後光明天皇の場合、儒学を好んで和歌や『源氏物語』を柔弱と退け、廃れた
朝儀の復興を志すなど、かなり個性的な方でしたからね。
幕末になると、復古を志して上古の天皇や側近が武威を振るっていた時代を
称揚するようになる+大塔宮も登場する『太平記』が尊重されている。

それと、言葉が足りませんでしたが、公家=柔弱というイメージを積極的に
主張したのは当の公家ではなく、江戸時代の武家の史論(公家が柔弱化して
堕落した、だから武家による支配が正当である)です。

明治になると、今度は復古に名を借りた新生のために従来の官職や服飾など
の制度を一新する必要から、「中古」は軟弱であったので、上代の尚武に立ち
帰ろうという主張が行われている。