>>369
神武東征というが記紀で書かれていることですら少人数での旅の末であり
やれ遺跡がどうのとかの大量移住ではない

記紀が書かれた頃大和朝廷と最も親しい関係にあったのは大隅隼人である
それは豪族に与えられた職名でも判る
だが天皇家と同族とされたのは阿多隼人
そして日向(日当たりの良い)や大隅(隅っこ)が大和朝廷が名付けた地名なのに
阿多は吾田すなわち我が田と自らが名乗った地名
このことからも実利から天皇家の故地が定められたのではなく
何らかの伝承により阿多(薩摩半島南部)が神武天皇の出身地だとされたのだろう