簡単に言うと

満州から南下して来たニニギ(景行)が天孫族を率いて高天原(朝鮮半島南部)から
海人族の宗像氏(倭人)の水先案内で九州筑紫に上陸し邪馬台国を圧迫した

卑弥呼の死後、弟(崇神・垂仁)は邪馬台国を大和盆地の纏向に東遷し三輪王朝を樹立する
三輪王朝は祭政一致の王権であり、纏向は播磨、伊勢、尾張と結びつきが強く
娘の台与(倭姫)を斎宮とし姉の卑弥呼(天照大神)を太陽神として日の出の方角伊勢の地に祀ったのである

九州北部から邪馬台国を駆逐した天孫族はニニギ(景行)の孫である神武(応神・仁徳)の代に三輪王朝の将軍である播磨の豪族(ヤマトタケル)
と内通し瀬戸内海を東進して大阪湾から上陸し河内王朝を樹立し、さらに纏向の三輪王朝を征服したのだ

ヤマトタケルと武内宿禰は同一人物の可能性がある