>>21
波多野は平治の乱の二年前に義朝と決裂して主従関係を解消して
地元に帰っている。
後に頼朝が挙兵をするときも、頼朝の使者に対して
「頼朝が平氏に戦いを挑むとは、ネズミが富士山に挑むようなものだ」
といわれて追い返し、
富士川の戦いの直前に頼朝に波多野に攻め込まれて一族は逃げ出した。
その後、なんとか御家人にはしてもらえたけど。

山内首藤は石橋山で敵対したが、頼朝の乳母であった母親の嘆願により
死罪を免れ御家人にしてもらえた。