また、新説とは別に、研究の結果、人物の評価が一変しつつある例もある。
その代表は、誰あろう、日本史上最大のスーパースター・織田信長だ。

南蛮趣味の甲冑に身を包んで自ら「第六天魔王」と称し、古臭い常識を躊躇なく破壊する戦国の革命児。
長らく、そう語られてきた信長だが、近年の研究成果から垣間見える人物像は、それとはかけ離れたものだ。

「信長は、朝廷や寺社など、既存の権威に対して非常に気を遣う人だったことが分かっています。
皇居の修理や皇太子の元服費用を負担し、困窮する公家たちの借金をチャラにしたりと、常に尊重していますね。
一方、対立したといわれる寺社勢力に関しても、既得権益を守るために一揆を主導して歯向かった本願寺との戦いが
有名になっただけで、他の寺社はむしろ手厚く保護し、人心の安定に役立てています」(前同)

悪名高い比叡山延暦寺の焼き討ちにも、実は信長自身は慎重だったという。
「敵対勢力をかくまったということで火はかけましたが、よく言う抜き打ちでの皆殺しではなく、1年以上前に予告し、
威嚇程度にいくつかの建物を焼いただけ。このときは、むしろ家臣の明智光秀のほうがイケイケだったようです」(前同)

比叡山焼き討ち後、その所領の多くは“実行犯”光秀のものとなったが、光秀は延暦寺に残された領地まで横領し、
信長に「返してあげなさい」と命じられたりもしている。

「クレイジーな主君についていけず、本能寺で反旗を翻した“良識の人”として描かれることも多い光秀ですが、
実はかなりしたたかでクセのある人物だったようです。2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』は、
こうした最新の研究を反映しているらしく、楽しみですね」(歴史専門誌記者)

https://news.infoseek.co.jp/article/taishu_60236/?p=1