明智光秀はなぜ織田信長に謀反したのか?3 [転載禁止]©2ch.net
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晩年の信長と家康はなぜか似ている。
共に優「秀」なボンクラ息子を持ち西に向かった。
西に向かった家康は幸村に横死寸前まで追い込まれた。
西に向かおうとして「横死」までは至らなかった信長。
信長を「神」に仕立てたのが光秀。
家康を「東照大権現」に仕立てたのが天海。
この辺りの類似も興味深い。 自分の領土である坂本を一生懸命統治して
領民にも名君として慕われてたのに、
信長に、中国地方を攻めてる秀吉の援軍に行って
ついでに分捕った領土に転封だって言われて嫌になったんだよ 林佐渡、佐久間信盛、安藤守就、尚就父子、丹羽右近らの追放を見るにつけ、嘉吉の乱の時もそうだったが、後先考えずに殺られる前にやってしまえ となる。 所詮信長には天下人なんて顔じゃねえよって話ってことだな >>537 でも、滝川は関東管領を任じられたとき旧領の長島城及び北伊勢8郡のうちの5郡
はそのままだったの? 細川の例だと、丹後に引っ越した後、しばらくは旧領もそのままだったが
新領が落ち着くと旧領は召し上げ
滝川の場合は本能寺の頃、決定されてたかどうかわからんけど
伊勢長島は召し上げ予定だったと聞いたことがある >>541
一次や一級史料ではないけど滝川が本拠ごと移すことに
かなり反発したような書かれ方をした史料があるには
あるから多分滝川も細川と同じコースだったと思われ >>542 でも、毛利への使者が秀吉より早くついていたらどうなっただろう。
毛利はどう動くかな? 光秀は馬鹿じゃない信長は阿呆じゃない
しかし工作員のレスはつまらんのー 特にない
毛利やったらほぼ天下統一だし最後の最後に大チャンスが来て魔が差しちゃった >>549 秀吉を追って行って光秀と挟み撃ちか? その次に柴田さてどうなるか?
上杉景勝も北条氏政も後は追うまい。大友宗麟とか島津義久とか長曾我部元親は蚊帳の外だし。 >>549
信長は自国領土すら満足に治められてないんだから天下統一なんて無理だよ >>552 明智の密書が毛利に早くついていれば、戦国時代がいつまで続いていたかわからない。 スペイン語かポルトガル語が公用語に
サッカーが少し強くなる桁違いの美人もチラホラ
独立できるか知らんけど 領地取り上げで新領地敵地切り取りが直接的きっかけだろうな
そこに至るあたりも冷遇、いじめもあったたようだし
粉骨砕身し、それなりに結果出してるのに評価ゼロ扱いの酷い仕打ちで、さらにワンマンで逆らえない命令とかさ
キレるわ
マジで 怨恨説も全否定はできないけど、ちょっと強引に感じるよね
やっぱり朝廷黒幕説かな 特に光秀が他の武将に比べて冷遇されてたってことはないんだよな 殴られただのは絵本太閤記だっけ
ちょっと秀吉よりのネタをもりこんでるよね 信長の部下だった秀吉が信長の死後に信長を悪く言うってことは、
信長は部下の秀吉にも嫌われていたってことだよね。
つまり誰が裏切ってもおかしくないのが信長の政治。 全ては以後の正当性がどうだったかで見ないと間違える 秀吉は自分が信長の、正当な後継者を名乗りたかったのと
信長に謀反した光秀を貶めることに力を注いだわけだよ そもそも歴史に正当性とかいってる時点で間がヌケてる 本能寺の変の後、首尾よく都周辺を制圧できて、秀吉の急襲がなかったと
しても、織田家臣団や同盟者の徳川家康が、光秀の支配下に収まるとは
思えない。「信長を倒せば、光秀の天下」というのは、やや飛躍を感じる。
やはり光秀の背後には朝廷や旧幕府などの伝統的勢力がいて、朝廷・旧幕府
などのもとに戦後処理を考えていたとするほうが妥当ではないか?
足利義昭のもとに再び室町幕府復活というのであれば、武田・上杉・北条・
毛利を始めとする大名が承認して、体制が固まる可能性が高い。 今すぐに家康を支配下に置きたいとは思ってなかったんだろ 信長信者って本能寺の変という事実を決して認めようとしないのなw ホントなら信長に続いて堺に入ってる家康もほぼ同時に殺したかっただろうな
せめて街道で補足して駿府に戻すつもりはなかっただろ >>571
黒幕次第だよね
>>561
それは短絡的すぎる
プロパカンダ以外はとくに悪く言ってないしな
>>568
光秀ってそこまで保守的な考え方でもなかったから
どうなんだろうね
黒幕がいてうまくやる予定が失敗したってだけではありそう 光秀は天下人は目指してなかったやろ
畿内と京で満足。てか、それ以上は無理無理 信長も京都と畿内周辺が精一杯で日本統一なんか無理無理 光秀も天下統一までは考えてなかっただろ
無理して家康を敵にまわす事は得じゃない 信長討ってそのあとになにするかによっては家康も敵にまわるでしょ
光秀の場合は義昭を再度将軍につけるかねえ 義昭は面倒臭い奴だけど、一応は将軍だし官位取得の窓口でもやらせとけばいいよ
その取り次ぎを光秀がやれば少しはマシな状況に持っていけるかも >>578 光秀が毛利や北条に合力してもらって秀吉と柴田を征伐したなら家康は動かんでしょう。
もし毛利への密書が届いていたら、秀吉は一巻の終わりでしょうね。 >>581 秀吉、うまく撤退できるか? 清水宗治のこととかほっとくの? 後詰めがあるかないかで天地の差だから
毛利に攻められたら、北条に攻められて壊滅状態になった滝川軍と同じ状態になってただろうな
しかし毛利は秀吉を少しも追わず、秀吉が勝った後は毛利は厚遇された
結託してたんじゃないの? >>584 隆景と恵瓊はわからんね。でも、毛利が先に知っていたら元春の追撃を止めることはできんでしょう。 本能寺の変前から安国寺恵瓊とは和議の準備は出来てたって書いてある書物があるらしいね 信長が来るかもしれにいのに、毛利は京に間者とか置いてなかったのか?
来てから考えるつもりだったのか? >>581
やりかた次第でしょ
それでなくても秀吉は信長に援軍要請するくらいの戦局だったんだし
高松城が足を引っ張ってた 引っ張るってか、毛利は高松城を助ける気なんてなかっただろ 助ける気ないなら出張ってはこないでしょ
いや、厳密には捨て石くらいに思ってただろうけど一応かたちだけは救援にきてるわけで。 毛利は山陰が主力で山陽は防御耐性しか引いてなかったから
追撃なんて無理だったんだな >>591 でも、先に信長の死を知ったら元春を止めることを隆景と恵瓊はできんだろう。
これで、秀吉が滝川状態になり光秀は柴田と対峙することになる。
その時の 光秀・勝家との 毛利 北条 家康 上杉 長曾我部 との合従連衡は如何に? >>593 元春を納得させるためには五国(備中・備後・美作・伯耆・出雲)の割譲なしと清水宗治切腹なし位しかないな。
隆景はその条件をのまして「秀吉殿、ご武運を祈る。」とかかっこうをつけそうだな。 >>577
> 光秀も天下統一までは考えてなかっただろ
信長までの「天下」と、秀吉以降の「天下」は違うことが最近の研究でわかった。
信長までの「天下一統」は日本統一ではない。
光秀も日本統一は視野になかったろう。 それだ。信長は日本統一なんか考えていないが、それを実行に移したのは秀吉からだ。 >>595 >>596
仮に、光秀の使者が秀吉に捕まらず毛利が秀吉をあの世行きにした場合、光秀と柴田の対戦になるが、
どちらの勝利かな。 >>598 織田家の後継は? 信雄と信孝以外の誰? 和解するのは柴田相手の話
信長を殺しているので今更信雄信孝もないが柴田と光秀の共同経営というのもありえないので三法師をたてて傀儡政権 光秀の使者が捕まらなくても秀吉は畿内に戻ってきたよ
ちょっと遅くなるから結果は違っただろうけど >>602 戻るにしても、滝川のような戻り方では? それに、柴田が先に信孝・丹羽 細川 筒井 摂津の諸将らと先に光秀を撃ってしまつたら様相はかなり変わってくる。 諸説色々あるが
光秀の使者を捕まえた結果、毛利に情報が渡らなかっただけで
秀吉は別のルートで知ってたから滝川のようにはならない >>601
史実でも家康とらえたくて街道は封鎖したということだけど山越えルートつかう家康には結局関係ない
柴田と組んだ三成は毛利および羽柴を警戒して畿内へのルートに防衛線をひくと思う
孤立してないので細川だの筒井だのも参陣
家康は駿府城に戻るも滝川が武田領にて睨みをきかしているのでうかつに動けない
とりあえず北条と同盟して光秀の動きをみるんじゃないかな
そのうち追い出された織田兄弟が尾張から畿内を攻めるようになるからそれに乗じて武田領をゲット >>573
本能寺後、細川幽斎に出した手紙で、光秀は
畿内を征服した後は、私は隠居する
あとは娘婿の忠興と光秀実子の小十郎に天下は譲る
細川と明智で天下を統治しようみたいな手紙を送ってるじゃん >>605 森長可らは甲斐から逃げ出し、滝川・河尻らは止まるも河尻は切られ、
滝川は命からがら伊勢に返る。
後情勢に関係あるのは、景勝と長曾我部、佐竹あたりかな。東北と九州は関係ないでしょう。 >>604
有名なのは長谷川宗仁ルートだよね
秀吉が黒幕だった場合、コイツは絶対にグルになるはずなのに
何故か千利休にすり替えられてしまう哀れな人 >>604 秀吉も知ってて毛利も早期に知ってた場合、秀吉は領土も清水の命も取らずに撤退しただろうか? そりゃ秀吉の軍勢だけでは高松城は落とせなかったんだから領土も城主の命もとれないでしょ >>611 小早川と恵瓊は領土と清水の命と引き替えに秀吉を返してやるかな。 >>613
返す必要ないかもね
だって織田は倒れて家内は乱れているだろうし
後ろ盾のない羽柴を見逃してやる必要もない
せいぜい帰還した羽柴が光秀ともめて共倒れになれば、とか考えるかもしれんけど。 >>612
書状の花押は光秀が当時使っていた花押とちがう 光秀の花押って15年分くらいだろ?
そんなコロコロ変えたんか?
うっかり前の花押を書いたとか無いのけ? 立花京子 「明智光秀花押の経年変化と光秀文書の年次比定」 『古文書研究』46(1997) 花押は自分発給の文書と証明するもんだから間違えることはないでしょ 伊達政宗とか「花押ミスったけど俺からだから!」とか言ってる書状あったような あれは花押に針さして、針あるの俺のだから、だからちょっと違う いや公文書はあまり変えなかったみたいたが、親しい相手宛ての花押は度々変えてたみたいだし。使い分けで 光秀の子で、坂本城落城直後に死亡が確認された者はいないだろう
行方不明の者が多いが >>624
史料上で確認できる光秀の息子は手紙に見える十五郎だけじゃなかったか
娘婿の明智秀満を明智家の跡取りに考えていた時期もあったようなので
実息子の誕生はだいぶ遅かったとみられる >>626
長男は山崎の戦い当時で元服が済んでいるのだから、遅いというほどでもないだろう >>629 山崎の戦い時光秀は55。40くらいの時の子だね。現代ならざらにある話だが。 光慶という名も本当かどうか分からんし、元服の記録も初陣の記録も無いし。元服してなかったかもよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています