およそ鎌倉は、高山も無く、大河も無く、要害の地とも言うべからず。ただ小さき山数里四方に連なりて波濤の如し。
その間の谷々も甚だ狭く、打晴れたる平地は絶えて無し。
ただし源氏には故ある土地なれば、頼朝の都し給いしにや。
伊予守頼義、鎮守府将軍に任じ、安倍の貞任征伐の為に東国下向の時、石清水八幡宮をこの地に勧請し給う。
その後又、相模守に任じ、鎌倉に下向ありて、ここにて義家出生し給うとかや。
かく先祖由来のある地ゆえなるべし。
(『東西遊記』)