崇神天皇が亡くなったのが318年ごろ。
垂仁・景行・成務は業績から見て各20年計60年ほど在位したであろう。
ひょっとしたら各24年計72年になるかもしれない。
成務天皇(武内宿禰と同年齢)が330年代の誕生。亡くなったとき40代だろう。
仲哀天皇はおそらく380〜390年の間に亡くなっている。
カゴ阪皇子・押熊皇子を10代と考えれば、仲哀天皇の没年齢は30代前半だろう。
応神天皇は362年の誕生で仲哀の死後に生れたのではない。
だからクーデターによる王位乗っ取りが疑われる。
神功皇后が380〜390の間摂政したのであれば、
応神の即位時の年齢は29歳である。応神の生年を390年頃という
説もあるが、これだと485年生まれの継体天皇は応神の傍系の五世孫
でなく玄孫ぐらいでないと不自然である。