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【アイヌ】北海道開拓と侵略責任★2【侵略】
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0001日本@名無史さん
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2014/09/18(木) 08:06:52.05
北海道開拓の歴史は、アイヌ民族に対する侵略の歴史でもありました。

現在の北海道の繁栄は、アイヌ民族に対する侵略と略奪、陵辱と虐殺の結果
もたらされたものに過ぎません。

屯田兵によって拉致され集団で強姦されたうえ証拠隠滅のために殺された
アイヌ民族の少女は数十万人に上るという説もあります。

アイヌ民族と和解するためにも、過去の歴史に真剣に向き合いましょう。

※前スレ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1378987761/
0410日本@名無史さん
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2022/04/25(月) 15:05:22.91
新田次郎文学賞
北の海明け (新潮文庫) 文庫 1996/8/1
文化元年、幕府は対露政策の一環として蝦夷地に官寺建立を決定。命を受けた文翁、智弁らは、アイヌ教化のためにアッケシに赴任した。
文翁の布教は困難を窮め、若い智弁はアイヌを虐待する和人に慣りを募らせていく、やがて、文翁は幕命を果せぬまま横死、智弁は苛烈な運命に呑まれてゆく
。二つの文化の間で苦悩する二人の僧を通して歴史の暗闇に光を当てる新田次郎賞受賞の巨編。
0411日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 00:38:20.04
庚午事変(こうごじへん)は、明治3年(1870年)に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。
結果的に淡路島の帰属をめぐる重要な事件となり、この事件の影響で淡路島は再び徳島県から離れ、兵庫県に編入された。

当時の日本は版籍奉還後もかつての藩主が知藩事となっているだけで、旧体制と何ら変わらない状態だった。政府にとって、この問題は中央集権化を推進していく上で是非とも
克服してゆかねばならなかった。だが下手な手の付け方をすれば、日本中に反政府の武装蜂起が起こりかねないため、慎重な対応を余儀なくされた。

稲田家側に対しては、この事件を口実に北海道静内と色丹島の配地を与えるという名目で、
兵庫県管轄の士族として移住開拓を命じ、彼らは荒野の広がる北の大地へと旅立っていった。この静内移住開拓については船山馨の小説『お登勢』や、映画『北の零年』でも描かれている。

司馬遼太郎『街道をゆく<32>阿波紀行・紀ノ川のみち

船山馨
お登勢〈上〉 (文庫コレクション―大衆文学館
1967年 「石狩平野」で第14回小説新潮賞を受賞する
北海道におとずれた維新の夜明け…。大地の子・鶴代が辿るひたむきな愛と苦難の青春を、
激動の明治史と民衆の鼓動を背景に描く、感動の大河小説。
1980年 「茜いろの坂」で第15回吉川英治文学賞を受賞する
0412日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 00:48:01.51
李相日監督 『許されざる者  主役には渡辺謙

舞台は幕末の北海道へと移り、主人公の十兵衛は幕府軍の残党という設定だ。そして十兵衛は北海道の奥地へと逃げ、アイヌの妻と暮らしていたことになっている。
 和人(日本人)に支配されるアイヌという民族の存在が重要だろう。李監督は在日コリアンである自らの存在と、アイヌの存在を重ね合わせているところもあるようだ。この映画のなかでも、北海道にもとから住んでいたアイヌは、
後から現れた和人の屯田兵などに武力で虐げられている。屯田兵に反抗的な態度を示したアイヌの若者は、たまたま通りかかった十兵衛(渡辺謙)に助けられるのだが、十兵衛は無謀な抵抗をして命を無駄にしようとするアイヌのほうをたしなめる。
 同時に李監督は、町の権力者である一蔵(佐藤浩市)には「生き残った者が正しい」とも語らせている。十兵衛や金吾(柄本明)はたまたま幕府側について敗れたわけだが、たまたま政府側だった一蔵たちは官軍の名のもとに権力を手中にしているのだ
0413日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 11:30:23.82
赤い人 (講談社文庫) 文庫 – 2012/4/13
吉村 昭 (著)

囚人たちの北海道開拓裏面史
「脱獄」か「死」か 苦役から逃れる方法は他にない

明治十四年、赤い獄衣の男たちが石狩川上流へ押送された。
無報酬の労働力を利用し北海道の原野を開墾するという国策に沿って、極寒の地で足袋も支給されず重労働を課せられる囚人たち。「苦役ニタヘズ斃死(へいし)」すれば国の
0414日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 13:37:08.24
火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫) 文庫 – 2002/10/16
高橋 克彦 (著)
辺境と蔑まれ、それゆえに朝廷の興味から遠ざけられ、平和に暮らしていた陸奥の民。8世紀、黄金を求めて支配せんとする朝廷の大軍に、蝦夷の若きリーダー・阿弖流為は遊撃戦を開始した。
北の将たちの熱い思いと民の希望を担って。古代東北の英雄の生涯を空前のスケールで描く、吉川英治文学賞受賞の傑作。(講談社文庫)
0415日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 21:22:54.45
街道をゆく 38 オホーツク街道 (朝日文庫) 文庫 – 2009/5/7
司馬 遼太郎 (著)
日本人の先祖の一派で、5~10世紀に北海道を拠点に活躍したオホーツク人。幻の海洋民族の痕跡をたずね、著者は稚内、枝幸、常呂、網走などを歩いた。少年時代からの考古学ファンで、さらに雄大な北海道考古学の世界に魅せらせる。「雪の季節に北海道に行ってみたかった」という一行そのままに、ゴム長姿で雪を蹴散らし、地元に溶け込んでいく。

すぐ隣のカラフトはロシア(ユーラシア大陸)と近く、流氷の時季は氷上交通も可能だった。
そういう点でも北海道と大陸との交流の古さが想像できるし、北から人も物も入ってきていただろう。
網走のモヨロ貝塚や常呂町(現北見市)の常呂遺跡は代表的なオホーツク文化遺産である。
オホーツク文化が終わると、アイヌ文化がスタートする。

この地域にはかつて「オホーツク人」が活動していたという。アイヌ民族ではなく、樺太の民族とも微妙に違う、独特の民族らしい。著者の「オホーツク人」へのあこがれは強く、その情報を追い求めてさまざまに考察をめぐらせている。
「オホーツク人」の遺跡であるモヨロ貝塚を発見したのは、米村喜男衛氏
0416日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 22:21:08.30
街道をゆく 15 北海道の諸道 (朝日文庫)
函館を出発点に札幌、旭川、陸別へ──古代から幕末維新までの長い道のりをたずね歩く旅。
原野を切り開いた開拓使や劣悪な環境で労働を強いられた囚人、屯田兵の時代を振り返り、アイヌとの抗争から台頭した松前氏の京風文化を思う

函館から札幌、陸別へ至る道のりが今回の「街道」です。稲作が根付かなかった―すなわち「中央」と
文化的根源を共有しなかったために(「おかげで」と言うべきか)、本州と一線を画して歴史を歩んだ北海道。その足取りを、時に軽やかに、時に丹念にたどっていきます。
近代の開発にあたり、米国の農務長官を招聘するという荒業に及んだ、開拓史次官黒田清隆。一夜にして住処を嵐の中に失い、新天地に懸けざるを得なかった新十津川の人々。70歳を過ぎて、
未開の陸別に夢を託した関寛斎。文字通りに風雪に耐え抜いた彼らの気概が強く強く伝わります。一方で、開発にあたって人を「モノ」同然に投下した、明治政府高官たちへの筆者の激しい憤りもまた心を揺さぶります。。
0417日本@名無史さん
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2022/04/29(金) 23:18:58.59
秋雨前線が日本付近に停滞しているところへ、台風が南海上から接近、8月18日から19日にかけて和歌山県から奈良県南部の範囲に大雨をもたらした
洪水となり、また各所で山崩れが発生し、崩落した土砂が川をせき止めてダム湖を形成、その水位上昇で低地の家屋・田畑は水没し、またダム湖の決壊によって新たな洪水も起こりました
1889年 - 十津川大水害により168人が死亡、村落の大部分が壊滅状態になり、約2500人が北海道へ移住。新十津川村を開拓
和歌山県中部を南流する富田川では、県の調査によれば過去の記録には全く見られない水位18mの大増水が生じた。河口近い現・白浜町域では、19日午前2時頃、堤防が一斉に決壊、濁流により「人家はほとんど流失、人間や多くの家畜・木材や砂や岩石と共に上流から流れてきて海に向かって音をたてて注いでい」ったという。
富田川流域全体で、死者565人、負傷者52人、家屋流失749戸、半流47戸、全壊459戸、半壊148戸、牛馬の死亡136頭、堤防は各所で壊れ、手入れの行き届いた水田も河原のようになっていた、などの被害が伝えられている。この地域から、十津川村のように屯田兵や一般住民として北海道へ渡っていった人々もいた[18]。
他に、紀の川、有田川、日高川、会津川、日置川など県内の主要河川が激しく氾濫し、山崩れも引き起こされ、河川沿いの集落や田畑は壊滅的な打撃を受けた。浸水町村数は2町178村にわたり、死者総数1247人
0418日本@名無史さん
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2022/08/07(日) 14:54:01.84
ゴールデンカムイで興味もって調べたら反日集団でびっくりした
今後絶対アイヌには騙されないとこうと思った
0420日本@名無史さん
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2023/06/05(月) 23:13:31.68
>>223
18世紀の中ごろ、ロシア船に売るために
千島アイヌがラッコを乱獲して、絶滅寸前にしたって話だな

エゾオオカミも似たような経緯>>384
0422日本@名無史さん
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2023/09/10(日) 22:35:04.01
アイヌ民族は、北海道の先住民族とされていますが、今やアイヌの子孫と自称するだけで、国から手厚い支援が受けられるスキームが出来上がっています。
アイヌ利権を確立させた黒幕は、創価学会とその司令塔である中国共産党であり、彼らは、政府から毎年莫大な公金を得つつ、北海道の乗っ取りを推し進めています。

70年代の運動草創期、アイヌ青年らがまず『交流』した相手が、当時国交のない共産中国の人々だった。
71年、当時の日本社会党の2人の議員の手引きで、アイヌ青年らが中国当局者と日本国内で接触、74年にアイヌの訪中が実現している。
ある学術論文には、この訪中・交流の目的が『アイヌは、中国の民族政策に倣(なら)って日本における少数民族としての
諸権利を展開させていこうとした』と書かれているが、当時すでに何百万人のチベット人を虐殺していた『政策』のどこに倣おうとしたのか
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