最澄が空海と袖を分かつ因になったのは、愛弟子の泰範を空海に奪われた
情愛のもつれだとは、よく耳にするところです。
ところで、その史料となるのは、かの国宝『久隔帖』だけなのでしょうか?
それとも、他に二次的な資料があるのでしょうか?
お教え下さい。
よしなに。