◎ここまでわかった日本書紀◎

2世紀末
倭国大乱と卑弥呼の即位

吉備・畿内同盟(百済、任那系)
考古学的証拠:墓、土器、特殊器台
文献的証拠:吉備に拠点を持つ孝霊天皇の娘モモソ姫が畿内の王大物主と政略結婚→大物主が死にモモソ姫が女王に

vs

山陰・北陸同盟(高句麗、新羅系)
考古学証拠:四隅突出墓の分布
文献的証拠:(3世紀後半だが)崇神代の記述 イツツヒコ「我の他に王はなし」


3世紀後半
台与の治世

吉備・畿内同盟
魏が滅び権威のバックを失い同盟が乱れ、崇神は大王位を失う
崇神、娘を宇佐の大王アマテラスの元に嫁入りさせる(トヨスキイリ姫=豊国の城に入った姫)
もう一人の娘を越の王大国魂に嫁入りさせようとするが失敗(ヌナキイリ姫=ヌナ川(越国のヒスイを産出する川)の城に入った姫)
(当然目的は山陰・北陸同盟の分断のため)
宇佐の大王アマテラスが死に嫁のトヨスキイリ姫が女王に