神武は北九州に行った後、広島に7年、岡山に8年いたが、東征のために
親戚の海神族の力を借りて勢力を結集していたのだろう。
その後淡路を前線基地にして、住吉から大阪に上陸し、
生駒ルートで奈良に攻め入ったが撃退されたため、
すぐに作戦を変えて那智新宮方面から攻め入っている。
広島と愛媛の間の大三島には海神族の拠点の大山祇神社があり、
大阪には東征の道案内をした海神族オリオン座の住吉大社がある。