義教は延暦寺を包囲して坂本を焼きましたが、山上には至りませんでしたね。
根本中堂で焼身されるやこの件を広めた茶売りを殺害させたり、話が広まるのを嫌っていた。

信長も延暦寺焼き討ちはぎりぎりまで避けようとしたり、吉田家に「南都(東大寺)に続いて
北嶺まで焼き討ちし、その上京を戦で焼いてしまったらそのまま京が滅びるということはない
か」と問い合わせたり、鎮護国家の寺院焼き討ちは気にしていた模様。
焼いたのも『言継卿記』では義教と同様に坂本が中心で(その後、山上もまとめて焼いたかの
ように書かれていますが)、明確にこの時焼かれたと言い得る建築物が根本中堂以下限定され
ているというのが、発掘調査の結果。
西塔には信長以前に建築された瑠璃堂が現存しています。

一般にイメージされているように、信長が最初から終始焼き討ちするつもりで、全山容赦なく
やり、後悔しなかったという印象はありませんね。