魔将軍足利義教第六天魔王織田信長
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そういや、松永久秀って 足利家に反逆したわりに 戦術はまんま義教だわな
奴もシンパか >>4
信長すらずっと謀反に悩まされたし
義教の場合、生涯に起きた謀反が赤松に殺されたアレだけだもんな 義満、義教、義政の親子3代のキャラの濃さは、日本史屈指ではないか? >>9
秀忠は戦争が下手くそだったのと、朝廷いじめがひどかったので
マイナスポイント付けられてる。
有力外様の改易とか無用な外征はしないとかちゃんと仕事してるんだけどね。 >>11
尊氏は後醍醐天皇の死を傷んで天竜寺まで創建【なんと元寇以来、日本と関係が悪化してた元との関係を貿易面で修復】 したり
義教は後小松天皇の為に、禁裏五番を設けたりしたしな
まあ秀忠の場合、朝廷とは娘が入内してから不祥事ばっかりだったし
不信感を抱くのもしゃあない 歴史上トップが権力絶頂で暗殺されたのは義教だけじゃね?
信長は一歩手前だったし。 殺した赤松の爺さん なんと国帰ってから 義教の葬式をしたそうな 時衆と仲良しだったとは。
足利家は義満と世阿弥以来
阿弥と仲良かったのかねー。 >>11
朝廷いじめ=朝廷統制は、いい仕事だろ。
天皇や公家に勝手なことさせないためには必要。 禁裏五番とか義教もちゃんと朝廷統制をしてたな。
まあ足利時代の朝廷は好き勝手どころか 室町無かったら消滅してたろうが。 南朝いじめの悪魔将軍アシカガは罰が当たって没落は必然! >>19
南朝の生活費工面してたの鎌倉公方足利持氏なんだがな。 南朝ファンの徳川幕府下でも、
かつて南朝を支持したおかげで足利将軍家が滅んでも鎌倉公方の系統は残れたのだなw 徳川時代の喜連川藩は鎌倉公方持氏の系統じゃなく、古河公方ではなかったか。 古河公方の先祖は鎌倉公方では?
堀越公方のほうは室町幕府将軍家に近いが >>23
江戸時代の喜連川藩藩主・喜連川氏は4代目まで足利持氏の子孫
鎌倉公方ー古河公方ー小弓公方ー喜連川氏
ただそれ以降は何度も養子が入っていて血縁は繋がっていない
明治時代に足利に復して家名は残っている まあでも家康というか徳川は貴種マニアだから
名門は基本残すよね >怖くて偉い支配者じゃない「侵しがたい」皇統と言うだけだからな。
民衆や下克上大名じゃぴんと来なかったろうが、信長も天下人になる頃には第六天魔王より皇統が上ちゃ上とは理解してたと思うぞ。
>天皇つまりは「皇統」が日本通史のキーワードだしな。
好き嫌い、良い悪いの出汁に使うスレが多いもんな。 >>25
分家の宮原家のほうは女系ながら足利家の末裔なんだよね。
それにしても古河公方家であることがレーゾンデートルみたいな喜連川藩が、平気で異姓養子を迎えたのが理解できない。 血統的に継げそうなのいた?
血というより家名存続が大事だったんじゃ? >>15
義教、政元、信長の叡山焼き討ち三人組が何れも叡山開基の最澄が死んだのと同じ旧暦六月に家臣の謀反によって殺されてるのは何か因縁めいたものを感じるんだよな… 信長様の足跡たどり城めぐりします
アドバイをお願いします
最後は本能寺があったらしい場所で供養お参りします
たかだか400年前 歴史的にみれば ほんの昨日です
彼は最後に無念、どんな思いだっただろうか >>31
普広院殿は比叡山焼き討ちなどしていないのだが
僧侶どもが勝手に焼身自殺しただけ
普広院はそれを自分の失策のせいであるとして後花園院に
平謝りしているのだが 義教は延暦寺を包囲して坂本を焼きましたが、山上には至りませんでしたね。
根本中堂で焼身されるやこの件を広めた茶売りを殺害させたり、話が広まるのを嫌っていた。
信長も延暦寺焼き討ちはぎりぎりまで避けようとしたり、吉田家に「南都(東大寺)に続いて
北嶺まで焼き討ちし、その上京を戦で焼いてしまったらそのまま京が滅びるということはない
か」と問い合わせたり、鎮護国家の寺院焼き討ちは気にしていた模様。
焼いたのも『言継卿記』では義教と同様に坂本が中心で(その後、山上もまとめて焼いたかの
ように書かれていますが)、明確にこの時焼かれたと言い得る建築物が根本中堂以下限定され
ているというのが、発掘調査の結果。
西塔には信長以前に建築された瑠璃堂が現存しています。
一般にイメージされているように、信長が最初から終始焼き討ちするつもりで、全山容赦なく
やり、後悔しなかったという印象はありませんね。 >>34
そのわりに信長信者は比叡山焼き討ちを絶賛してるけどな イラクと一緒で放置するとテロの温床
手を出してもテロの温床な関東… 余談だが、俺が早くに買って推奨した袖珍本、
『応仁の乱』と『観応の擾乱』が二冊とも
そろってベスト・セラーになったゼッ!
いづれも、中公新書だから、実質的には野球新聞でしかない
読売新聞社の儲けになるんだけど、俺はあんな低俗新聞社の回し者なんかぢやあ
断じて無えのサッ!!!!!
分かったナッ!
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念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
GE6 >>41
吉川弘文館の戦争の日本史シリーズの応仁の乱は、その本と違って面白かったぞ。ちょっと高いけど。 太平記の中盤あたり(後醍醐帝の崩御から少したったあたりの巻)で、
第六天魔王に転生した後醍醐天皇 という記事が出てくる
天魔王としてたくさんの魔を世にはなって世間を乱そうとするとの記事だ
戦国期には、著名人の大多数は太平記を熟読してたんだから、第六天魔王と聞いて後醍醐天皇を想起しない人はいなかっただろう
そして、太平記で第六天魔王がしようとしたことも。 ヅラスガ「強盗トラブルでアベコロナが大爆発や
よっしゃ、よっしゃあ!」 >>1
足利義教は日本国王
織田信長は右大臣止まり
日本国王>右大臣ですから
強いのは信長ではなく義教です
義教は兄義持が国交断絶した明と国交回復
明皇帝から日本国王として封じられた
つまり義教は兄義持では無く父義満の外交方針に従った
そして日本国王に成る利点は天皇の臣下でなく明皇帝の臣下になる点
経済的永楽通宝を独占できるから、貨幣経済の頂点
日本が自国の通貨を作ったのは江戸時代の寛永通宝
信長も秀吉も永楽通宝の頚城から脱出できなかった
日本の中では天皇≧日本国王。東アジア冊封の体制の中では
明皇帝>日本国王>天皇
信長は日本国王を目指さなかったから日本も秩序範囲内の人間
足利義満・義教親子は日本の秩序範囲を軽く飛び越えました いそじん「早よ宣言解除して
大阪いらっしゃいキャンペンで強盗ヘヴンやがな」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています