仮説を一つ提唱したい
「伊勢神宮と熱田神宮はマキムクの最終封印の祭祀施設である」ということ

纒向遺跡からの出土品の50%近くが伊勢・尾張で生産された物であること
出土土器の約三割が祭祀関連であることなどから祭政一致の祭祀政治が営まれていたことがうかがわれる
一方、河内王朝は応神「ホムタワケ」の名が示すように軍人王朝であり
鉄製武器、鉄製農具を豊富に保有した鉄器文明軍事政権の様相を呈する

伊勢神宮、熱田神宮は纒向遺跡の大和・伊勢・尾張の物流ルート上に位置していることも踏まえ
中臣氏、尾張氏は河内王朝(軍事政権)に降伏した三輪王朝の末裔であり伊勢神宮、熱田神宮の神官として存続したのではないのだろうか?