みんな、光秀が微賎の身から信長に引き立てられたという通説に囚われているんじゃないのか?
光秀は御供衆の細川藤孝や足利庶流で御部屋衆の三淵藤英、上野秀政と同格で連署しているし、
義昭が出奔した後は、幕臣の大部分を組下にしている。

光秀が通説に言われているように、細川の中間だったり、諸国流浪の身だったら、
判物に著名なんかできるわけないし、プライドの高い幕臣を部下にできるわけもない。

光秀は有職故実に通じていたが、当時はそれなりの家柄の人間でなければ
有職故実の知識は得られなかった。

光秀はもともとは明智氏ではなく、奉公衆のトップの家柄の人間が
何らかの事情で明智を名乗ることになったのではないのか?