>>205
「太祖至陳留、散家財、合義兵、將以誅卓。」
「冬十月、太祖至東阿。」
「太祖遂至洛陽、衞京都、暹遁走。」
「公自江陵征備、至巴丘、遣張憙救合肥。」

上記は、状況や位置を示す単独使用の「至」である。
達して在る、及んで在る、行き着いて在る。距離を伴うと(Aから)B迄に在る。

「紹於是渡河追公軍、至延津南。」

上記は、「動詞+至」の例 「渡&追+至」
至る、きたる、到着


>我々より良質のテキストを見ていたなら、姚の解釈の方が妥当であると考えていいだろう。

君の言動は、畿内説が南を東に換えたり、
一部の九州説が伊都國は末盧國の東南を東北に換えたりしているのと同じだ。


>「水行半歳」は、大秦からなのか魏からなのか、はっきりしてもらいたい。

驢分(エジプト)から魏への「水行半歳」です。
なぜなら、風疾風時に水行一月は、順風の西から東のコースの時に可能性がある。
低気圧の進行方向や左巻きの風向きと、モンスーンの風向きから不可能ではない。
魏人のアラビア人やインド人からの伝聞知識と考えられる。
東から西のコースは絶望的な可能性。