神功皇后とは一体なんだったのか [転載禁止]©2ch.net
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神功皇后の非実在性の否定は戦後タブーとされた様に見える
朝鮮半島が倭人の女性、しかも妊婦によって征服されたなど日教組自虐史観においてはあってはならない事なのだろう おれの仮説言っちゃうね
神武、崇神、神宮、応神は皆同一人物
当時の韓半島で暴れまくった天孫族(韓人の集団)が東征して列島の国津神(出雲族)を武力で支配したんだよ
海を渡って三韓征伐ってのは逆で三韓征伐(実際は任那の実権を握った)あと新羅と高句麗に韓半島から締め出されて
日本に逃げ落ちたあとが国譲り 王仁さんの詩は?応神の時代となっているけど
『さくやこのはな ふゆごもり』 八幡愚童訓に、朝鮮からの来襲があったことが記録されてる
開化天皇48年 33000人が来襲
仲哀天皇 203000人
神功天皇 308500人
応神天皇 250000人
欽明天皇 300400人
敏達天皇 明石浦までやってきた
推古天皇 8年 430000人 >>神功皇后の非実在性の否定は戦後タブーとされた???
日本の古代史を味噌糞にして記紀の信用性を壊滅させる歴史大河ファンタジーだぞ。
てか、記紀年で完全に卑弥呼と被ってんだなwww
朝廷の半島進出は隋唐書でも九州平定の卑弥呼の250年以降なのに、
なんで313年まで、中華系帯方郡が見てる時代の前振りにできるんだ?
無茶しやがって・・・
>>神功皇后の非実在性の否定? 史実です、って言っても?
隋唐書が700年の記紀見て作られたってのが、騙して後出しされた感じなのかな?
神功皇后、記紀捏造、後出し中国正史で危機一発、半島妊娠説、なんちゃってwww
神話でいい なら言い過ぎスマソだけど、日本国の精子は無理。
日本の学問は半島とつるんで神話に忖度して血税から研究予算出して貰うのか?
中国学者や日本のよゐこはもう騙せないだろ?
タブーじゃなくて、無いんだから、史実と区別しろよ。 畿内説もwww 神功皇后はカミコーと読める。
カミコーがヒミコとして伝わったのだよ。 >>1
唐の先祖北朝が先代中国(魏晋)に和親した歴史を魏書でアピール。日本も唐(北朝)側の歴史を肯定するために神功皇后が先代中国と和親した歴史を日本書記にいれ、唐にごまをすったw >>134
履中はほぼ実在が確実視されているし時代も5世紀なので
その娘が卑弥呼だというのは無理がある
中国の史書で見ても履中は「倭の五王」の時代の大王だし
卑弥呼の時代はそれよりも明らかに前 倭人?
『倭猿』
と言っている人たちがいるけど、どういう意味なんだろう このような話
>猿田 サルタ
>古事記・天孫降臨条に「僕は、国つ神、名は猿田毘古神ぞ。出で居る所以は、天つ神御子天降り座すと聞きつるが故に、御前に仕へ奉らむとて、参ひ向へて侍り、とまをしき。
>其の猿田毘古神、阿耶訶(あざか)に坐しし時に、漁(すなどり)為て、
>ひらぶ貝に其の手を咋ひ合さえて、海塩に沈み溺れき」と見ゆ。
>延喜式に伊勢国壱志郡に阿邪加神社(松坂市阿坂町)を載す。
>古代阿射賀国で猿田彦神を奉じた海洋民の居住地なり。
>神代に渡来した猿田彦は別名国底立神とある。神代初代国常立尊の別名で、二代が豊国主尊である。
>豊国とは朝鮮僧を豊国僧と呼び、国常立尊(猿田彦)・豊国主尊の父子は豊国(朝鮮)の海部族である。
>また、一説に猿田彦は出雲国秋鹿郡許曽志神社(松江市古曽志町)が生地であると伝承あり。
>最初に上陸したのは出雲国で、猿田彦とは代々の海部族首領の名である。
>出雲国に猿田彦を祭神とした赤秦社が多く鎮座す。
>猿の尻は赤いので赤秦と称すが、
>その実は、百済系祭神を赤と称し、新羅系祭神を白と称す。 ジンム=神倭?
倭姫、倭健というのもいるようだけど、
系統が違うのかな 百済の神、国王がいたという伝説?
『天子神璽』
ここにも百済王が〜と書いてある >>175
神功皇后(天皇)、オキナガタラシ毘女命。
タラシは出雲系の王の称号。
息長(オキナガ)氏は斯羅(シロ(白))地域(後の新羅国の初期の領域)からの亡命王族(王子)の天日鉾命の末裔と言われ、
半島に新羅国が成立すると、オキナガタラシ毘女命は天日鉾命由縁の父祖の旧領の遺産相続、支払いを主張するも新羅国は相手にしなかったので、
日本の豪族(王族)らを糾合して日本連合軍を編成して出師 >>176
15代応神天皇から26代継体天皇までの名は、22代清寧天皇を除き実名。
よってその直前の神功皇后も実名の可能性が高いのだよ。 >>186
その理屈だと、その前も実名になり
その前も実名になり・・・
初代まで行っちゃう
・・んですけど 実話でなかったらわざわざ不倫の話を書くはずもないので、神功皇后や仲哀天皇の話は実話だろう。 >>186
素朴な名前が多い応神以降の河内王朝は
中国史書の倭の五王の記述からも実在がほぼ確実視されているが
それ以前は学者によって意見さまざま
応神が実在なら勿論その母親というのはいただろうが
それが息長足媛という名で三韓征討を行った神功皇后であるというのは別問題 素朴な名前だから実在って、どんな理屈だよ。
違う文化の集団だというならともかく。 応神天皇は九州生まれの九州育ち、宗廟も九州だけどね。 タラシが出雲というのは初めてです耳にしたが、あり得なくはないか。 昼間は九州説ヲタの爺さんが住み着いてるからな
法隆寺も四天王寺も九州にあったと言ってる基地外 文字のない時代の300年前の王族の不倫の話な。わざわざ伝わってるわけ無いだろwww
そもそも記録されてない年代や名前諱号もこの時作ってんだよ。
600年の国記天皇記を改ざんしたのは確かだろうから500年以降は割と史実が有る。
制作意図が唐に対して三国志みたいな日本の国体、皇室の正統性、由緒のデッチアゲ。
制作から300年もたって400〜500年の滅びた南朝との国交記録出されて修正不能www
推して知るべし。 >>196
>文字のない時代の300年前の王族の不倫の話な。わざわざ伝わってるわけ無いだろwww
いちいちスキャンダルを創作してさらに隠すわけないだろ。
事実として当時は隠しようもないくらいに知られていたんだよ。
だから、嘘にならない程度にぼかして誤魔化したんだ。 他のスレにも書いたんだけど
家は天皇(不明)信者ではないよ、
仏教が何やら〜寺院などの話なら知っているよ >>185
120代仁孝天皇の実名は恵仁で、太上天皇という生前尊号を贈られ、諡号が仁孝天皇となる。
神功皇后は諡号でない可能性が高いので、これを当てはめると、神功は生前尊号と考える
べきなのだよ。 バカじゃねーの。
生前尊号はオキナガタラシヒメ。
神功皇后は7世紀になってから追号したものだよ。 >>199
神功皇后は諡号だよ
浅海三船が付けたのかどうかは分からないが 実在し得ない伝奇人物に生前尊号というのも聖徳太子並みに嘘くさいなw
記紀なんだから、で、諡号は有っても良しとする。 八幡宮といえば、武内宿禰が抱きかかえる応神天皇。
きっと武内宿禰が仕込んだ子だわ。 頭の病院に行け、創作だと書いていない?
かわいそうだから、そういう話を作ってあげたと >>203
それは奈良時代から常識。
それを否定するため、仲哀の死から応神の誕生までの日数が細かく記紀に記載された上、神功皇后は石を抱いて出産を遅らせた話が創作された。 神功が仲哀が邪魔になって、スーパー爺の武内宿祢に乗り換えたとしても、
仲哀のこと死なすことないだろうに。神話的にマズいよ。 どこかの男にNTRて
NTR子種にハクを付ける為の物語 だからこそ、スキャンダルを言い繕うための記紀なんだよ。 イエスキリストは普通に人間の父母からできた子なんだろうけど、神の子なんよ。 >>208
仲哀は神功皇后の神のお告げを信じなかったので
神罰で死んだんだろ
武内宿祢と密通したなんて神話上でも書いてないしw 応神の父は誰か?
日本書紀を書かせた天武にとって一番都合の悪い事実。
伊都国王家の末裔だよ。
ニニギの系統。
イザナギの傍流。
本流は、倭国大乱で殺されたけどね。卑弥呼がパクった男であったアマテラス。
応神以降は倭国大乱で負けた渡来人勢力の巻き返し。
天武〜は男系は不明。国常立系だろう。
桓武からまた応神系統、イザナギ系に戻る。 まあ、武内宿禰がどこの出自かはよくわからんからな。
暗殺前から王族扱いではあったから、そこそこの血筋ではあったのだろう。
仲哀の祖父の景行が九州では外来のよそ者だったから、武内が伊都国系の可能性は否定できない。 日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
6ECVH 記紀は史実に基づいたファンタジー
だからだいぶ盛ってる
ほぼ嘘みたいなことも書いてある
そこで、山形明郷の動画を見たおれが今からネトウヨが小便ちびらすような大胆仮説を発表します
古代朝鮮の百済、新羅のそれぞれの王は異民族だったらしい
つまり被支配層と支配層とが別民族、王とはいわば行政官みたいな立場
これを日本列島に類推適用すると出雲国がこれにあたる
つまり、ソシモリから来た初代行政官がスサノオというわけ
そして国譲りされたときの行政官がナムヂ
だから半島から天皇御一行様(自称天孫族w)が来たときに大した武力衝突もなくすんなり国を明け渡したのは
天皇御一行様が次の行政官だっただけのこと
出雲大社の伝承にスサノオが新羅からきたと書かれてるのはこのことだったんだなぁw
https://www.youtube.com/watch?v=l4swAYIl7lc スサノオからナムジへは、実は母系相続であったが、記紀が編纂された時代には男系が主力だったので、あのような表記になった。 >>215
武(タケ。建、猛、竹、、、)が付くのは海部(尾張)王家(始祖、(渡来人)天火明(ニギハヤヒ)-天香語山(五十猛)-天村雲(大和国初代大王(神武に横領改ざん))〜-)一門 >>217
出雲王国、王族(神(かも)族)のルーツは四千年前の南インド。
アーリア人らの来襲、侵入により故郷を終われ、一時期アフガニスタン辺りに滞留
〜更にバイカル湖周辺を経て北回りで日本列島に渡来。
日本海側を徐々に南下して今言う、出雲地域に定住化したのは三千年前のこと。
その歴代リーダーをクナト大神(大王)と言ったらしい。(イザナギ、スサノオ他に改ざん)
定住化して数百年を経ていよいよ勢力を伸ばし王政を開始して、日本列島初の王国を建てたのが二千六百有余年前。
(神武の即位、建国時代に横領された)
父祖伝来の国教として三柱の神々、クナト大神。后神のサビメ大神(幸神/太陽の女神)。御子神のサルタ大神。
その元なるは、シバ神(天帝)。后のサラバスティ(水神。所謂、弁才天)。御子神のガネーシャ(歓喜天。聖天尊)
、、、後世、仏教が伝来して、神仏混合、習合が比較的?すんなり行った理由がこの辺りに有ったのでは? 武内宿禰は複数の豪族が同盟を組んだ時に共通の始祖をでっち上げて出来たんだと思うよ なんでもでっち上げだとすれば済むと思うなよ。
それは歴史の歪曲だな。 なんでも盲信すれば済むと思うなよ
それは歪曲された歴史の盲従だな 盲従ではないが、どこが捏造でなぜそうなっているのかを考えないと。
思考停止してでっち上げだと言い切れば、古代史は何も分からなくなる。 敦賀〜伊吹山は、女王国大和朝廷側ではないですね。
日本書紀でも伊吹山の荒ぶる神は最後の最後まで抵抗している。
伊吹山の神様は畿内の人々の恩人ですよ。
級長津彦命
級長戸辺命
しなは息が長いという意味。
息が長い吹子、鉄と関係あるのかな。
伊勢神宮外宮風宮の神様だね。
伊吹山は謎が多いところです。
ヤマタノオロチの神霊がいるとの話も残っていますね。 >>227
なんだ同意見じゃないか
意味の無いレスだったな 神功皇后記は、日本書紀の中でも創作捏造が多い部分だとは思うが、だからと言って武内宿禰の存在がでっち上げであるかのような書き方はどうかと思う。 宿禰っていうのは称号だから、武内宿禰○○っていう奴が代々何人もいたんだろ
大国主命と同じだ でっちあげだという根拠が、あり得ない長生きだったせいだからな 長生きという根拠は?
葛城スレの年代比定はおおよそ正しいと思うので、それに習えば別に長生きだいうわけではない。
神武が3世紀初めくらい、神功皇后ほ4世紀末。 架空の人間の話しても敷かないだろ
神武、崇神、応神、神宮はすべて名前に神がついてる
たぶんこいつらは全員同一人物 倭王武の上表文に見える「祖禰は自ら甲冑を来て海北(朝鮮半島)を征服した」ってのは明らかに三韓征伐のことだよな
祖禰とは「王朝の祖である禰」
禰とは武内宿「禰」
武内宿禰は九州に子孫とされる氏族が多いので
畿内には帰還できず九州で子孫を残して死んだんだろう
ただし神功との子である応神のみ神功とともに畿内に帰還し、
畿内の覇権を奪って即位し河内王朝を立てた、と 河内王朝を立てたのは応神だが、王朝の祖は武内宿禰だと雄略は認識してたということだな 頭が悪いんじゃないの?
なぜ先祖(神)を退治するとか、征伐する、征伐した?
と言っているんだ 応神が武内宿禰の子供だと認めてしまうと男系の断絶を認めることになってしまうので日本書紀や古事記ではあくまで仲哀との子だとしているけど
神功と応神の帰還に対する畿内の皇子たちの拒絶反応や
河内に王朝を立てざるを得なかった事実を見るに
明らかに正当な血統ではないことはわかるわな ほとんど仏教の話だと書いてない?
仏教のほうが先にあった、神道よりも先に信仰されていた >>223
チンギス・ハンが征服した地でDNAをばらまきまくったようなものだよ
畿内から征服しに来た将軍に、九州在地の王は命を差し出すか女を差し出すかするしかなかった 応神とか、そういうのも、年代がデタラメ
アニメの観すぎ? >>236
雄略=ワカタケル=一文字で「武」
当時の外交マナーとして、中国南朝には名前を一文字で名乗るというのがあったのだろう
だから「禰」と一文字で紹介したと 腕が・・・腕が・・・中二病の話
それで、弓を放った? その頃、先住民というのは何をしていたの?
九州?畿内?から見て、さらに東のほうに住んでいた人々
何をしていたの?
おかしな言い方をすると神族 その少し前に百済が倭王旨に七枝刀を贈ってる
旨とは「ウマシマジ」「ウマシウチ」のどちらかだろうな 『セイントセイヤ』
『モノノケ姫』
腕に包帯などを巻いて、謎の力などを制御している・・・このような設定のキャラ 『聖化 日神 日霊 津』
この人物は神代だと書いてない? そもそも応神は九州生まれの九州育ち。
筑紫倭国の王。 以前から書いているけど
アニメや漫画のスレに行けと言ってるんだよ、
そういうスレがあるから 考古学的にも4世紀後半に畿内の勢力図は一変するからな。
神功皇后、応神は4世紀後半で間違いないだろう。
神功皇后、応神、仁徳が討ったのは、火と石。日本書紀では、忍熊皇子や香坂皇子、鹿、頭が2つ胴が一つの怪物。
古い海神は、孝霊〜四道将軍で大和朝廷の石に乗っ取られている。 統一新羅によって完全に朝鮮半島から締め出しくらったんだから
そりゃあファンタジーにすがるほかない
※ 朝鮮半島の勢力で高句麗、百済、倭、新羅のなかで新羅が一番の格下だった 神功皇后と仲哀天皇なんて、宮が筑紫香椎宮と穴門豊浦宮だから、完全なる九州の王だよ。
それが畿内に攻め入って応神朝を立てたんだよ。
だから畿内の様子が一変する。
諡号の神は新たな王朝の祖先神を意味する。 神功皇后は畿内から、瀬戸内海を往復するエピソードが残っているからね。
和泉を出立するエピソードもある。 >>253
畿内からの派遣官だよ
国内の重要拠点には(豪族や現地の王に任せずに)皇子を派遣して統治させてた
現地の王の中央からの監視役だよね だから仲哀だって天皇(大王)ではないはずだよ
大王が長期間都から離れるわけないでしょ
仲哀と神功に命令して九州に派遣した「近畿の真の大王」がいるに決まってる それが「倭王旨」だとしたら七枝刀の文との整合性は取れるわな
つまり「三韓征伐」より以前から畿内は百済と同盟していて
畿内王権は百済の要請で新羅を討伐した
(九州は伝統的に親新羅だから)新羅に行く前に九州をまず討伐した
これで七枝刀を贈呈されてから九州西征〜三韓征伐〜倭の五王〜磐井の乱〜白村江〜天武政権まで説明できてしまう 日本は白村江で新羅に負けてからも執拗に「お前らは神功のころから俺らに負けて属国だったのに偉そうにするな」と上から目線で接して新羅を怒らせてるからな 百済は神功時代からの畿内王権の同盟国で
九州は磐井の乱まで基本的にずっと親新羅
日本の朝鮮半島三国の扱いは
百済=同盟国
新羅=一回やっつけた属国
高句麗=好太王に負けて以来の配慮すべき強国
ってのが8世紀まで基本的に変わらずに続くんだよ 三韓征伐の実像は
筑紫・任那を拠点に百済と協力して新羅を討伐し、その勢いで高句麗にまで攻め行ったら負けて逃げてきた
ってことだろう 伊都国は漢に冊封されまた各国の使者の目もあって、実権を奪われながらも存続していたと思われる。
神功皇后のエピソード、九州の大和朝廷派を討ち、伊都国の血を奪還する話じゃないかな。
伊都国は、倭国大乱前の畿内にあった倭国(クナ、クニ)の分家だろう。(天孫降臨)
応神が生まれて、スクナヒコナが喜ぶとあるし。 邪馬台国それに連なる大和朝廷は、旧倭国クナを倒した先住民系(縄文系+BC1000年頃に渡来し稲作をもたらした殷系の海神)の政権だろう。
神功皇后応神のエピソードは、大和朝廷に虐げられていたクナ国倭人系と関東の縄文系勢力、そして大和朝廷内の権力闘争で出雲尾張連合に劣勢だった葛城勢力が手を結び、大和朝廷の中心勢力出雲尾張事代主連合を倒す話と思うけどな。 朝鮮半島の勢力だった倭が近畿に移ってきただけな
朝鮮半島の倭からみれば日本列島は属邦
だから出雲が国をすんなり譲ったんだろ(笑) 各地の八幡宮に奉納してある武内宿禰と幼い応神帝の額縁どうにかせい!
あれだと武内のおっちゃんが父親だと刷り込まれるぜ。 >>263
そんな考古学的証拠はない
逆に日本列島が朝鮮半島を勢力圏内にしたことは何度もある
ウリナラファンタジーもいい加減にしろ! >>256
>仲哀と神功に命令して九州に派遣した「近畿の真の大王」がいるに決まってる
妄想乙 >>261
それこそ年代がめちゃくちゃでナンセンス! ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています