>>127
古事記では仁徳崩が丁卯、これを187年とすればまさに霊帝の頃
その直後、住吉仲皇子の乱=倭国乱れ相攻伐すること歴年
住吉仲津皇子王は呉派で履中が魏派、反正が蜀派だが勝負がつかず
履中は自らは引っ込み、息のかかった姉妹を女王に共立これが卑弥呼
自分は男弟として政治の実験を握る
卑弥呼の後、男王を立てしも国中治まらずってこの男王が履中
履中は早くなくなったのでその娘が立ったこれが飯豊=台与
台与は50年くらい在位してその後で反正が即位した
もと蜀派だったが即位した時はすでに西晋時代、高齢だったので反正もすぐ崩御
反正崩御の丁丑は317年とすると西晋が亡んだ316年と東晋建国318年の間だな