>>204
>「至」の一字では、到着の意味はない。
>「至」の一字では、「〜迄」の意味
それは目から鱗だ。以下の解説たのむ。

 魏書・武帝紀
  太祖至陳留、散家財、合義兵、將以誅卓。
  冬十月、太祖至東阿。
  太祖遂至洛陽、衞京都、暹遁走。
  紹於是渡河追公軍、至延津南。
  公自江陵征備、至巴丘、遣張憙救合肥。

>>私や汝より漢文に精通していたであろう梁書の解釈からも、位置関係であるとは解せない。
>梁書倭伝は魏志倭人伝を誤読している。
私はともかく、汝に、梁書や陳書と同等か、それを凌駕する書物を著す力量があるのかね。
とりあえず、漢詩の一つも作ってみれくれれれば納得しよう。
そのくらいのこともできないなら、安易に誤読しているなどと決め付けないことだ。
それから、姚思廉の見たテキストと、我々の見ているテキストが、同一であった可能性は相当低い。
我々より良質のテキストを見ていたなら、姚の解釈の方が妥当であると考えていいだろう。

さて、何よりも気になるのは、魏代のすんばらしい航海技術だよ。
暴風雨の中を進むと、魏からオリエント?に到達するらしいが、
現代でも暴風雨の中をわざわざ航海する愚かな船舶は存在しないのだが、
当時の船が、風向きも一定しない暴風雨の中を、本当に急行できたのかね?
それと、「水行半歳」は、大秦からなのか魏からなのか、はっきりしてもらいたい。