>>157
>『近藤守重(重蔵)が千島方面を探険。
>同地のアイヌが鉄砲を巧みに使っているのを報告している。』

松前藩(前身は渡党というアイヌ)の取締まり後でもアイヌは鉄砲を使っていたし、
明治時代はアイヌは普通に銃に対応した

> 1)1876年開拓使制定の「北海道鹿猟規則」下における
> シカ狩猟・流通・製品加工・消費などの実態を調査した。
> その結果、(1)比較的詳しい把握ができた胆振地方については、
●> 同規則による免許取得者のなかでアイヌ民族が占める割合が圧倒的に高い、

> [環境と社会研究会】アイヌがシカ猟規制でシカ猟が出来なくなったか?
> 毒矢禁止→アイヌがシカ獲れなくなった、なら話はシンプル。
●> しかし実際は、北海道鹿猟規則で義務付られた鹿猟免許(銃使用)取得者の大半がアイヌ。
●> 銃に積極的に対応した側面。ただし免許制限500人に洩れたアイヌも。

全道でエゾオオカミ狩ったのも、むしろアイヌ(狩猟免許取得者の大半)
※エドウィンダンの毒エサ使用なんて、静内の牧場周辺だけ※

   エゾオオカミ研究史の検討
引用元:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/60544/1/15_004_umeki.pdf
  開拓期の北海道で.
  アイヌがオオカミを嫌い,手当金の支給を受けるために捕獲していたことに
  言及した事例も存. 在する[山田 2002:80]。