神功皇后とは一体なんだったのか [転載禁止]©2ch.net
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神功皇后の非実在性の否定は戦後タブーとされた様に見える
朝鮮半島が倭人の女性、しかも妊婦によって征服されたなど日教組自虐史観においてはあってはならない事なのだろう 架空の人間の話しても敷かないだろ
神武、崇神、応神、神宮はすべて名前に神がついてる
たぶんこいつらは全員同一人物 倭王武の上表文に見える「祖禰は自ら甲冑を来て海北(朝鮮半島)を征服した」ってのは明らかに三韓征伐のことだよな
祖禰とは「王朝の祖である禰」
禰とは武内宿「禰」
武内宿禰は九州に子孫とされる氏族が多いので
畿内には帰還できず九州で子孫を残して死んだんだろう
ただし神功との子である応神のみ神功とともに畿内に帰還し、
畿内の覇権を奪って即位し河内王朝を立てた、と 河内王朝を立てたのは応神だが、王朝の祖は武内宿禰だと雄略は認識してたということだな 頭が悪いんじゃないの?
なぜ先祖(神)を退治するとか、征伐する、征伐した?
と言っているんだ 応神が武内宿禰の子供だと認めてしまうと男系の断絶を認めることになってしまうので日本書紀や古事記ではあくまで仲哀との子だとしているけど
神功と応神の帰還に対する畿内の皇子たちの拒絶反応や
河内に王朝を立てざるを得なかった事実を見るに
明らかに正当な血統ではないことはわかるわな ほとんど仏教の話だと書いてない?
仏教のほうが先にあった、神道よりも先に信仰されていた >>223
チンギス・ハンが征服した地でDNAをばらまきまくったようなものだよ
畿内から征服しに来た将軍に、九州在地の王は命を差し出すか女を差し出すかするしかなかった 応神とか、そういうのも、年代がデタラメ
アニメの観すぎ? >>236
雄略=ワカタケル=一文字で「武」
当時の外交マナーとして、中国南朝には名前を一文字で名乗るというのがあったのだろう
だから「禰」と一文字で紹介したと 腕が・・・腕が・・・中二病の話
それで、弓を放った? その頃、先住民というのは何をしていたの?
九州?畿内?から見て、さらに東のほうに住んでいた人々
何をしていたの?
おかしな言い方をすると神族 その少し前に百済が倭王旨に七枝刀を贈ってる
旨とは「ウマシマジ」「ウマシウチ」のどちらかだろうな 『セイントセイヤ』
『モノノケ姫』
腕に包帯などを巻いて、謎の力などを制御している・・・このような設定のキャラ 『聖化 日神 日霊 津』
この人物は神代だと書いてない? そもそも応神は九州生まれの九州育ち。
筑紫倭国の王。 以前から書いているけど
アニメや漫画のスレに行けと言ってるんだよ、
そういうスレがあるから 考古学的にも4世紀後半に畿内の勢力図は一変するからな。
神功皇后、応神は4世紀後半で間違いないだろう。
神功皇后、応神、仁徳が討ったのは、火と石。日本書紀では、忍熊皇子や香坂皇子、鹿、頭が2つ胴が一つの怪物。
古い海神は、孝霊〜四道将軍で大和朝廷の石に乗っ取られている。 統一新羅によって完全に朝鮮半島から締め出しくらったんだから
そりゃあファンタジーにすがるほかない
※ 朝鮮半島の勢力で高句麗、百済、倭、新羅のなかで新羅が一番の格下だった 神功皇后と仲哀天皇なんて、宮が筑紫香椎宮と穴門豊浦宮だから、完全なる九州の王だよ。
それが畿内に攻め入って応神朝を立てたんだよ。
だから畿内の様子が一変する。
諡号の神は新たな王朝の祖先神を意味する。 神功皇后は畿内から、瀬戸内海を往復するエピソードが残っているからね。
和泉を出立するエピソードもある。 >>253
畿内からの派遣官だよ
国内の重要拠点には(豪族や現地の王に任せずに)皇子を派遣して統治させてた
現地の王の中央からの監視役だよね だから仲哀だって天皇(大王)ではないはずだよ
大王が長期間都から離れるわけないでしょ
仲哀と神功に命令して九州に派遣した「近畿の真の大王」がいるに決まってる それが「倭王旨」だとしたら七枝刀の文との整合性は取れるわな
つまり「三韓征伐」より以前から畿内は百済と同盟していて
畿内王権は百済の要請で新羅を討伐した
(九州は伝統的に親新羅だから)新羅に行く前に九州をまず討伐した
これで七枝刀を贈呈されてから九州西征〜三韓征伐〜倭の五王〜磐井の乱〜白村江〜天武政権まで説明できてしまう 日本は白村江で新羅に負けてからも執拗に「お前らは神功のころから俺らに負けて属国だったのに偉そうにするな」と上から目線で接して新羅を怒らせてるからな 百済は神功時代からの畿内王権の同盟国で
九州は磐井の乱まで基本的にずっと親新羅
日本の朝鮮半島三国の扱いは
百済=同盟国
新羅=一回やっつけた属国
高句麗=好太王に負けて以来の配慮すべき強国
ってのが8世紀まで基本的に変わらずに続くんだよ 三韓征伐の実像は
筑紫・任那を拠点に百済と協力して新羅を討伐し、その勢いで高句麗にまで攻め行ったら負けて逃げてきた
ってことだろう 伊都国は漢に冊封されまた各国の使者の目もあって、実権を奪われながらも存続していたと思われる。
神功皇后のエピソード、九州の大和朝廷派を討ち、伊都国の血を奪還する話じゃないかな。
伊都国は、倭国大乱前の畿内にあった倭国(クナ、クニ)の分家だろう。(天孫降臨)
応神が生まれて、スクナヒコナが喜ぶとあるし。 邪馬台国それに連なる大和朝廷は、旧倭国クナを倒した先住民系(縄文系+BC1000年頃に渡来し稲作をもたらした殷系の海神)の政権だろう。
神功皇后応神のエピソードは、大和朝廷に虐げられていたクナ国倭人系と関東の縄文系勢力、そして大和朝廷内の権力闘争で出雲尾張連合に劣勢だった葛城勢力が手を結び、大和朝廷の中心勢力出雲尾張事代主連合を倒す話と思うけどな。 朝鮮半島の勢力だった倭が近畿に移ってきただけな
朝鮮半島の倭からみれば日本列島は属邦
だから出雲が国をすんなり譲ったんだろ(笑) 各地の八幡宮に奉納してある武内宿禰と幼い応神帝の額縁どうにかせい!
あれだと武内のおっちゃんが父親だと刷り込まれるぜ。 >>263
そんな考古学的証拠はない
逆に日本列島が朝鮮半島を勢力圏内にしたことは何度もある
ウリナラファンタジーもいい加減にしろ! >>256
>仲哀と神功に命令して九州に派遣した「近畿の真の大王」がいるに決まってる
妄想乙 >>261
それこそ年代がめちゃくちゃでナンセンス! >>269
奈良時代は天武系なんだな。
イワレ系。
応神、聖徳太子、天智、桓武〜倭人系。
奈良時代は宮崎の石神系だよ。元は海人隼人を征伐した系統。隼人の乱があって当然。 大津皇子可哀想だな。 本当は天武と関係ない倭人系だろうな。
辞世の句
ももづたふ磐余(いわれ)の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
ももづたふ、敦賀や鈴。
イワレと鴨を恨んでいるのかな。
雲隠りなむ、太陽が雲に隠れるのかな。
太陽は烏。
金烏臨西舎 鼓声催短命
泉路無賓主 此夕離家向
金烏の家は西にあるのかな。和泉路に賓主はなし。
我こそが応神天皇の子孫だと言いたかったんだろう。
息長氏(敦賀、鈴)、神功皇后、応神天皇。 >>267
大王が長期間都から離れるわけないでしょ >>272
大和朝廷の大王は神功皇后応神鹿島の鹿さんに討たれたんだろうな。
若草山山頂古墳、昔は牛塚と言われていたらしい。
晒し者にされ、一般人に踏みつけられ、毎年火に焼かれる。 >>266
>逆に日本列島が朝鮮半島を勢力圏内
妄想だろw
倭人ってのはもともと(紀元前から)朝鮮半島に居た
お前に日本列島から朝鮮半島に渡ったという証拠をだせと言ってもどうせ出てこないだろう
「蓋國在鉅燕南 倭北 倭屬燕」(山海經 第十二 海内北經)
蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。
『前漢書地理志』に「然東夷天性柔順、異於三方之外、故孔子悼道不行、設浮於海、欲居九夷、有以也夫。楽浪海中有倭人、分為百余国、以歳時来献見云。」
「然して東夷の天性柔順、三方の外に異なる。故に孔子、道の行はれざるを悼み、設(も)し海に浮かばば、九夷に居らんと欲す。以(ゆゑ)有るかな。楽浪海中、倭人有り。
分かれて百余国を為す。歳時を以て来たり献見すと云ふ。」 >>274
西暦57年の時点で倭国の本拠地(首都)は倭奴国(博多)だよ
倭奴国が「倭国の極南界」とあるから
倭国の領域は必然的に博多および博多の北の地域ということになる
博多の北の地域=壱岐、対馬、任那、出雲、北陸
この辺りだろう
環日本海の領域だね 博多が倭国の極南界って書かれてるから
57年の時点では中部南部九州は「倭の別種の小国」だったんだろう 倭国大乱前の倭国
瀬戸内海〜畿内だよ。
日本海側、九州、尾張は倭国ではない。 >>274
日本列島のことを知らなかった古代中国人の認識では
・朝鮮半島の南に住んでる漁師が「この海をさらに南に行くとまた島があるんです」とか言うから行ってみたらほんとに島があって人も住んでるぞ!そいつらまとめて倭人と名付けよう!
・上海の海岸に住んでる漁師が「海で遭難して東に流されたら島があって住民みんな刺青してたんだよ、でも助けてくれてここまで帰してくれた」とか言ってるぞ!刺青とか気持ち悪い!東テイ人と名付けよう!
って感じで
当然同じ日本列島のことなんだけど、当時の古代中国人の認識では別の国だと思ってるわけ
ルートが違うからね >>278
逆
日本海側が古代からの倭国
瀬戸内海〜近畿のほうが新興地域 しかし107年の倭国王帥升は畿内の王だろうね
(王が自ら外征するのは新興国の証だよね、国がデカかったら王は都から離れられない)
九州の倭奴国に金印をあげてる手前、漢王朝は困っただろう それで、どこのチンピラなんだ?
と聞いているんだよ >>253
応神って諡号つけた時点では、応神天皇が初代って認識だったの? >>253
建てない
九州の王なら畿内を征服しても九州で政務を行う 倭国の首都は任那→(対馬)→博多→畿内と移っていったんだろう
中国からの認識でも、倭国の重心位置が時代とともに南下していってる
理由は主に朝鮮半島での戦乱から逃れるため 沖縄じゃないぞ
時代が下るに従って東テイ人って言葉は使われなくなって倭人に統一される >>283
神功皇后が武内宿禰と不倫したのは有名だったらしい。
仲哀が亡くなってから応神が生まれるまでの日数に記紀がこだわっている。
石を重しにして産まれるのを遅らせたという伝承もある。 >>285
倭国の首都は、対馬(高天原)、出雲、筑紫、大和の順に移動した。 >>291
違うよ
認識が統一されるんだよ
「倭国は朝鮮半島の南の海の中にあり、それは会稽の東にあたる」って記述に変わる
東テイ人の国と倭国とを同じ地域を二重記述してたんだと気付くわけだ 後漢書では、
「倭は會稽東冶之東」にあるとし、
さらに、
「會稽海外有東鯷人」
と倭と東鯷人は別の国だと認識している >>290
高天ヶ原は任那だよ
対馬には聖地である痕跡がない
対馬が聖地なら後の天皇も参拝しにいってるはずけどその記録もない
任那は新羅領になってしまったから天皇が参拝できないのは当たり前で不自然じゃない >>288
外交上当たり前のことだよ
別の書では帥升を倭面土国(ヤマト国)の王と書いている
帥升は大型の朝貢を行っている
これは当然だけど何らかの見返りを求めてのことであって
つまり倭国内の覇権争いだろ
(卑弥呼が狗奴国に対抗するために魏に朝貢したのと同じ)
倭奴国との覇権争いを優位にするために、倭面土国の帥升は国王自ら漢に行き大型の朝貢を行ったわけだ 外國記に、
「曰:周詳泛海,落?嶼。上多?,有三千餘家,云是徐福僮男之後,風俗似?人」
とかいうのが出てくるね 帥升も倭奴国と同じ九州北部だろ。
2世紀初頭の大和には何もないぞ。
そもそも帥升の帥は太宰の帥、一大率の率と同じ。
職名だよ。 後漢書
倭在韓東南大海中依山㠀為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國 國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也) 楽浪郡徼去其國萬二千里其西北界狗邪韓國七千餘里 其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同
「倭は韓の東南、大海の中にある。山島に居住して、すべてで百余国。武帝が(衛氏)朝鮮を滅ぼして以来、漢と交流のあったのは三十国ほどである。国はみな王を称し、代々受け継いでいる。その大倭王は邪馬台国に居る(今の名を案ずると、ヤマユイ音のなまりである)。
楽浪郡の境界は其の国を去ること万二千里。その西北界の狗邪韓国を去ること七千余里。その地は会稽、東冶の東にあり、朱崖、儋耳に近く、法や習俗に同じものが多い。」
建武中元二年,倭奴國奉貢朝賀,使人自稱大夫,倭國之極南界也。光武賜以印綬
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。
つまり、倭国とは狗邪韓國から倭奴国まで。
畿内は倭国の中に含まれず、まして倭国女王卑弥呼がいたはずもない。 倭王だから、対馬海峡周辺にいたはず。
後漢の頃は倭国の領域は狭い。 筑紫の倭王の称号として帥が使われたということだよ。 >>301
博多が極南界
出雲や北陸は博多以北だから後漢書の記述と矛盾しない てか今の天ちゃんの出発点は継体
それ以前の奴らとは無関係
出雲の国譲りからして継体のころの話 >>274
山海経を信用すると古代韓民族は存在していなかったことになるだろ
それでいいのか?
朝鮮半島は紀元前五千年頃まで無人でそれから日本列島から縄文人が進出して最初の住民となったことは
縄文土器に類似した土器の出土とミトコンドリアDNAの分布によって明らかだろが
そもそもお前
「海中有倭人」ていうのは倭人が島に住む民族であり大陸とは無関係と言ってるじゃねーか
漢文もその訓読体も読めないバカタレ文盲かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>309
年代の根拠は?
というか、応神が現在の始祖じゃないか? >>301
俺は思うのだが
卑弥呼のいた国は邪馬台国ではないのだろう
三国志が書かれた時点で卑弥呼は故人であり現状の女王は跡を継いだ台与なのだから
「南至邪馬壹國 女王之所都」の「女王」とは少なくとも卑弥呼ではない台与かそれ以降の女王だ >楽浪海中有倭人
「〜海中〜」
楽浪郡も半島の中心部だから三方が海で囲まれてる
それにこれ古代書の定型文な
別に島嶼じゃなくても使われる
こんな初歩的なことも知らないってガイジか >>313
何言うとんやガイガイマンwwwwww
楽浪郡の東は臨屯郡で南は帯方郡だから一方向しか海に面してないだろが
生まれつきなのか怪しいお薬でもキメて知的障害でも起こしたのか知らんがはよ病院いけンゴwwwwwwwwwwwww 漢代の大楽浪郡時代でも南は真番郡だか辰国なので2方向でしかないな
まあそもそも陸路で行ける土地は絶対に「海中」なぞ言わん訳だがあのガイジの中では違うらしい はい、313のソース
https://books.google.co.jp/books?id=dopwDgAAQBAJ&lpg=PP1&hl=ja&pg=PA28#v=onepage&q&f=false >>316
違うな
その部分は「朝鮮在海中」の後に「越之象也」と文章が続く
「朝鮮在海中、越之象也」とは「朝鮮は海中に在りてこれを越える象(像/かたち)なり」となり
朝鮮が「海中にある」のではなく「海中にあってこれを越すようなもの」と言っているのだ たしか現代中国語でも「〜みたい」は「好像」っつてたなwwwwwwwwwwwwww そもそも漢書のあの部分には「象也」って表現が何度も出てくるんだよ
あれは「〜みたいだ」という断定的ではない言い方なんじゃないのか? >>316
漢書天文志だね
占いの結果、○○だったよ、と言ってるんだな
「元封中,星孛于河戍。占曰:「南戍為越門,北戍為胡門。」其後漢兵?拔朝鮮,以為樂浪、玄菟郡。
朝鮮在海中,越之象也;居北方,胡之域也」 元封中、星、河戌に字する有り。占に曰く、「南戌を
越の門と為し、北戌を胡の門と為す」と。其の後、
漢の兵、朝鮮を撃抜し、以て柴浪・玄詞郡を為る。朝
鮮は海中に在り、越の象なり。北方に居り、胡の域なり。
よく分からん
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/60997/cks_029_047.pdf 占いの結果なら必ずしも現実そのままを言う必要はないと思うんですけど(凡推理) 占いを踏まえてその結果(史実)を記述するのは、中国史書(天文志等)のパターンですね 胡越
古代中国の、北方の胡の国と南方の越の国。互いに遠く離れていること、また、疎遠であることをたとえていう語。
こんなのが関係してくるのかな 「朝鮮は海中に在って、越を表しており、北方には胡が存在する。」ぐらいか 半島の北部が漢の領土になったので、海中に在る朝鮮と北の諸国は疎遠になったよ、ですかね おんな こども 白髪白髭の男 ・・・ 八幡宮って変な組み合わせの神様だな。 継体以前の記紀の記述は説話的な創作ファンタジーなが多いので、
その利用には禁欲的でなければならない。 息長帯媛命はいたけど神功皇后では無い。
朝鮮半島に無理やり出兵したのは、斯羅地域(後の新羅国)から渡来した祖先の天日鉾命(イザナギの1人)の遺産相続問題(新羅国の建国で先祖らの旧領地の権益問題)が拗れたため。 神戸・垂水の五色塚古墳は4世紀後半。
それまで大きな墳墓のなかった神戸に突然大墳墓ができる。
凱旋する神功皇后軍を迎え撃とうとしたカゴ坂皇子の墓で間違いないであろう。
やはり神功皇后は実在した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています