠誠仁
政権中枢のうち二人死亡
一人は退去
初日は正に光秀圧勝だな >>284
誠仁親王は戦場となった二条御所から退去しただけで洛中にいるし
だいたい当時の天皇は正親町天皇で正親町天皇自身は一貫して内裏にいたじゃん >>285確かに二条御所から親織田派皇族や公家を退去させるのには成功したように見えるが、信忠と光秀の話し合いの結果だしな
天皇を含め朝廷を人質にしたわけではなく 挙げ句近衛前久には逃げられる始末
まあその後は明智シンパな吉田兼見たちを従えたから 一応 内裏を管理下にはおけたみたいだが 疑問がある。今川義元が討ちとら
れて何故総退却するのか。後方に
四万の軍勢がいるなら副将に
織田軍に突撃すればいいものを。
それとも影武者すら用意していな
かったのか。大将がやられたから
といって全軍駿河かよ。 あの時代で他国への侵攻中に総大将が死んで退却しなかった例はあるのか? >>287
松平清康の死亡時と比べたら、今川軍はずいぶんと整然とした適切な退却とは思うんだよな
出先で、戦場に出ないうちに前夜の死亡だったにもかかわらず、混乱壊滅してはるばると城下町まで攻め込まれた清康の無様さは、
桶狭間当時の今川軍とは比較にならないよ。 どちらにせよ。酒盛りなんぞ
始めるから尾張まとめなんか
勝家なんかとしていた駆け出し
の若手に大敗。湯漬け>>>>>吟醸 >>291今川義元の
桶狭間酒盛りとか
後世の俗説だがな 今川とは比べ物にならない大勢力を持っていた織田だって本能寺で信長が死んだだけで壊滅した。 信忠が生きていたら、秀吉に簒奪されなかっただろうにな 家康を関東軍の盾に使わなきゃ上洛も
、石山、伊勢長島らとの伝説もなく
尾張は、義元ならずとも信玄、氏康
に落ちていたはず。しかし家康に全部
持っていかれた。 いやいや、桶狭間後ごろは、信長が故義元を尊重する動きもあったんだし、
氏真と講和して北進しようとしてただけの、史実と大差ない動きに終わってた可能性もある。 同盟ってなんぞや?物品の受け渡し
でもするのか?今川、武田、北条の
不可侵条約について上洛時、信長
にしてやられた時には全くといって
役に立たない。駿府を数年保守した
のみ。 東海道は家康、信玄コンビにかすめ獲られた。しかし、結局、甲斐、信濃も信長のものになったが。すべて1582年までの天下布武ストーリーでしかない。三法師など
含め織田の一族は殆ど信長死後、その存在なはない。つまり >>300
もうちょっとマトモな言葉で書いてもらえませんかね どうも、ジンギスカンの手口に似ているな。
信長は世界を見ていた。
日本の狭い地域の利害関係、仏教の利権、そんな旧来の体制は邪魔物でしかなかった。
信長は天才。それに比べれば、秀吉も家康も凡人。 信長の政権は最初は幕府、次に朝廷を後ろ楯として
狭い地域の利害関係の上に成立していている
敵対していなかった仏教勢力には寛大だった
他の戦国大名よりも政治面で天才的だったところがあれば教えて欲しい >>304
バランス感覚が急成長に向いてた
反面、謀反対策が甘々
内政の先進性とかは見当たらないかも 今川義元を討ち取ったことで、
得した事は、家康を三河で独立
させ同盟し三方原の信玄の攻めや
信玄上洛までの東国の憂い、備え
にした事かな。別に今川軍を織田軍
に組み入れた訳ではないし。
斎藤義竜の美濃、墨俣の一夜城、
稲葉山攻略には、桶狭間の勢いは
既に無く。単に大軍を撃退しただけ
ではないか。しかし現在も室町幕府
の形態である京都や大阪を都とする
素晴らしい信長の偉業と言える。
江戸幕府は関東幕府。1603年より
江戸が都だが。もし北条が鎌倉幕府
にしていたら関西は廃れたままです。 今川の外様で大手の家臣のうちで最も自領に近い位置の松平を離反させたのと、
それより小規模ながら尾張国内で離反して今川方に走ってた連中をつぶせたのが桶狭間の主な戦果だろ、これで得た領地はかなり大きかったはずで、かなりの戦果じゃん
松平を今川から離反させてなかったら、かなりの苦境だったんじゃないか。 領土拡大に繋がってません。尾張内
の造反は別に今川関係なく統治出来た
はずです。むしろ桶狭間は信長軍の
兵士も減らした訳であり。松平元信
さんを東方の盾に使えた成果ですが
義元討死→松平独立の過程は拙者
勉強不足の故わかりませぬ。 今川の西進に従って尾張国内の造反が進行した、造反組が軒並み今川に従属した点を考えないと駄目だぞ
この造反組を鎮圧するには今川を部分的であれ倒す必要があった。
義元本人をヌッコロスほどの戦果まで必要だったわけではないが、なんらかの勝利を挙げる必要があった。
松平独立のきっかけは義元討ち死にだ。
桶狭間の時までは今川家のために熱心に戦ってきた松平が、桶狭間の翌月ぐらいから、織田方との戦いを停止して今川領の城だけと戦うようになった。
また、尾張国内のいくつかの要地に今川直臣の武将が入城してる城もあった、特に鳴海城とかな。
桶狭間で今川軍敗走の後日、退城交渉の末に城を明け渡して去ってくれたけど、これが残ってたら尾張南部の再平定にかなり支障があっただろう。 今川氏真ら1560年健在。さらに
駿府には四万近い軍勢を残して
いたのに、何で松平独立出来たのか
相撲や野球じゃあるまいし。
よくわからん。桶狭間は大将義元
が尾張田楽狭間で酒盛り中奇襲
されたのみ。結局独立しても三河
一国。兵も一万にみたりず >>310
>何で松平独立出来たのか
のれん分けじゃないんだから、独立するというのは反旗を翻すってことだわな。許可なんか取らん。
今川家は継承時に統治上の問題が出て国内ごたごたがあったから、全力で松平をつぶしに行くことができなかった。
それでも近隣の諸豪族に命じて松平つぶしをさせようとしたのが、後の記録では「三河一向一揆」という形で残ってるわけ
あれはホントは一向一揆じゃないよ。今川家に従ってた武士たちが松平と戦ったのを、
家康は今川を裏切って勝手に独立したんじゃないということにするために一向一揆だったことにしただけ。
もちろん、独立当初の松平氏は三河のうちでもごく一部しか領有してない。三河全土を手中に収めるまでに10年ほど戦ったはずだ 氏真の器量を見限ったのかな?
後日高家にしてるくらいだから悪い感情はなかっただろうけど、
この人の下はちょっと、ってところだろうか。
織田家の人質時代に信長と触れ合っていたのも
大きかったかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています