>>20
義経がどこかに転がり込んだとしても受け入れる方に使い道が無かったと思う。
義経が宇治川、一の谷で活躍できたのも「頼朝の弟」というブランドで頼朝の代官で指揮官になって実力が発揮できたわけで。

頼朝以外のとこへいっても謀叛で死んだ男の息子という価値しかない。
(頼朝の家系が源氏の嫡流というのは後づけの価値観)