三世紀初頭の時点で天皇家が絶対的権力と神聖性と正統性を持っていたなら、
混乱は起きないし、卑弥呼共立もないんだよ。
なのに、天皇の血筋に近いほうが正妻でその子が貴いって、おかしいと思わんのかね?

四世紀〜5世紀初頭の古墳は、200m程度のものがたくさんある。
櫻井周辺と佐紀、馬見が大半だが、丹後と播磨にもある。
まあ、有力者同士で婚姻関係を結んでいてその子供の代とかだと一族と言えるかも
しれんから、広い意味での天皇家といえるかも知れんけどな。
倭の五王の時代、倭王は部下にも官位を求めているから、その頃でも絶対的権力とは
少し違うんだろうけどな。

何が理由かは分からんが、挙国一致で半島へ攻め込んだ。一度とは限らない。
任那地域を脅かされ、交易が途絶えたとか、追い出されそうになったことが
理由かもしれない。
ともかく、神功皇后のおかげで半島での権益を確保できたんだろうな。
そして、そのことは当時の日本にとってものすごく重要な事だったということだ。