香椎民だけど、幼い頃より神功皇后伝説を当たり前のように
聞いて育ち、不老水の裏には武内君という地主の家の同級生が住んでて
武内宿禰の子孫と言われていた。
明治時代まで鹿児島本線(頓宮付近)まで海があったと香椎宮参道大鳥居に
記録されていて、太古の昔は香椎宮まで海岸線だったと思っていた。
仲哀天皇が作戦会議した所らしい碑が香椎宮の山の中に立ってる。
ちなみに今の香椎宮は新しくて裏側の古宮の方が元々祀ってたとこ。
同じ校区の宇美とか志免とかも応神天皇を産んだとこだから宇美、
志免もオシメを替えた所だから志免。
こういうのがゴロゴロしてるよ。