>>蛟龍(アリゲーター)
>生物学の常識ではなく、当時の中国人の知見として、何に書かれていたのか。

当時のシナ人が「アリゲーター」のことを「蛟龍」と呼んだのです。現代日本語なら「ワニ」。
当時シナに「カミツキガメ」がいたなら「蛟亀」と呼んだのでしょうね。

>>「水行1日」80km
>算出した具体例を挙げよ。隋書倭国伝か?

隋書倭国伝では「1月行」80km(=「海行1月」)がわかります。
隋書百済伝では「海行1月」80kmがわかります。

>海岸伝いでどうやって流求へ到達するのか解説せよ。
書き忘れていた。
 流求傳
 流求國居海島、當建安郡東水行五日而至。
この「水行」は、渡海の様な例ですね。
航路は台湾海峡を越えて、右手に台湾を見て「水行五日(400km)」で八重山群島(流求國)に着いたと読めます。
このような用例は、魏志倭人伝にも見えます。
水行10日=韓地循海岸水行7日(7000餘里)+渡海3回水行3日(1000餘里×3回)
で帯方郡から末盧國です。

>「水」が淮水なら、「陸」と「泥」がどこなのか答えてもらいたい。

「淮水水域」は東西800km南北400km(河南省。安徽省、江蘇省)の
湖沼河川が網の目のようにある低湿地と呼ばれてもよいような勾配が殆どない平野ですよ。

>>「澤散王屬大秦、其治在海中央、北至驢分、水行半歳、風疾時一月到」

今のところ、「大秦」「在海中央」「驢分」の場所が特定できませんので、未だご要望に応えられません。