【アイヌ】北海道開拓と侵略責任★2【侵略】
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北海道開拓の歴史は、アイヌ民族に対する侵略の歴史でもありました。 現在の北海道の繁栄は、アイヌ民族に対する侵略と略奪、陵辱と虐殺の結果 もたらされたものに過ぎません。 屯田兵によって拉致され集団で強姦されたうえ証拠隠滅のために殺された アイヌ民族の少女は数十万人に上るという説もあります。 アイヌ民族と和解するためにも、過去の歴史に真剣に向き合いましょう。 ※前スレ http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1378987761/ アイヌに教育を施したと言っても全く誉められたものではない 欧米の植民地でも同じように教育施したんと違うか で、現地語は消滅したと。 アイヌ語も消滅した。 アイヌと縄文の関係の証拠 ニール・ゴードン・マンロー『先史時代の日本』 http://tresi-nonno.blogspot.jp/2012/06/blog-post_15.html?m=1 比較で私は、日本の貝塚の頭蓋とアイヌの頭蓋の同一を確立して、それらが同じストック であるという結論ヘ導かれた。小金井教授(今その方は私の標本の調査をしています)は、 私のために第2番頭蓋と或るアイヌ頭蓋の輪郭を親切に描いてくれました。私はその輪郭 を図420に置いた。2つの分離された頭蓋の比較、それは理解されるであろう、実例で単に 作られた。 図420 横浜市三ツ沢貝塚から出土した頭骨とアイヌ頭骨 http://2.bp.blogspot.com/-mL7QoD2Ihjs/T9vfny4AC8I/AAAAAAAAAFA/jbBsU8mTa2A/s1600/15xweb6.gif http://www.onoderamasaru.jp/gikai/shitsumon/h23dai4yosantiji/ アイヌ文化振興・研究推進機構の理事についてお訊きしますが、これは国と道から 税金により3億円ずつ、6億円で事業を行う財団法人ですが、この団体の理事は、 こともあろうに、今年の9月、天皇陛下が来道されている最中に、札幌において 『天皇・皇后来るな! 天皇制は反対だ! 討論集会』 開催の中心的な役割を担っており、集会において挨拶もしておりました。 摩訶不思議なのだ 旧熊石町には、奇岩雲石の上に1615年建立の八雲神社の祠が祀られている 八雲町は1878年に徳川慶勝によって開拓された土地である 八雲町の名は古事記からの引用である 徳川慶勝は朝廷に尽くした人物であるが故、朝廷は慶勝の要望に応えたかった 八雲町の八雲神社は日本で唯一の熱田神宮の分社である 隣接する熊石に既にある八雲神社とは、何を祀るものなのか そこに八雲神社があったから、その隣を開拓しようとしたのか 歴史の事実として知りたい謎である http://www.onoderamasaru.jp/gikai/shitsumon/h23dai4yosantiji/ 北海道アイヌ協会札幌支部の問題について伺います。 この支部において「自治権の要求」が議論をされ、その内容は、自治憲法制定、国旗・国歌、 議会、裁判所、警察と、おおよそ、国民・道民から多額の税金が投入されている公益法人の 支部とは信じがたい内容の議論をしております。 札幌支部の元支部長ですが、 日本キムイルソン主義研究会のホームページ によると、この団体が開催した北海道アイヌ協会の前副理事長が講師を務めた訪朝報告会に アイヌの方々を呼び、その会場で、「いままでアイヌ民族の訪朝者が続いていなかったことにも 問題があったと思う」と述べ、「多くのアイヌ民族が訪朝することが大事だ」とまで発言し、アイヌ の方々に北朝鮮の主体思想(チェチュ思想)を広めようとしているようなのですが、その件に ついての知事の見解を併せてお聞かせ下さい。 歯が語るアイヌの先住性 講師 松村博文(札幌医科大学) http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1721.pdf 人には絶壁頭という頭の短い人と、才槌頭という頭の長い人がいます。 近畿地方を中心として圧倒的に頭の短い人たちが多く、東に行くほど頭が前後に長い人が多くなってくることがわかりました。 大阪大学の小浜基次はもともと頭の長いアイヌ系の人が広く日本に分布していて、朝鮮半島から短頭の人が流入してきたというふうに考えたのです。 比上肢長という体に対する腕の長さの比と足の長さの比をみると、アイヌ、東北人、畿内人の順に長い。 つまり、アイヌの人たちが一番腕や脚が長く、畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。 朝鮮半島の人々も畿内人と同じように腕や脚が比較的短いことがわかりました。 男性の髭は北海道と琉球でよく発達しており、近畿地方の人や朝鮮半島の人ではさほどでもありません。 蒙古襞が発達しているのは近畿の人たち朝鮮半島の人々です。 琉球と北海道の人は目がぱっちりしていて、涙腺がまぶたであまり覆われていません。 いろいろ見ていくと、畿内人と朝鮮半島の人々は北方アジア的な寒冷地適応型の体の特徴を持っている。 沖縄とアイヌの人は似ている。それから東北人はアイヌに近い特徴を示す。 といった共通した地域差の傾向がみてとれます。 頭骨の形の地域性は1980年代に埴原和郎が明らかにしています。 やはり畿内の人々は平均的な日本人とは全然違う人たちだということがはっきりしました。 どういうふうに特殊かというと、顔が面長で平たんな顔といった渡来系の弥生人の特徴を濃厚に持っているのです。 http://www.onoderamasaru.jp/gikai/shitsumon/h24dai3teireiyosan/ 住宅資金等貸付事業の必要性についてですが、この事業は、それぞれの市町村に おいて地域の特性を踏まえ、その必要性について判断をし、条例等を定めた上で 事業を実施しているところであり、ただいま委員からご指摘のありました、 アイヌの人たちの住宅の持家比率については、昭和61年の実態調査以降、 一貫して一般の方の持家比率を上回っているところでもあります。 現在、国においては、アイヌ政策の全国展開について検討を行っているところであり、 この貸付事業の取扱いについても、市町村の意向を確認しながら、国と相談していく 必要があるものと考えています。 北海道には 有史以前から日本人が住んでいた 北海道の先住民は日本人だぞ http://jfn.josuikai.net/josuikai/kaiho/0611idou_sek/main.html 私は北海道とかなり縁があることがわかっています。ミトコンドリアDNAを調べると自分の血筋がわかります。 いろんな人種の同じものを調べたり、縄文人、弥生人のミイラからも調べています。 僕の母方の先祖は礼文島の船泊遺跡から出てきた縄文人と一致しました。 それと似ているのが有珠の縄文人です。父方はまだ調べていません。母方しかわからないんです。 ミトコンドリアDNAは縄文人と同じ。だからといって、僕の母方が北海道からやって来たのかどうかはわかりません。 むしろ、本州の方から、その人たちが行って残ったのが母方の先祖かもしれない。 アイヌは、もともと本州にいた縄文人だからね。 それが弥生人や古墳時代人に征服されたんだけど、北海道は最近まで縄文人が残っていた。 日本史ってまあ、乱暴に言えば、 大陸を追われてきた渡来人が土着化、 旧来の土着勢力を侵略・支配、 新参の渡来者に対しては、既得権を主張し、差別、 同時に大陸に対しては、独立国を宣言。 これの繰り返しかもしれない。 一時期で言えば、 渡来系の弥生人(蘇我馬子)⇒入植白人 縄文人(物部守屋)⇒インディアン(ネイティブアメリカン) 聖徳太子⇒ジョージ・ワシントン 隋の煬帝⇒イングランド王ジョージ3世 のような関係か。 が、ここで、物部氏もまた、生粋の土着人である縄文人ではなく、 ずっと前に渡来し、土着化していた、渡来系の末裔だったとしたら? 政争の過程で、それ以前から住んでいた、「本当の」土着勢力である蝦夷をも巻き込みながら、 蘇我馬子や聖徳太子と戦う物部氏は、 蘇我氏・聖徳太子側から見れば、蝦夷と結託した旧勢力で、もはや「蝦夷同然」である。 他方で、自分こそが日本の土着人であるとして、既得権を主張している、 物部氏側からみた蘇我氏は、差別・軽蔑されるべき新参者。 そこで、かつて自らが侵攻・支配しようとしていた蝦夷をも巻き込んで抵抗する。 以前からの土着者、蝦夷にとっては、こうなってくると、物部の方がよりマシなので、 一緒になって新参の侵略者と戦う。 中央での政争に負ければ、文字通り「敗北」である。 彼らは皆、北に落ち延び、蝦夷に紛れる。扮装、或いは「蝦夷化」と言ってもいい。 >>45 残念だけどその見方は歴史を知らなすぎる 渡来系が日本で勢力拡大出来た例はない 日本人の宗教は土着の神道が今も主流 言葉も日本語という古来のもの 仏教は渡来系が持ち込んだのではなく 日本人が勝手に学んだもの 秦人の国があったらしいけど今は何処にあったのすら分からない 縄文人特有のミトコンドリアDNAなんてものはない。 統計的な割合で、集団の近似性を語るだけ。 物部の祖神が渡来人、蝦夷なんだよ 蝦夷=武神 縄文は縄文、当時武神とかの概念は無かったと思う 天皇は何なんだろう? 日月、星を詠む そのような高等な知識を持っていたか、どうかという意味 とある説によると 天皇とは架空、創られた存在だった、 その後、肥大化し、独り歩きし実体を伴うようになった 一言でいうと「本来、天皇とは概念であり、実体を持たないもの」 だったんだよ いつの時代かわからないけど、悪い人がいたのかもしれない 「そのようなシステムを作り〜>>1 」みたいな感じ >>40 へーそうなの?では有史以前の日本人のパスポートをご提示ください ちなみに、近畿の方が渡来系の混血割合は一番多いみたいだね。 北海道や、沖縄とか辺境の場所に行けばいくほど、 元からの縄文人オリジナルの比率が多い。 http://www.dokkyomed.ac.jp/dep-m/german/uc2b.html http://bunarinn.lolipop.jp/bunarinn.lolipop/kodaisi/kodaisi/souguu/souguu.html 南九州辺りだけはちょっと複雑かも。 7300年前のアカホヤカルデラ噴火で、この地域の縄文人は一度絶滅したとされている。 >>53 だから有史以前に日本人がいたんだろ?パスポートの化石でも残ってるんてしょ?はやくだせよw > 1人あたり約14万個所のDNA塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明 > http://www.riken.jp/ ~/media/riken/pr/press/2008/20080926_1/20080926_1.pdf > 本土クラスターの中の人の分布は、地域によって偏りがあることがわかった。 > 近畿の人は、上の図では本土クラスターの左上に偏りがあり、中国人のクラスターに比較的近い。 > 対照的に、東北の人は、本土クラスターの右下に偏っていて、中国人のクラスターから見て離れている。 >>55 うわ 正真正銘の馬鹿だ >ゆうし【有史】 >文字で書かれた記録文献が存在すること。「―以前の昔」「―以来の出来事」 残っていたら有史以後だぞwww ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べた結果がこれ 日本列島3人類集団の遺伝的近縁性 平成24年11月1日 総合研究大学院大学 http://www.soken.ac.jp/news/5276/ 図3 http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017171838_4.jpg >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 台湾漢民族(Han-Tw) 台湾原住民(Native Taiwanese) 韓国人(Korean) 図4 http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg >図4aは、根井の標準遺伝距離を東アジアの29人類集団間で計算し、 >それらに対して近隣結合法により系統樹を作成した結果である。 >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 >図4bは、対立遺伝子頻度データから最尤法を用いて系統樹を作成し、 >枝の信頼性を測るためにブーツストラップ確率も計算した結果である。 >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 >この日本列島人クラスターにさらに韓国人が加わって、 >他の東アジア集団につながっている。 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 総合研究大学院大学 図とデータは総合研究大学院大学のサイト(>>58 )に詳しく載ってる 図3 >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 図4a >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 図4b >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 こういうこと 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」平成24年11月1日 東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学 その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土 人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国 人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html 遺伝子解析による日本民族と周辺の民族との近縁性 http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 総合研究大学院大学 図とデータは総合研究大学院大学のサイト(>>58 )に詳しく載ってる 図3 >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 図4a >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 図4b >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 こういうこと 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」平成24年11月1日 東京大学大学院医学系研究科、総合研究大学院大学 その結果、アイヌ人と琉球人が遺伝的にもっとも近縁であり、両者の中間に位置する本土 人は、琉球人に次いでアイヌ人に近いことが示された。一方、本土人は集団としては韓国 人と同じクラスター(注2)に属することも分かった。 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html 遺伝子解析による日本民族と周辺の民族との近縁性 http://www.soken.ac.jp/wordpress/wp-content/uploads/2013/12/20121017172022_1.jpg >>1 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 図とデータは総合研究大学院大学のサイト(>>58 )に詳しく載ってる 図3 >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 図4a >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 図4b >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」 『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号 畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、 東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。 このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、 東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半 島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、 東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に 一致することは興味深い(以上、75頁) (追加)形質人類学的にみた未解放部落 われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調 査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。 (中略) 身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。 頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅 は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、 一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国 東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。 畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。 大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持 つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の 分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による) (大阪大学医学部教授) >>58 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 図とデータは総合研究大学院大学のサイト(>>58 )に詳しく載ってる 図3 >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 図4a >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 図4b >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 >>58 >ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)を示す100万塩基サイトを一挙に調べた結果がこれ > >日本列島3人類集団の遺伝的近縁性 平成24年11月1日 >総合研究大学院大学 >http://www.soken.ac.jp/news/5276/ 「一方、本土人は集団としては韓国人と同じクラスター(注2)に属することも分かった」 >>58 「日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」 平成24年11月1日 図とデータは総合研究大学院大学のサイト(>>58 )に詳しく載ってる 図3 >どちらの場合も、横軸(PC1)の右端にアイヌ人が、その隣に琉球人、本土日本人がこの順に並んでおり、 >日本列島の人類集団の特異性を示している。 図4a >アイヌ人、琉球人、本土日本人がひとつの枝(クラスター)をなしている。 図4b >アイヌ人と琉球人が100%の確率でクラスターを形成し、 >このクラスターと本土日本人がやはり100%の確率でクラスターとなり、 何だか、わからないけど凄い話なんだな 「2ch 天皇 人権」 誰が何が正しかったのか、誰にでもわかる 戦争〜聖徳太子はいなかったという説にも繋がって来る 日高地方が北海道の中でもなんとなく開発が遅れているのわ やはりアイヌの本拠地だったからだろうか 近畿朝鮮人は、古代は本土で縄文系を虐待し差別し、近代は北海道で差別してるんだな。 旧ソ連の人類学者、レヴィンの研究 http://www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/9-0roots.html 【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 縄文人か弥生人か 2008.08.25 MSN産経新聞 レヴィンは、第二次大戦直後、シベリアに抑留された元日本兵約1万300人を調査。朝鮮半島では、一重まぶたに伴い涙丘がまぶたで覆われる「蒙古ひだ」が多いが、日本では近畿に最も多く、東西へ向かうにしたがって少なくなることを指摘した。 レヴィンは頭の形態や身長、ひげの濃さなども調べた結果、「日本人には、蒙古ひだが小さくひげが濃いアイヌ系要素と、蒙古ひだが大きくひげが薄い朝鮮系要素という二大要素がある」と分析。 「アイヌ系」は縄文人の古い特徴を受け継ぎ、近畿に多い「朝鮮系」は弥生以降の渡来人の新しい特徴を持つという。 図420 横浜市三ツ沢貝塚から出土した頭骨とアイヌ頭骨 http://2.bp.blogspot.com/-mL7QoD2Ihjs/T9vfny4AC8I/AAAAAAAAAFA/jbBsU8mTa2A/s1600/15xweb6.gif 『日本書紀』神武紀 高尾張邑(タカオワリムラ)に土蜘蛛(つちくも)がいた。 その人態は、身丈が低く、手足が長かった。 磐余彦尊(いわれひこ=後の神武天皇)の軍は葛(桂)の網を作り、罠をはって捕らえ、 これを殺した。そこで邑の名を変えて葛城とした。 http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-1-3.htm 「アジア人の人類史から見た日本人の二重構造」 http://www.ishikari-c-college.com/topics/2013/10/10-7.html 2重構造を調べていくと、地域によっていろいろ意外な特徴があることがわかる。 北海道・東北・沖縄の人達は当然、縄文人の特色が出ます。また西日本の人達は 渡来弥生人の特色が出るのは当然ですが、京都を中心に近畿地方の人達は平均的 な日本人のデーターと全く違う数値を示します。 100%渡来弥生人の特徴を一段と示すそうです。 京都中心とする近畿地方では渡来人の文化圏を作り混血が進まなかったと思われ ます。 梅原猛・埴原和郎 著 「アイヌは原日本人か」 http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg 近畿の人と朝鮮人が非常に近いことが目立つ (1)アイヌは北方に住んでいても「寒冷地適応」を受けていない。 (2)朝鮮半島から渡来した弥生人たちは北方的要素をもっている。 (3)近畿人が朝鮮人に近いということは、近畿地方の人々は弥生人の混血の影響を相当に受けていると想像される。 私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる (埴原和郎・国際日本文化研究センター名誉教授) 畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属している (池田次郎・京都大学名誉教授) 大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い (欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授) >>10 鳩山は歴史をきちんと理解しているってことが証明されたね。 アイヌは言語も生活習慣も日本とは違うから別の民族というのは正しい見方。 漫画ゴールデンカムイ作中で日露戦争直後のアイヌが伝統的な暮らしやってるのに違和感を感じた。 当時はアイヌの子供は小学校へ通ってそうだし、大人も狩猟が制限されてそうだし。 シャクシャイン戦争時にアイヌは各地方ごとに有力者がまとめていて対立したりしたわけだが たかが交易をやる狩猟民族でも広範囲の勢力圏を作り、武力抗争やれるだけの能力があるんだな。 そりゃ兵員の動員力、武器の質、戦術と和人サイドとは勝負にならないとしてもだ。 北海道って開拓されるまで馬はいなかったの? 樺太などのアイヌ達は、明治時代以前は馬に乗らなかったの? 北海道・東北・九州・沖縄に酒豪が 中部・近畿に下戸が多いそのわけは…。 酒の強さは遺伝子で決まる http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_all.html 原田 前にも言ったように、D型はN型遺伝子の突然変異でアセトアルデヒドを分解する 能力が低下したものなんです。ですから、そもそも当初人類にはN型しかなかった。そこ に突然変異が起こり、D型ができた。おそらく2−3万年前にモンゴロイド人種の中で起こ ったことだと思います。そして、その人達が時代を経て増えていったのです。 ──日本も大昔はNN型の人しかいなかった。そこへD型を持った人達がやってきたという ことなんでしょうか。 原田 そうではないかと思います。現在の日本人は、縄文人と弥生人の特徴を兼ね備えて いると言われています。それに当てはめて考えると、恐らく縄文人のほとんどはN型遺伝子 のみを持っており、とても酒に強かった。そして、縄文時代末期から海を渡って近畿、中 部に多く移り住んだとされる弥生人によって、酒に弱いD型遺伝子がもたらされた…。この 歴史のために地域差がでたのではないかと思います。 ──確かにそう考えると、図表1のような都道府県別の色分けも納得できますね。そういっ た意味では、コーカソイド人種であるハンガリー人やインド人にも、若干ではありますが D型遺伝子を持った人がいるというのは、歴史と照らし合せて考えると、かつてモンゴル 帝国の支配がそこまで及んでいた証でもあるわけで、とても興味が湧いてきます。 下戸分布図 http://blog-imgs-45.fc2.com/z/i/m/zimayu/geko.jpg 古墳出土三角縁神獣鏡分布図 http://syoki-kaimei.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_221/syoki-kaimei/E59BB3EFBC93EFBC97E4B889E8A792E7B881E7A59EE78DA3E98FA1E58886E5B883.jpg?c=a0 全国未開放部落分布図 http://media.tumblr.com/e53ec929e8e75166f736f2f70a2cd4d5/tumblr_inline_mrp20yKPrA1qz4rgp.jpg まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、 稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。 同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、 小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が 初めて裏付けられる資料」としている。 http://inoues.net/science/wan.html 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり 今回は化石が大量で、 小麦 などのプラント・オパールも見つかり まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの? 6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww 岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の 考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が 行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。 このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の 下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。 http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 稲のほか 小麦 とハトムギのプラントオパールも見つかった 最後に、日本における馬と人との交渉の変遷について概観する。前述したように中新 世の地層や沖積層の地層から馬の化石骨の出土はあるが、明らかに縄文、弥生時代の 馬と推定できる馬骨の出土は一例も無く、この頃日本列島に馬は棲息していなかった と考えられる。現在の在来馬にいたる日本の馬は、4世紀末から5世紀頃に乗馬の技 術や飼養技術とともに持ち込まれた家畜馬が起源と考えられている。 現在では、野沢謙により提唱されている説がより現実的であるとされている。彼は現 存する東アジア在来馬の血液蛋白を指標とした遺伝学的解析をおこなった結果、日本 の在来馬は古墳時代に蒙古系馬がモンゴルから朝鮮半島を経由して、九州に家畜馬と して導入されたものが起源であるとしている。 http://uma.equinst.go.jp/jiten/equus/caballus/1-1-9.htm >>80 蝦夷は騎馬に熟達するが、アイヌに騎馬文化が無い、とも聞くし マタギとアイヌも違うらしい アイヌ側の軍勢に騎馬軍団がいたかどうか 開拓で持ち込まれる以前、北海道に馬はいなかったのか、の資料ないかな? 日本列島に馬が持ち込まれたのは倭国、邪馬台国以降の4世紀ころだし、 それは朝鮮半島からだから、蝦夷もアイヌも馬には乗ってなかったよ。 日本人から持ち込まれるまではね。 >>80 和人サイドの記録によればアイヌ同士の抗争でも数百人単位の戦闘員を動員してるんだよな。 【秋田】「鳥海マタギ」の歴史と文化 映像に収め後世に©2ch.net http://anago.2ch.net/test/read.cgi/femnewsplus/1434638372/ ◆子孫たちがDVD制作 鳥海山麓で狩猟を生業(なりわい)としていた「鳥海マタギ」の歴史と文化を伝えるDVDを、 由利本荘市鳥海町地区に暮らすマタギの子孫たちが制作した。 クマの解体作業やマタギの生活、狩猟用具、四季折々の山の風景などが1時間の映像に収められている。 制作したのは鳥海射撃協会(佐藤源一会長・会員32人)で、「マタギの伝統」「作法と食文化」「寒マタギ」など9編で構成している。 丸太や石で造った「オッチョウ」という独特のワナや「一足二犬三鉄砲」と伝わる猟犬や猟銃を大切にした習慣、 多彩なクマ肉料理などを紹介している。 圧巻なのは、クマの解体シーンだ。神事に続いて黒い毛皮を剥ぎ取ると、真っ白な脂肪で覆われた五体が現れ、 これに毛皮を掛けて、再び山の神に感謝の祈りを捧げる。神秘的な雰囲気が漂う伝統の作法だ。 同協会はメンバーの多くがマタギの子孫といい、射撃の技術を先祖代々、受け継いできた。 今も市の駆除要請に応じてクマの捕獲に出る。 ただ、現役のマタギは、百宅(ももやけ)地区に住む最後の一人が5年ほど前に引退して途絶えたため、 「このままでは忘れ去られてしまう」と、市の補助を得て昨年春から撮影してきた。 鳥海マタギは、百宅、橇連(きゃんじきづら)、皿川の三つの系統に大別される。 皿川マタギの流れをくむという同協会の三浦俊雄副会長は「マタギの文化を後世に伝えるのは、 我々に課せられた義務。DVDの次は小冊子を作りたい」と話している。 画像:剥いだ直後のクマの毛皮を映したシーン。 真っ白な脂肪が一面にはり付いている(由利本荘市鳥海町伏見の紫水館での試写会から) http://www.yomiuri.co.jp/photo/20150616/20150616-OYTNI50050-L.jpg 鳥海マタギ文化 後世に 引用元:YOMIURI ONLINE 2015年06月17日 http://www.yomiuri.co.jp/local/akita/news/20150616-OYTNT50268.html 小田原に参陣していれば交易を松前に独占されることもなかったろうに >>1 小田原に行かなかったお前らの自業自得でFA 所領奪われなかっただけでも有り難く思え 開拓移民として、満州と、成功例としての北海道の比較は興味深い 例えば、オオカミ被害 江戸時代以前、ニホンオオカミが人や家畜など襲い多数の犠牲者出したし 満州国では、オオカミが多く、軍の炊事の残飯を漁りに近付き さらに、軍のトラックの荷台に、オオカミが乗込んできて兵士まで襲うし 満蒙開拓団の日本人には、オオカミに襲われ食い殺された者が多数 http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/11onketsu/O_11_270_1.pdf > 満州には狼が出没していた。 > 独特な遠吠えがあちらこちらから聞こえて、気味の悪いこと夥しい。 > ある開拓団の人が隣の部落に行く途中狼に襲われたので銃で射殺したところ、 > 死に際に悲痛な叫び声で吠え、 > これを聞いた金山の狼がそこへ集まって来て、 > その開拓団の人は食い殺されてしまったということで、 北海道で、害獣オオカミの撲滅が成功したのは アメリカ式の、毒餌による効率的な駆除が奏功したんだな ブラジルや満州への開拓移民に比べれば、北海道開拓は成功したな >>91 秀吉・家康に取り入り無石高大名に成り上がった一代の梟雄蠣崎慶広の 事跡を扱った書籍が、今月刊行されました。 「北海道戦国史と松前氏」 新藤透 洋泉社新書 2016/02/05 \900+税 http://www.yosensha.co.jp/book/b215997.html アイヌがニヴフに侵略して、ニヴフの訴えを聞いたモンゴル帝国とアイヌで戦争したっけ 北東北から北海道にかけての 蝦夷千島王 大安東帝国 安倍氏や奥州藤原氏以来の十三湊からの大航海時代 どんどん進め! 馬や人を襲うオオカミが、本州ではほぼ撲滅されたのに、まだ北海道に大量にいた これを駆除し開拓したのが功績>>93 番組の質の低さでは定評があるCSのドキュメンタリー 「オオカミは人を襲わない」というナレーションを何度も聞かされているが、どうにも違和感がある それとも日本人だけがオオカミに襲われるんだろうか… 本州では、人々が、人食いオオカミと戦ってたよ 江戸時代に 落とし穴「狼(いぬ)落とし」 で駆除してた遺構が、最近発見された オオカミ被害防ぐ江戸時代の遺構「狼落とし」発見 富士見町内2例目 http://www.nagano-np.co.jp/modules/news/article.php?storyid=35596 ≫ 江戸時代、乙事などの村々では畑仕事や草刈り中などに ≫ 大人や子ども、馬がオオカミに襲われて命を落とした記録が古文書に残っている。 ≫ 被害に悩んだ村々が藩に駆除を願い出たほか、 ≫ 1822(文政5)年には藩の指導を受けて村々で狼落としが造られたという。 近世までのヨーロッパなんて、さらに酷い 15世紀にパリを包囲した 人食いオオカミ の大群…などはまさに獣との戦争レベルで 現在でも、インドオオカミなどの人食いで、死者が多数出てる >>99 ケースそのものは稀なこととはいえオオカミは人をも襲うよ。 オオカミに限らず大型肉食獣なら当然のことなんだが。 人を襲わないから猪鹿退治のためオオカミを日本に放せとか言ってる奴がいるけど 犠牲者が出た時の責任はどう取るんだ? まあ犠牲者が出ても年間一人か二人かだろうが。 >>93 北海道でエゾオオカミが害獣と化したのは 開拓地で牧畜をやったことと、同時期のエゾシカの大量死でエサがなくなったことが大きい。 >>100 江戸時代の文献はいまでいうニホンオオカミか野犬か区別しているか疑ってかからないと。 教科書でアイヌの土地を奪った、与えたとか揉めてるけど馬鹿馬鹿しい。 北海道が近代日本の範囲に組み込まれたことによって アイヌが今まで自由に狩猟生活をしていた土地を使えなく買ったという意味では「土地を奪った」だし、 その範囲でアイヌにも使える土地を保証したという意味で「土地を与えた」のは正しい。 その「与えられた」土地でアイヌの伝統的な生活様式を維持できるか? もちろん否だ。 民族としての生活様式の否定は人権侵害行為なんだが。 >>71 近年の日本政府調査でもアイヌの72%が、差別されていると答えているよ。 105 : 中年'sリフト(北海道)@\(^o^)/:2016/02/27(土) 05:09:58.36 ID:pYdEkYoI0.net >>9 今の爺さん世代はアイヌの話を少し知ってる。 鹿の内蔵を血まみれになって調理する人達。 皮を剥いで長靴を作り。 鮭の加工品を売りに歩いていた・・・・・・・・・・・・・・・ 未開地の原住民の末裔 アイヌの差別があるらしい h ttp://hayabusa3.2c h.sc/test/read.cgi/news/1456494767/9-105 小型で、非常に臆病といわれていた北米のコヨーテも アメリカで保護されると、増長して都会進出、残飯を食いペットを食い殺し ついには、人を襲って殺し始めた アイヌの女の子に弓で射られるって気持ちよさそうだな。 弓道姉ちゃんに射られるというのもいいけどさ。 日本人は 国内だけでなく、満州でもかなりオオカミに食い殺された>>93 北海道開拓に伴う、人食い獣の掃討は正解 > 動物のうち、狼は満州全土に出没、特にえさの乏しい冬場には人を襲うこともありました。 http://www.geocities.jp/ramopcommand/_geo_contents_/080923/shinkyou2.html アイヌの各民族同士殺し合ってた上 松前藩が調停失敗すると シャクシャインらがデマ流して、松前藩を悪者にしてアイヌの武装テロ勢力まとめて 交易船・砂金掘りやら一般人を奇襲して、数百人殺してるからな 松前藩も同化したエゾだから、要するにエゾ内部の抗争だが、ずいぶん甘い鎮圧だった >>1 そもそも * 1つの「アイヌ民族」なんて、存在したことは無い (※アイヌとは、 人間 の意) 連続した政治結合も無く、チベット的な宗教的リーダーも居なかった 「各部族ごと言語・慣習が違う、別々の民族の集まり」を、まとめてアイヌと呼ぶのはある (※アイルランド語とウェールズ語ですら別言語) また、アイヌに文字が無いため、まともな記録が無く * 現在の「諸民族が残した慣習・言語の怪しい記録の一部再現」は、定義で民族では無い また仮に、ユダヤ人の定義みたいに ユダヤ人の母から生まれた者、ユダヤ教入信者、など定義を変更する場合 ……それは、先住者では無い 日常の言語、慣習も消滅、先住者と連続性無し、怪しい再現コスプレ、は民族で無く いろいろな意味で、現在アイヌは居ないし、まして運用上、「先住民族」としての保護など不要 >>111-112 それ、ほぼアメリカ先住民とヨーロッパ系征服民の関係に対応するけど、 お前はヨーロッパ人のアメリカ征服を肯定すんの? おまけにエゾとエミシは違うし、エミシはすでに渡来系で、俘囚も奥州藤原氏のように http://www2.pref.iwate.jp/ ~hp0909/koto/koremade/jinrui/jinrui.htm 「藤原氏四代の遺体調査では、形質人類学の分野から長谷部言人・鈴木尚が参加し、その人種的 帰属について検討を加えている。その報告のなかで、長谷部は、藤原氏の4遺体ともアイヌ的面影が ないこと、だだし、このことからこの4人が蝦夷(エゾ)でないとはいえず、むしろこの地方の 蝦夷(エゾ)の特徴を代表するものかもしれないと論じた。また、鈴木も、藤原一族は日本人的 特徴がはなはだ多く、アイヌと考えるより日本人と考える方が穏当であると述べ、長谷部と同様、 藤原氏はアイヌではない、とした。 ここで注目されるのは、長谷部が、蝦夷(エゾ)とは何か、 という点は明らかにしてはいないものの、アイヌとは別の人種であろうと考えていたことである。 蝦夷(エミシ、エゾ)に関する高橋富雄の一連の研究によれば、古代史上の蝦夷(エミシ)は アイヌかどうかにかかわる観念ではなく、あらぶる者たち、まつろわぬ者たちという王化に まだ浴さない東国・東北地方の方民たちを指した政治的・文化的な観念であり、 近世の蝦夷(エゾ)=アイヌとは異なるもの、とされている。 1987(昭和62)年、埴原和郎は、鈴木が遺体から直接計測した頭骨のデータを用い、 多変量解析法と呼ばれる一連の統計モデルを応用した分析を行い、奥州藤原氏がアイヌであることは ほぼ完全に否定されること、藤原氏は元来東北に土着していたのではなく、もともとは京都出身で ある可能性が相当に高いことを公表した。また同時に、頭骨の計測値に基づく主成分分析の結果から、 蝦夷(エミシ)についても言及し、蝦夷(エミシ)はアイヌかそれとも和人か、という議論は 日本人の形成過程を無視したもので、古代史上のエミシは、現代的な意味でのアイヌでも和人でも ない、と述べている。つまり、アイヌと和人はともに縄文人を祖先とするが、渡来人の影響を 強く受けたか否かによって分離してきたのであって、古代史上の蝦夷(エミシ)は、その分離の 途中にあり、現代的な意味でのアイヌでも和人でもないとするものである。 この埴原の見解は、歴史学の立場からの高橋富雄・工藤雅樹らの考えと基本的には共通し、 互いに補強しあうかたちとなっている。」 現代京都人に近い渡来系で、まぁ、現代でも青森県なんか、お隣の岩手県なんかと違って 太平洋側の南部も縄文系の影響が弱いし、日本海側は、東北の太平洋側と違って 渡来系の影響が強い山形、秋田、青森の三県のなかでも突出して渡来系の影響が強いし、 辺境にあってまつろわぬ民が多かったんだろうけど、その多くは満州系なのか朝鮮系なのか知らないが、 北海道のアイヌとは違って渡来系で、北海道とはその歴史的な歩みが違っていったのは当然だろう その「* 現在の「諸民族が残した・・・(以下省略)」をやっているのが その失われたアイルランド語やらウェールズ語やらの復興運動をやっている世界中の先住民族で、 まぁ、これが良いか悪いかはべつにして、まず、先住民を近代的な征服者の社会に同化し、 言語を奪い、姿かたちをどんどんマジョリティー化させ、民族の精神性を失わせ、 再現コスプレに陥れさせてしまっていることへの罪悪感、民族を滅ぼしつつあることへの罪悪感はもつべきだろう ヨーロッパ系の国々やロシアでは、これにキリスト教化という宗教の深刻な問題も加わるが、 見ていてとにかく残念なのは、先住民族がマジョリティーと混血し、姿かたちを変えてしまって、 都市生活やマジョリティー社会での生活によって民族性を失い、ヨーロッパ系の国々でもロシアでも中国でも 再現コスプレに陥ってしまっている、そこらへんの人間が踊りや歌を練習して、 それを披露する程度の民族になってしまって、また、それが適当なんで、特に中国やロシアでは 少数民族のナショナリズムの高揚を恐れてか、民族衣装もなんだかショボく作られているような感じがして、 少数民族が全然イキイキしてない まぁ、この考えも見世物にみたいな思われるかもしれないが、少数民族は人類学的に大変貴重なんで 特に東北アジアには形質人類学的に大変貴重な人たちがいるんで、マジョリティーは隔離生活に近いかたちで 少数民族を保護し保存すべきだろう 日本にもかつてアイヌという東北アジアどころかモンゴロイドのなかでも大陸でも珍しい 大変に特殊な人たちがいたわけで、それを滅びしてしまったことがどれだけ罪深いか もはや天然記念物よりも数が少なく、日本の絶滅危惧種のなかで最も絶滅の危機に陥っているアイヌを どれだけ増やせるか、今生き残ってるアイヌの人たちもそこんとこちょっと考えてほしいね 和人て言葉は中国史の中で出てくるの そんなのを当てにしている時点でな おそらく仏教を経由して入ってきたんだろ〜がな 日本の場合、隣り合い交流しながら 松前藩同様に自然に教育で同化したからな シャクシャインの乱も研究が進み、部族の利権闘争だとわかってきた 結局は松前藩の例みたいに長い間交流して教育して同化したのであり 一つの民族でもなかったし それ以前に別の民族もいたし いま主張してる人らはその民族の定義にもあてはまらず先住民族でもない 志村けんの”アイーヌ”はアイヌに伝わる伝統的な挨拶である 政府がアイヌ新法とかやるそうだが、民族としての権利ではなく 進学支援・就職支援を通じて日本人との経済格差をなくそう、ただそれだけ。 ・狩猟法規では認められていない伝統的狩猟方法を認める。 ・民族教育の権利を保証(例えばアイヌの数が一定数いる自治体の小中学校で)。 ・道議会やアイヌが一定数いる市町村議会に民族枠をもうける。 個人的にはこのぐらいやっていいと思う。 もちろん現行法では法の下の平等に反するからトンでもない話。 法の下の平等に反してもアメリカは先住民族の権利を特別に認めているし。 そもそも、一民族アイヌ?などというものが存在しない あの地区は、共通の言語も習慣も無く、抗争を繰返す諸民族が集まってた場所 各民族の言葉も カタルーニャ語⇔スペイン語よりもさらに違う別物 その一部かもしれない怪しい伝承の一部のみを今から真似たところで 過去の民族とは認定すべきでない、てのは当然だ >>122 政府はともかく、新聞を書く有識者が経済支援オンリーになってるところが悲しい。 そんなことしか思いつかないのか! 先住の擦文文化の縄文人がいたところにアイヌが入り込んだか >【考古学】長野産の矢尻、620キロ離れた北海道の縄文遺跡で出土 ただまあ 各部族で言葉も慣習もまるで違って宗教も政治も統一性まるで無しじゃあ アイヌとよばれる諸民族を一つの民族とみなすのはとても無理 >>99 実際は、北米でもオオカミが人間を襲う事件が増加中(狂犬病の他も) http://washingtonwolf.info/human_attacks.html > The document presents a case history of > 80 cases of aggressive behavior > by wolves toward humans and even attacks on humans from the 1970's to 2002. > In 16 cases, wild non-rabid wolves bit people. > In 6 cases the bites were severe. Please read this document in it's entirety. ※> It will enlighten you on the increasing wolf populations in North America ※> and the increasing number of dangerous encounters with wolves. ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
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